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カノープスの手帖  作者: あいはらしのや
1/3

研究者と孫

 街から少し外れた山の奥。林間にぽつんと建っているのは、研究者ルーンと孫のモントが暮らす家。煙突からは香ばしい煙が立ち上る。


 部屋のキッチンでは、踏台に乗って背伸びしながら、火にかけたヤギミルクのシチューを少し欠けた器によそい、顔よりも大きなパンを手際良くスライスするモントの姿。


 キッチンの窓からはルーンの研究小屋が見える。モントは勢い良く窓を開け、カトラリーをチンチンッと鳴らし、研究小屋へ向かって大声で叫ぶ。


「ルーン!もうすぐご飯できるよ!!」

「⋯⋯」


(はぁ。あのジジイ、また聞こえないフリして⋯。耳遠くなったのか?)


 こんなルーンを“変わり者”だと街の皆は言うが、それでも僕にとっては唯一の家族だ。


 物心ついた時には、ルーンと二人暮らしだった。ルーンは僕の両親を嫌っているのか、12歳になった今まで話してくれる素振りもない。居ないことにも慣れ、気に留めないようになった。


 ルーンは無口で無愛想で、何を研究しているか決して教えてはくれない。だから僕は邪魔にならないように、いつもこうしてご飯を作ったり掃除するのが日常。偶にルーンに連れられ、研究材料集めを手伝わされることもあるけど。


 そうやってルーンが長年集めた鉱物や植物、研究してきた資料が詰まっているのは、家の隣にある研究小屋。此処に一度入るとルーンは中々出てこない。


(ご飯だって言ってるのに⋯。)

 小屋の扉の前でもう一度呼び掛ける。


「ルーン!ご飯出来たよー!」


 返事は無い。仕方なくノックもして、そっと扉を開ける。

 モワッとした空気と鼻の奥を突くような独特な臭いがする。一歩踏み入れば、埃っぽくて薄暗い。


(掃除してって何時も言ってるのに⋯。)


「ルーン?ご飯出来たってば!冷めちゃうから⋯⋯」

 モントの声は晦冥に消えた。



 ルーンは小屋で倒れていた。


 モントは震える足で山を下り、切らした息を振り絞って医者を呼んだが、助からなかった。

 医者から「長い間痛みがあった筈だ」と言われたが、モントは知らない事実だった。分からない言葉ばかり告げられるその間、モントの頭は真っ白だった。


 多くの大人が小さな我が家へとやって来て、あれよあれよと言う間に一人ぼっちになった。


 やがて大人達によりモントは選択を迫られた。


「街の孤児院で一緒に暮らしましょう?」


 修道女は手を差し出した。モントは少し考えて、その手を握らなかった。


「もう少しだけ、此処にいます。」



 食卓テーブルには、固くなったパンと脂が浮いた黄色いシチューが2つ。何時も立ってるキッチンには、鍋に焦げ付いたヤギミルクとやりかけの洗い物。

 寒風が吹くと窓に枯れ葉が当たり、研究小屋の入り口が開いているのが目についた。


 軋む扉に手をかける。恐る恐る開けたって、びっくりする声も邪魔だと睨む目も無い。

 まだルーンの匂いがする。埃っぽくて、薬品みたいで、土と太陽で洗濯したみたいなルーンの匂い。


「⋯⋯ルーン!!!」


 声をあげて泣いたのは初めてだった。


 爺ちゃんと呼ぶと怒るルーンを、喧嘩する度心の中でジジイと叫んだ事、ルーンと行く材料採集は本当は嬉しかった事、飲んでいたであろう薬草入りの蒸留酒を今更見つけた事⋯。全てを悔やんだ。

 モントは去年の誕生日に貰ったマフラーを抱き締めて、一晩中泣いた。



 暫く経ったある日、モントは大人達の好奇心に乱された研究小屋の棚を、少しずつ直していた。すると、小さな手帖を見つけた。


 古い革の手帖はとても使い込まれている。モントは、ルーンが何度か眺めていたのを思い出し、そっと開いてみた。見たところで理解出来ないのは分かっていたが、ルーンが見ていた世界を知りたくなったのだ。


 案の定、知らない地名や絵が書かれている。頁をペラペラと捲っていくと、最後の頁が欠けるように破れ、“スンナ”という名前だけが残っている。


 モントは“スンナ”という人を知らない。ルーンからもそんな名前は聞いたことがなかった。

 モントは無性に知りたくなった。


 手帖に書かれた“スンナ”は誰なのか?ルーンはこの手帖で何をしたかったのか?破れた頁には何が書かれていたのか?

 モントの頭には沢山の疑問が浮かぶ。


(手帖の中身を辿れば分かるのだろうか?)


 モントは疑問を解く旅に出ることにした。



 その為に準備を始めた。

 先ずは家を綺麗に掃除して、研究小屋も整える。

 次にお金だ。あれば有るだけ研究文献や材料を買ってしまうルーンの代わりに、生活費はモントが管理していた。


(もう、食費も衣服代も研究費も⋯取っておかなくていいのか。)


 巾着へとお金を入れながら寂しさが込み上げるモントだったが、ふと思い出したようにキッチンへ向かった。街へ買い物に行った時、ルーンに内緒で作っていた()()()()を思い出したのだ。

 ルーンは滅多にキッチンに立たないから、ジャム瓶の後ろに置いたシュガーポットの中に隠していた。引っ張り出して数えてみると少し多かった。


(ルーンにバレてたのか。研究費足りないって文句言ってたくせに⋯。)


 キュッと縛った巾着をリュックへ詰め、ルーンの手帖と地図、お気に入りのペンも入れた。

 モントは家のあちこちから必要な物を掻き集めてゆく。長い旅になるかも知れない。


(あとは⋯)


 軽食用にパンを包み、マッチと小さなナイフを1本。ルーンが使っていた懐中時計も持っていくことにした。


(これでよし!)


 モントは、ルーンがくれたマフラーを巻き、リュックを背負って家を出る。


「行ってきます。」

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