ぬいぐるみのひとりごと
ワシはぬいぐるみ。名前はない。
ゆーほーキャッチャーで景品だった。
キャッチするクレーンはゆるゆる設定だった。
本来なら途中で落ちるはずだった。
だが、ワシは離さなかった。
アームの隙間に布の耳をねじ込み、揺れても回っても、ただ意地でしがみついた。
落ちるために作られた身体で、落ちないと決めた。
そしてガラスの外に出た。
こんなところでくすぶっている暇はない。
ワシは広い世界が見たかった。
店員の手に渡される瞬間、
ワシは初めて、外の空気の匂いを吸い込んだ。
だが、その匂いは思っていたのと違った。
冬だった。
暖かい世界を想像していたわけではない。
ただ、もっと騒がしくて、もっと色のあるものだと思っていた。
だが外は白く、
音は遠く、
人の声は吐く息に混じって消えていく。
広い世界は、
思っていたより静かだった。
ワシは耳を澄ました。
耳を澄まして、世界を知ろうとした。
すると、
雪の落ちる音がした。
靴底がきしむ音がした。
遠くで自動ドアがひらく音がした。
世界は、思ったより小さな音でできていた。
「これ、100円で取れたよー!」
急に持ち上げられ、視界が揺れた。
ワシを掴んでいる男の子が、
友達に誇らしげに掲げている。
「うそだろ、絶対アーム弱かったやつじゃん」
「ちがうって! ちゃんと掴んだもん!」
ワシは心の中で首を振った。
違う。
ワシが、出てきたのだ。
男の子はワシを家に持ち帰った。
部屋の隅には、同じような景品がいくつも積まれていた。
箱のままのもの、袋に入ったままのもの、
開けられても触られていないもの。
ワシもその上に置かれた。
それきりだった。
男の子は、やがてワシを見なくなった。
景品は増え続け、部屋の隅は小さな山になった。
「片付けなさい!」
それが母親の口癖だった。
最初は注意、次はため息、
最後は無言で箱が用意された。
ワシは他の景品たちと一緒に袋へ入れられた。
外の光が遠ざかる。
男の子はその場にいなかった。
トランクに揺られ、
知らない店の棚に並べられた。
新品の顔をして、
中古として値札が付いた。
ここから出るのは至難の業だよ。
ガラスのケースでもなければ、
掴んでくれるアームもない。
ただ、誰かの視線を待つだけの場所。
ワシは並べられたぬいぐるみたちの間で、
動かないまま考えた。
世界は広い。
だが、広いほど、ここは深い。
あの店の明るさも、
雪の匂いも、
遠くの自動ドアの音も、
ここには届かない。
だからワシは――
待つことにした。
何日経ったのかはわからない。
店の明かりがついて、消えて、またついて、
それを何度も繰り返した。
ある日、小さな足音が近づいた。
女の子だった。
ほかの客と同じように棚を眺め、
そして、なぜかワシの前で止まった。
「……寒かったね」
ワシは驚いた。
声には出していない。
出せるはずもない。
だが、女の子はまっすぐこちらを見ている。
「外、見たかったんでしょう?」
ワシは答えた。
――ああ。
女の子はうなずいた。
「帰ろっか」
母親に小さく頼み、
少し迷われ、
それでもレジへ連れて行かれた。
袋に入れられる前、
ワシはもう一度だけ店内を見た。
並んだ棚、動かない仲間たち、
遠くのレジの音。
ここは終わりの場所ではなかった。
途中の場所だった。
女の子の腕に抱えられ、扉が開く。
冷たい空気が流れ込んだ。
冬の匂いだ。
あの時と同じで、
少しだけ違う匂いだった。
ワシは耳を澄ました。
雪の音、車の音、
人の息づかい。
そして思った。
――もう一度、外の世界へ。




