共生社会のあれやこれ
「この世界は人間だけのものではない」
この一言を皮切りに、地球上の様々な種族と人間との共存が始まる。西洋で言うならモンスター、日本的に言えば妖怪、というような空想上の生き物の存在は世界に激震を与えた。
共存という結論に至るまで3年もの歳月を費やし、互いの文化圏への自由な行き来が可能になるのは発端から10年も経ってからのことだった。
今年はこの発端から丁度20年目、異文化交流開始から10周年という記念すべき年であり、世界の至る所でお祝いという名の飲めや歌えの催し物が休む間もなく開催されている。
「…このゴールデンウィークもすごかったねぇ。どこもかしこもお祭り騒ぎで。
私は20年前も大学で教えていたから、あの頃の大騒ぎもよく覚えているよ」
ゴールデンウィーク明け最初の講義。
もちろん話題はあのこと。
連休や長期休暇はイベントが開催されやすく、また羽目を外しがちである。
この異種族共存は私たち世代からすれば、既に当たり前のことで、同級生に他種族がいて当然である。さらに私たちより下の世代では、いわゆる他種族とのハーフの子もいる。
「今更ながら、何故共存の結論に至ったのか私にはわからないんだよねぇ。
いや、私の意見が共存反対なわけではなくてね。彼らが何故あの時に人間側にアプローチしてきたのかがわからないんだよ」
このおじいちゃん先生の授業は眠くなる。なんとも間伸びした話し方をする先生で、穏やかな教室の雰囲気と5月特有の暖かな気温がより私を眠りの世界へと誘う。
それでも先生のお話は続いている。
「“この世界は人間だけのものではない”という言葉は有名だけれど、それだけが理由じゃないだろうからねぇ。
それだったら、もっと前に人間に接触をはかるだろうしねぇ」
確かに。もっともらしい考えである。
ちらりと時計を見るが前に見た時から10分も経っていない。
お話はまだ続いている。
「まぁ、今こうして色々な種族が同じ場にいるのは当たり前になったけど、こうなるのに20年かかったのは彼らにとって早かったのか遅かったのか。是非聞いてみたいものだねぇ…」
どうやら抵抗するにもそろそろ限界のようである。無駄な足掻きは止めて、睡魔に身を任せてみるのもいいかもしれない。
「そう考えていたんですよ」
「で、寝たわけか」
「良い睡眠でした」
2限の時間を寝て過ごした私は、今食堂で優雅なランチタイムを過ごしている。
ゴールデンウィーク明け、いつもよりも人の疎らな食堂。今日は自主休講の人が多いようだ。
そんな中真面目に大学に来て、授業を受けた私と私の目の前に座って一緒に食事を取る1つ上の先輩。
「ちゃんと聞いてろよ。おじいちゃん先生、面白いこと言ってたぞ」
「なんですか?」
「“可愛い娘さんを見つけたからかもしれませんし、もしかしたら御自分のお子さんが人間側と交流を持ちたい、とか言ったのかもしれませんしねぇ”ってさ」
「おひぃ」
思わず口から出てしまった。
しかし、口には今日のお昼のオムライスが入っていたままだったので、上手く言葉にならなかった。もぐもぐと咀嚼を繰り返し、口の中のオムライスを飲み込む。
「は?おしい?」
先輩はわざとらしく私に向かって怪訝な顔を見せる。
「要は、目に入れても痛くないほど溺愛している孫が人間と一緒に暮らせるように、っていうのが、あの主張の本音です。
どうやらその孫、人間とのハーフみたいで」
そう、あの“この世界は人間だけのものではない”という発言は、じじばかヴァンパイアによるものなのである。
当時の各国の首脳陣を悩ませ、禿げ上がらせたかの存在のあの発言は、ただの孫かわいがりの延長だった。
「へー、それおじいちゃん先生に教えてやれよ」
カレーライスを食べながら、どこかバカにした口調でそう口にする先輩。私の方は見ず、どうやらカレーに夢中なようだ。
「有名な話みたいなんです。孫が生まれたのをきっかけにそのおじいちゃん、今までとは人が変わったかのように温厚になったみたいで」
「ふーん…。孫ってそんなもんなんじゃないの」
「さあ、私にはよく分からないですね。孫、いないですし」
「いやいや、流石にその年で孫いたら俺引くわ」
どんな時でも話に乗ってくれる先輩は人が良い。そんな先輩は今、挙動不審で視線も定まっていない。カレーを食べ終えたようで、手持ち無沙汰で見てわかるくらい居心地の悪そうな顔をしている。しかし、そんな顔も様になるのが美形というもの。
何故先輩がこうも慌てるのか聞きたいものだが、先輩の向こうに見える時計を見て、まだ昼休みが終わるまで10分あることがわかる。質問はもう少し待ってからでも良いだろう。あと少ししたら、3限も授業のある人はここからいなくなる。
「先輩、次の授業ないですよね」
「ああ」
そう返事をした先輩は立ち上がり、片付けてくる、と言ってカレーライスの皿の乗ったトレーを持って行った。ついでに財布も持って行ったようだったので、何か買いに行くつもりなのだろう。
さて先輩が席を立ったので、この間にオムライスを食べてしまおうと一生懸命口を動かす。時計を見れば、昼休みはあと5分。食堂の人がより疎らになってきたのを確認する。
今座っている周りに人はいなくなり、食堂の入り口から一番奥の窓際であるこの席は、柔らかな日の光が差し込み、ポカポカ陽気で温かい。満腹になった私は、先ほどの授業で寝ていたにもかかわらず、再び睡魔に魅了され始めていた。
あー、食器片付けなきゃ
なんて思いながら、私の瞼は緩やかに落ちていく。
「おい。寝る前に片付けてこい」
突然聞こえた声に弾かれるように目を開け、向かいを見れば先輩がいた。
眠りかけの状態というのはなんと無防備なことか。あまりに驚きすぎて目が覚める。
さらに、ほらやる、と言われアイスが目の前に差し出される。
「あ、どうも」
「ん」
驚きのあまり間抜けな声でお礼を述べて受け取れば、先輩は既にアイスを食べ始めていた。私も袋を開け、久し振りに棒状の氷菓を食べる。食べるのが遅い私はいつもカップアイスを選ぶからだ。
「さて、先輩」
「…なに」
「そんな嫌そうな顔しないで下さいよ」
「俺には理解できない」
「何がでしょう」
「こんなに人がいるところで、なんでもないことのように話すお前が」
私こそ理解できない。こんなにびくびくする先輩が。
「もう、古いんですよ、その考え自体が。
時代は共存社会。どこに誰がいても当たり前なんです。そしてこれからは共生社会。ただ存在があるだけでなく、共に生きて行く時代なんですよ。一方が忌避される時代は終わったんです」
「…」
あらあら、なんて迫力のない目なんでしょう。これで本当に睨んでいるつもりなのかは甚だ疑問だが、まあこれもイケメンの成せる技であろう。
「先輩。いい加減白状しちゃって下さいよ」
「…分かっているんだろう」
「ちゃんと先輩の口から聞かないと」
「……」
そう、はっきりと先輩から聞いてこそ意味がある。
先輩はまだ口を閉ざしている。それほど口にするのが嫌なのだろうか。
この隙に私はアイスを頬張る。大分温まってしまったようで、歯ごたえはなく口に含むとすぐに溶ける。でも美味しい。
私が食べ終わるのを待っていたのか、あるいは私が食べ終わったら言うと決意を固めたのかは知らないが、棒に付いたアイスを舐め終わって、食べ終わったアイスの棒を袋に入れたところで先輩はようやく口を開いた。
「……俺は人間とのハーフだよ」
「やっと認めましたね」
「分かっていたくせに」
ぼそっと周りには絶対に聞こえない音量で先輩は言った。さっきまでのヘタレ具合はどこへ行ったのか、先輩は随分意思の籠った目で私を見て言葉を続ける。
「さぁ、俺は言ったぞ」
「ですね」
「お前も言え」
「心外ですね。私は先輩みたいに隠してません。それより先輩って、お母さん似なんですか」
急に話を変えられたことに対する怒りが見えるが、この際先輩の人の良い部分に付け入ろうと思う。
「…母似だよ」
「美人なお母さんなんでしょうね。それでお父さんに見初められたんですか?」
「いや、母かららしい」
美人からのアプローチ。羨ましい限りである。
なんだかんだと話に乗ってくれるこの人は、結局他人を無下にはできないのである。素晴らしい教育の賜物である。
「もういいだろう。言え」
「そうですね」
さて先輩は、これを言ったらどんな顔をするのだろうか。
「先輩も分かっているんですよね」
「ああ」
「一目見た時から?」
「お互い様だろ」
やはり間違いなさそうだ。これは両親にも祖父母にも言わなくてはならないだろう。問題はおじいちゃんだな。
「ところで先輩。運命って信じます?」
「はぁ?」
「ヴァンパイアのある一族では、運命の相手に会った時、互いに一時的なシンパシーを感じるそうなんです。というか、そう信じられているんですよ。自分たちがそうだったから」
何言ってんだこいつは、と思いっきり顔に出ている先輩。喜怒哀楽に富んだ表情は先輩の感情を分かりやすくこちらに伝えてくれる。
「ねえ、先輩。
私は信じているんですよ、運命」
だって感じちゃったんだもん、シンパシーとやらを。
確かに私と先輩は同じ。
でも私は他の同じ子を見ても同じだとは分からない。先輩だけ。
始めて目があったあの瞬間、私は先輩がハーフだって気づいたし、先輩が気づいたことも分かった。それは先輩だって同じはず。
あの時、その一瞬の中で私は多くを理解した。
先輩がハーフだってこと。
先輩が私に気づいたこと。
これがシンパシーだってこと。
これが、運命だってこと。
だからね、先輩。
「好きです」
私の告白を聞いて目を見開いて驚きを表す先輩。目が落っこちてしまいそうになるくらい目を開けた先輩は、ようやく言葉の意味を理解したのか、今度はみるみるうちに顔が真っ赤に染まる。まるでりんごみたいに。
さっきまでの強い意思のこもった目は、動揺して見る影も無い。恥ずかしさからか、先輩の綺麗な黒目は動物のようにうるうるしている。
え、いや、あれっ?
なんて明らかに狼狽えている先輩は大変可愛らしい。
遠回しに私も先輩の問いには答えてあげたし、告白した身としては何にも言ってもらえないのはそろそろ辛い。
「ねえ、先輩」
声をかけてみれば、大きく肩を震わせる。
しかし、先輩は私を睨んできた。真っ赤な顔して潤んだ目では怖さもなにも感じないが。
私は笑顔で先を促す。
「返事、下さいよ」
こんな可愛らしい先輩をいじる絶好のチャンス。みすみす逃すものかと、先輩、と追い打ちを忘れない。
何かを言おうと口を鯉のように動かしていたが、意を決したのか一度口を引き結んで、彷徨っていた視線を再度私と合わせた。
「……分かっているんだろう」
蚊の鳴くような声で、先輩はそう言った。
そう、分かっている。だから確実なものが欲しい。
「ちゃんと先輩の口から聞かないと」
恥ずかしがり屋な先輩がこれを言っただけでも凄いことなのだが、今更譲歩する気はない。
先輩の様子を見れば、必死に色々なことを考えているようで、まだまだ時間がかかりそうである。
そういえば3限開始のチャイムはいつ鳴ったのだろう。時計を見ればすでに開始から40分以上経っている。
幸い時間はまだある。今日の4限は休講になったので、このあとは何もない。
まぁ、私たちは気が長いし寿命も長めだ。おじいちゃんたちはこの20年はあっという間だったとも言っていた。
でも先輩。
私今日中には聞きたいな。