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カノープスの手帖  作者: あいはらしのや
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好きな町

 天気は良好。風は少し冷たいが、ルーンに貰った首元のマフラーがあれば充分だった。背中に背負ったリュックは決して軽くはないが、山道を下る足取りは重くない。


 麓の町へ来る途中、農民の荷車に一緒に乗せて貰えることになった。


「お前さん、何処に行くんだい?」

「グリュンヴァルトまで。」


 グリュンヴァルトは、何時も生活用品を調達に訪れていた、ルーンの家がある山の麓町。

 僕はこの町が大嫌いだ。


「お前さんもしかして、、、ルーンの孫かい?」

「はい。」

「おぅ、そ、そうか⋯。」


 他の子供に話す様に、上機嫌で優しかった農夫の顔が急に曇る。


 また、だ。“ルーンの孫”という言葉が大きな壁を作る。皆、ルーンを奇異の目で見ているのは知っていた。町に来る度、空いていた窓が閉まり、井戸端会議のご婦人達は目を逸らす。

 すると何処からとも無く聞こえてくる言葉。


「あの子、ルーンさんのお孫さんらしいわよ。」

「あのルーンさんに子供がいたの!?しかも、お孫さんまで居たなんて⋯。」

「変な事ばかりしてるから、結婚なんて出来ないかと⋯」

「しっ!聞こえますわよ!」


「研究とか言って家の前から馬糞を持って行った事もあるんだぜ!?」

「俺んとこも“畑見せてくれ”とか、“井戸がこれじゃ腐る”とか⋯。兎に角変人だよ。ルーン爺さんは。」

「でも、ケッターさんは指輪が盗まれたっていうじゃないか!」

「研究だか何だか知らんが、序でに盗んで行くと噂だ。お前んのとこも気をつけろよ。」


 昼間から酒を酌み交わす町民達は、口汚く噂話を吹聴する。



 娯楽など無いこの小さな町で、農業、子作り、家事だけを繰り返す。そんな生活の中に、山の上で暮らす奇人の噂は格好の餌だ。


 口下手なルーンは、目的や問題点しか口に出さないが故、意図が伝わらず“関わってはいけない人”と噂になっていた。


 かく言う僕も、ルーンを理解出来ないことはあった。


 ○*゜。○*゜。


 ある日、ルーンがバケツに馬糞を持って帰ってきて、鼻を摘む臭いが部屋中に蔓延した時があった。


「ルーン!この臭いなに!?」

「馬糞だ。役に立つ筈だ。」

「何の役に立つっていうんだよ!役に立つ前に、僕が死んじゃうよ!オェッ⋯」

「うんこ臭で人が死ぬことは無い。いや、密閉した上で⋯ハッ!その手があったか!オェッ⋯」


 そう言って数日間、二人共えづきながら生活した。


 ○*゜。○*゜。


 またある時は、研究小屋から真っ黒な煙が上がり、急いで見に行くとルーンが煤だらけで呆然と立っていた事もあったっけ。


「何があったの!?」

「⋯いや、何でもない。⋯ゴホッゴホッ」


 咳き込みながらも、机にチョークで描いた魔法陣をゴシゴシ拭き取るルーンは、何処か楽しそうだった。


 ○*゜。○*゜。


 いろんなことがあったな⋯。

 モントは荷車の上でルーンを偲ぶ。

 ガタガタと土埃をあげて農道を進む荷車は、グリュンヴァルトへと着いた。


「着いたぞ。此処で良いかい?」

「ありがとう。」


 ルーンがいなくなった今、この町の人達はどう思うんだろう。


 ぽつりぽつりと歩く見慣れた町は、いつもと同じ風景。農夫は畑を耕し、家庭の開いた窓から漂う薪火の匂い。教会の広場で遊ぶ小さな子ども達。立ち話に花が咲く農婦達。


 何も変わらない光景。


「亡くなったのよね?可哀想に。」「あの子って⋯どうなるのかしら?」「修道院で引き取られるって聞いたぞ?」「あの不気味なのがいなくなって、清々するぜ。」「やっと安心だわ。」「子どもに罪はないがな。聖母様が見てくださるさ。」「気の毒よね。」



 ⋯何も変わらない。


 ルーンの死は娯楽のひとつとなっていた。



 ふざけている。腹の底から湧き上がる、熱を帯びたドロドロとしたこの気持ち。締め付けるように胸を焼き焦がす。


「ふざけんな⋯⋯」


 小さく零れた言葉に、小さな町は静まり返る。

 気付けばモントは叫んでいた。


「ふざけるなッッッ!!ルーンを悪く言うなッッ!!!

 ルーンは畑を荒らしてない!魔獣に荒らされた野菜を守る為に、馬糞で忌避剤を作ってた!井戸に苔が生えているのを言いたかっただけで、腐る原因がルーンなわけが無い!それに、ケッターさんの奥さんが無くした指輪は、盗まれたじゃなくて行商に来ていた商人に売っていただろ!?

 ルーンを犯罪者にするな!!何も知らないくせに!!」


 息は切れ、目には涙が滲む。火照った体はじんじんと脈を打つばかりで、何も聞こえない。


 ざわつく群衆の中から、1人の老人が近づいてきた。


「すまない⋯悪かった。儂らが間違っていた。」


 モントに膝をつき老人は謝った。その人は村長であり、村一番の長老。心からの謝罪にモントは涙を拭った。


「ルーンは『無知で人を責めるな』って言っていた。それと、『この町が好きだ』とも言ってた。僕も⋯好きになりたい。ルーンが過ごしていたこの町を。村長⋯僕、旅に行くんだ。沢山のことを知りたいから⋯。」


 群衆に自然と道ができ、モントはその道を進む。もうモント達を批難する人はいない。


 モントは町の境界線を越えて未知の世界へと旅立つ。

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