猫と職
実を言うと、私はつい先日まで無職であった。
諸事情あり職を辞し、残っていた有給休暇を消化したのちに無職となった流れなのだが、そこそこの期間優雅にバカンスを送っていた。とはいっても、猫が居るために旅行にも行かず、ただただ自宅でぐうたらと過ごしていただけなのだが。
考えるに、私のようなインドア派の人間に飼われるのが猫としても丁度良いのではなかろうか。
我が猫は家族が家に居れば居るほど嬉しいという考えを持っているため、毎日無職の人間が居るとご機嫌であり、朝から晩までもっふりぽっふり、上機嫌に尻尾をピンと立てて周りをうろちょろしていたりする。
とはいえ、家族がフルメンバーで何日も自宅に篭る年末から元旦にかけては、途中で家族の団欒に飽きて一人で過ごたがったりなどもするが、この話はまた別の機会にしよう。
今回に関しては単に私という、猫にとってのルームメイトが無職になっただけであったので、猫は毎日ご機嫌であった。
私は無職という自由を謳歌する中で、猫を撫でたり、映画を見たり、猫を揉んだり、アニメを消化したり、猫の尻を叩いたり、本を読んだり、猫のブラッシングをしたり、漫画を読んだり、猫と追いかけっこをしたり、新しくノリと勢いだけの娯楽小説を書き始めたりした。
以前から猫は私が作業をしている時に邪魔をすることは無い。
そこに関しては我が猫はかなり寛容で、映画を見ていても、傍にもっちりと香箱座りで控えて、液晶ではなく液晶に釘付けの私を見守っていたりする。本を読んでいたり漫画を読んでいたりしている時も同様で、私はこれを心の中で後方待機飼い猫ヅラと名付けている。
そんな風に飼い主のことを見守る猫は、猫あるあるでよく聞く、パソコンに乗るとか、テレビの前に立つだとかいう行動を全く取らない。
仕事の邪魔をしてくるという話はよく聞くし、創作する際に作業を妨害してくるということもない。
いつも小説を書く時、私はパソコンで映像作品を垂れ流しながら書くために、全てスマートフォンのメモ帳記入にフリック入力で文章を打ち込み、作品内の登場人物の名前についてはルーズリーフに書き込むというあべこべ方式である。
言ってしまえば、机上をフルに使っている訳だが、そんな時にでも猫は邪魔をしない。
なんなら、紅茶とお菓子まで広げていても、彼はものを落として悪戯しないタイプの猫であるため、安心安全である。
あったとしても、ごくごく稀に膝の上に飛び乗ってきて、一分程度の撫でとハグを要求するくらいだが、それだって一年に一度あるかないかであるし、趣味に時間を費やすタイプのインドア派人間にとっては理想のパートナーと言えよう。
が、私は今回のこのページで、我が猫の優秀さや物分かりの良さを伝えたい訳ではない。
今回、無職から再び有職へと変化する過程に於いて判明したのだが、猫、人間のことを思ったりより理解している。
何故なら、私がパソコンを使って創作のための調べものをしたりしていても猫は我関せず、後方待機飼い猫ヅラを崩さないのだが、転職サイトで検索をしているとすぐに邪魔をしてくる。
具体的にどんな邪魔かというと、すぐ横の棚に乗って爆音ボイスで泣き続ける。足首に抱き着く、膝に手を掛けて脇から顔を出す。パソコンのキーボードに飛び乗る。普段は興味もない筈なのにお菓子を舐めてみるフリを始める。パソコンの充電用ケーブルを齧る。
最後の二つに関しては洒落にならないため、私は即座に再就職のための作業を中断せざるを得ない。
猫の安全と健康を保つよう努めるのは、金で猫を買った人間の義務であるため、すぐに「やめなさい」と注意せねばならないのだ。
そう、たとえ、彼の真の狙いが、私の転職の妨害にあるのだとしてもーー。
11年間、猫と共に暮らして初めて知ったが、我が猫はどうやら、人間が労働することに反対派のようである。
恐らく、彼はかねてから人間の労働というものが気に入らなかったのであろう。予想するに「なんか知らんが毎日あいつは半日くらい居なくなる」とだけ解釈しており、完全室内飼育で過ごしてきた猫にとっては、我々人間は素行不良であったという訳だ。なんてことだ。
彼による飼い主への妨害は熾烈を極めた。求人情報を検索しても、五分と経たず邪魔をしに来るため、人間の雰囲気から何をしているのか察知しているのであろう。
その妨害に傾ける情熱はかなりのものであり、精度もかなり高かったがために「チイッ! 勘の良い……!」などと小悪党のような台詞を吐くに至った。
お察しの通り、私の口から出てくる悪態がそのレベルであるのと同様、言ってしまえば私という人間は三下でしかないため、人間の労働を阻止するという正義を掲げた猫の妨害は成功の連続であった。おふざけであり、はむはむ咥えるだけであってもコードを齧るなと言いたい。いや、言った。言ったが、彼は全て分かってやっているために無意味だった。
最終的に妨害工作の果てに逃亡し、追いかけっこを望む猫をバタバタ追い掛けてスライディングしながら確保し、抱きしめて頬ずりをしながら「働かなきゃあ、オイラもオメェもおまんまの食い上げなんだよォ!」と無様に訴えることで決着がついた。
なんと、我が猫は飼い主の気迫、或いは無様さの前に理解を示し、妨害工作をやめたのである。
だったら最初から説得だけでやめてくれ。
それが飼い主としての切実な願いであるが、この4.5キロのモチモチはいかんせん、抜群にかわいい顔をしているために全てを許さざるを得ないのであった。
さて、そんなこんなで、今年の9月から新しく仕事を始めた訳だが……初出勤の日、無事になんとかこれはやっていけそうだぞ、と胸を撫で下ろして帰宅したところ、家人がブチギレていた。
もうイライラここに極まれりといったところである。
私は驚愕した。
え、なんでそんなキレてんの? と。
「この猫がうるっせぇのよ! 一日中、ずっとニャーニャーニャーニャーと!」
話を聞くと、どうやら私が職を得て家を空けたことにより、猫は「なんであいつが居ないんだ」ということを、朝から晩まで、私が帰宅するまでずっと家人に訴え続けたらしい。
家人はその日、ずっと家で過ごしていたのだが、猫の訴えは絶えることなく、本当に一日中鳴き通しでうるさかったようである。
私はこう訴えた。
「三日前から、お仕事行ってくるねって説明したよね!?」
猫はそんなこと知らんとばかりに私の足におかえりのスリスリをかまして、あざとく可愛い顔を見せている。
長い付き合いだから分かる。これは分かっている筈なのに意味を受け取り拒否していた顔だ。
我が猫が11年間人間と共に暮らしてきたが故に、人間という生き物に対する理解度がそこそこ高いということは家人も知るところである。
故に、家人はブチギレているのだ。
聞き分けがなくてしつこいから。
しかし、家人が猫を悪く言うのは家族として余りにも悲しいことだ。なので、私は猫を抱き上げ、家人にこう訴えた。
「お許しくだせぇ。お許しくだせぇ。この猫っ子はクルミくれぇの脳みそしかねぇんでさぁ。ものの道理もわかっちゃいねぇ。あっしの顔に免じて何卒、今回だけは……!」
「まあ、確かに。クルミくらいの脳みそしかないんだもんな。仕方ないか。それにしても、猫ってめんっどくせぇな……!」
そんな感じでどうにか可愛いグレーのモチモチは無罪放免となったのだが、やかましいのがこの世の何より苦手な家人からは小一時間ほど「牛乳拭いたボロ雑巾ちゃん」という酷い渾名で呼ばれることになった。
我が猫はラグドールのブルーポイントミテッドという猫種と柄だが、顔と耳と尻尾はグレーで、白い靴下と手袋をしている。が、それ以外の背中なんかは何色かというと、胸と腹は白いが、背中の部分はベージュとグレーが入り混じった微妙な色合いであり、まさしく牛乳拭いた後のボロ雑巾のような色合いなのである。否定の出来ない事実であるため、猫を罵る際に家人がよく使う蔑称である。
そんな酷い言葉を猫にぶつけるなんて、と思われるだろうが、猫は猫で常日頃から家人に対する扱いが雑であるため、蔑称で呼ばれても「えっ、私はこんなにかわいいですが?」といったドヤ顔で腹を出していたりする。
なんなら帰宅した私に対して「猫だからなんにもわかんにゃい。おかえりおかえり♡」みたいな演技でぶりっ子までする。
いや、分かってるだろ、お前。