第11話:薬(いき)と仲間
「俺が行く」
俺の決意に、ランタンの輪の中にいた三人が、一斉に息を呑んだ。
「馬鹿言うな! 死ぬ気か!」
最初に我に返ったのは、リーダー格のケンジだった。 銃口が、再び俺の眉間を捉える。
「地上は『デッド』の巣だぞ! お前みたいなガキが一人で行って、犬死にするだけだ!」
「そうよ、無謀だわ! マイクたちだってもう……」
サラが言いかけて、唇を噛む。
リッキーに至っては「死にに行くだけじゃないか…」と青い顔で震えている。
うるさい。
わかってる。
そんなこと、言われなくても全部わかってる。
「……あんたらを待ってたら、こいつが死ぬ」
俺を、不安そうに見上げるノア。
この埃だらけの地下で、薬なしで半日もつはずがない。
「あんたたちは仲間を待てばいい。俺は、俺の弟のために薬を取りに行くだけだ」
「待て! 俺はお前を行かせるなんて許可して――」
ケンジの制止を、俺は無視した。
サラに向き直る。
この中では、彼女が一番マシに見えた。
「……こいつを、頼む。俺が戻るまで、水だけでも飲ませてやってくれ」
「え……あ……」
サラが困惑するのを尻目に、俺はノアのそばに、地下室で手に入れたパイプレンチをそっと置いた。
俺が持っていても邪魔になる。
だが、こいつにとっては「お守り」になるはずだ。
俺は、ノアが背負っていた小さなリュックを担ぎ直し、錆びたバールだけを握りしめ、背を向けた。
「行くな! おい、待て! このガキ!」
ケンジの怒声が背中に突き刺さるが、俺は振り返らなかった。
B出口、という看板が指し示す、暗い階段へ。
父さんの最後の命令を、一時とはいえ赤の他人に預けていく。
その裏切りが、バールを握る手に爪を食い込ませた。
階段を上りきる。
そこは、改札口だった。
駅のシャッターは、半分だけが閉まった、中途半端な姿を晒している。
その隙間から、地上の光が――いや、煙と雨雲に遮られた、鉛色の『地獄』が漏れ出ていた。
俺は、息を殺し、シャッターの隙間から、外を覗き込んだ。
「……う……」
息が詰まった。
道路は、おびただしい数の『死体』で埋まっていた。
まだ『デッド』になっていない、ただ殺されただけの、人間の死体だ。
その血の匂いに引き寄せられたのか、十数体の『デッド』が、獲物を漁るように、ゆっくりと、その骸の上をさまよっていた。
幸い、奴らはまだ、俺の存在には気づいていない。
俺は、猫のように身をかがめ、シャッターの隙間をくぐり抜けた。
冷たい空気が、地下とは違う『死』の匂いを肺に送り込んでくる。
乗り捨てられたタクシーを盾に、息を殺して角を曲がる。
――あった。
サラが言っていた、コンビニだ。
だが、ガラスの自動ドアは粉々に砕け散り、商品は外まで散乱している。
俺は、割れた窓枠から、中の様子を伺った。
(……いない)
マイクも、アシュリーも、それらしいやつはいない。
制服姿の『デッド』が、倒れた雑誌の棚に何度も体をぶつけているだけだ。
ここには、もう何もない。
俺は、舌打ちし、その隣を見た。
『DRUG STORE』。
薬局だ。
コンビニよりも、ひどいありさまだった。
正面入り口は破壊され、略奪の痕跡と、血の足跡がべったりと残っている。
そして、その中にも『デッド』の影が、何体も、ゆらゆらと蠢いていた。
(……あそこだ)
ノアの『息』は、あの中にある。
たとえ、こいつら全員を殺してでも、手に入れる。
俺は、バールを握り直し、奴らの死角になっている、破壊された側面の壁の穴から、薬局の中へと滑り込んだ。
ひどい匂いだ。
血と、薬品と、腐臭が混じり合っている。
俺は、倒れた商品棚の影に身を潜めた。
『デッド』は、店の奥、処方箋を受け付けるカウンターの辺りに集まっている。
(……チャンスだ)
奴らに気づかれる前に、棚から棚へ。
目的の『喘息薬』のコーナーへ。
だが――息が、止まった。
そこは、無残に荒らされ、棚は空っぽだった。
『デッド』じゃない。
他の生存者が、先に奪っていった後だ。
(くそっ……!)
いや、まだだ。カウンターの奥。
バックヤードなら、在庫があるかもしれない。
だが、あそこには『デッド』の群れ。
このまま突撃するのは自殺行為だ。
(うまくおびき寄せる……危険は承知だ)
だが、悠長に構えている暇はない。
俺がここで足踏みしている一秒が、地下にいるノアの命を確実に削っていく。
(やるしかない……!)
そう覚悟を決め、一歩、踏み出そうとした、その瞬間。
――背後から、影が覆いかぶさった。
「!!」
分厚い手で、口を荒っぽく塞がれる。
喉に回された腕が、俺の悲鳴を圧し殺した。
(――デッド!)
息が止まる。
(噛まれる!)
俺は、パニックになって、バールを握ったまま腕をばたつかせた。
「静かにしろ、ガキ!」
耳元で、女の、人間の声がした。
俺は、拘束から逃れると、即座に振り返り、バールを振り上げた。
「――待ちな」
そこにいたのは、女だった。
大学生くらいの、黒人の女。
その目は、俺と同じ、恐怖と警戒心でギラついていた。
「……誰だ、お前」
「……アシュリー」
女――アシュリーは、口に指を立てて俺に静かにするよう促した。
そして、店の奥、奴らが集まるカウンターの、そのさらに奥にあるバックヤードの扉を、絶望的な目で見つめた。
「……あんた、どこのガキか知らないけど、とっととここから出ていきな。私の邪魔をするんじゃないよ」




