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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第四章:人間領の一手

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第59話:対岸のひと_1


 朝霧が川面でほどけ、渡し場の杭に結ばれた綱がとん、とんと水の拍に合わせて揺れていた。

 荷台には、昨晩選び抜かれた手土産が、クルシュの手による完璧な目録とともに並ぶ。


「出発前点検――壺と箱は?」


 クルシュの声に、全員が一瞬固まる。


「……留守番のはずなのじゃ?」


 イェレナが明らかに目を泳がせながら、くるくると尻尾を回転させている。その様子を見て、ガァトがまさかと荷の影を覗き込み、申し訳なさそうに手を上げた。


「……その、なんだ。箱が、いる」

「何で!?」

「そ、そのぉ……更生プログラムを出張で……なのじゃ」

「それはちょっと……勇気が過ぎるわね」


 ミリアが額を押さえる。流石に、悪気なく悪口を吐いてしまう箱を、他の手土産と一緒には扱えないからだ。

 箱はぴゅーと控えめに鳴き、反省しているふりをした。ふりだと全員が理解した。悪気がないのだから、そこに反省もない。


「仕方がありません。積載ルールを再確認いたしましょう」


 クルシュが板に白墨で番号を書く。


「一、重い物は下。小さい壁、それから器になりたるものは底面固定。二、こぼれる可能性がある物は密閉――食べ物ですね。それから、インク。三。――言葉がこぼれる物は口を縛る」

「箱のことなのじゃな? ……さては今作ったな?」

「まさか、ここにいるとは思いませんでしたから」

「そうね。箱は言葉を吸うだけの状態に、切り替えてもらえないかしら? できるわよね、イェレナ」

「むむ、致し方ない」


 イェレナが箱の裏蓋を開け、ぽん、と一つ破裂魔法を放った。小さな光と、小さな音。


「これで大丈夫のはずなのじゃ」

「本当?」

「理論上は」

「理論上……」


 ウィルが舟の縄を受け取り、荷台をぐっと押し上げる。


「乗れ。――今日は一気に関所まで行く。城門は明日だ」

「了解。……ところで、何で船なの? 飛んでいけばいいのに。ドラゴンに乗っていくとか、境目の直通の門を通るとか」

「中には、それを敵意だと捉える人間もいる。始まる前に終わらせるわけにもいかないからな」

「それは確かに」


 舟のへりに腰を下ろすと、川風が頬を撫でる。渡し守が竿を押し、舟底が水を切る音がしゃり、しゃりと軽く続く。

 ガァトが抱ける壁を背もたれ代わりに抱えると、壁の方が安心しているように見えた。


「変なの。壁が落ち着くなんて」

「壁も緊張するもんだ」

「うーん、それもそうね、職場初日ってことでしょ? 可愛いのね、壁って」


 ミリアが肩をほぐす。


「渡し守よ、朝の花の音を舟に一滴混ぜるのじゃ」


 イェレナが花をひとつ舟首に置き、芯を軽く回す。

 からりと高い鈴のような音。舟板の調子が少し整い、渡し守が「乗り心地がよくなった、ありがとう」と目を細めた。


「便利ね」

「そうじゃろ? 音は舵なのじゃ」


 ――その時だった。


 ぴゅー。


 明らかに舟内から、控えめな不穏な音が響く。


「……今、誰か悪口になりたる言葉を言った?」


 全員が箱を見る。箱はパカパカと蓋を開け閉めし、誇らしげにその場にたたずんでいる。


「私言ってないよ!」


 ミトスは勢いよく両手を振る。


「かっ、風が! 持ち込んだのじゃ!」


 イェレナが皿で風をすくい、鼻をひくつかせる。


「向こう岸から残念なお言葉がが流れてきたのじゃ!」

「箱ちゃんにとって、最悪の環境だったりして……?」


 ミリアが苦笑いしている。


「ずっと、吸っておけばいいんじゃないかな?」


 ソリンがぼそりというと、箱は健気にすーっと吸い続けた。

 ――三秒、四秒、五秒。

 そして、一言も吐かない。


「やればできる子!」

「そうなのじゃ! やればできる子なのじゃ!」


 ミトスとイェレナに褒められて、箱は嬉しそうに蓋をかたかたと鳴らした。その反動で一言、あまり上品ではない言葉が漏れる。


「あ」

「ふっ、不可抗力なのじゃ……」


 箱はかたりと音を立て、表面の色を変えてぴたりと止まった。


 舟が川の真ん中に差しかかったとき、岸影から小舟がぬるりと出た。荷を積み、櫂が音を立てない。

 クルシュが目だけで合図する。


「無音の櫂です。逃げはしませんが、こちらを測っているのでしょう」

「それならば測らせてやろ。見せたいものだけ、だがな」


 ウィルは舟の中央に立ち、荷台の上段――鞘布・書記具・飴――をわざと見せ、器箱は布で半分隠す。ミリアが器の芯をとん・とんと軽く叩き、音を舟べりに回してあくまでも普通であると、その匂いを強めた。

 無音の小舟は一度だけこちらの縁をなめるように回り、しばらくして流れに乗って離れていった。


「こちらの手の内を見られた、ということなのかしら?」

「あくまでも自ら見せた分だけ、ね。だから、ミトスはそんなに心配しなくていいよ。後は勝手に、相手側が妄想してくれる。そんなもの、いらないのにね」


 ソリンは優しい声で爽やかに答え、あっという間に舟は音もなく対岸へ着いた。


 ――砂利の街道に車輪のぎゅ、ぎゅという律動が加わる。道端の草は背が低く、日の光がほどよく差していた。


 ミトスにとって、久し振りの人間領の日の光。懐かしい……と言えるほど日通は経っていないが、それでも魔王領に馴染んだ身にとって、それは何年も昔に見たような、眩しい光だった。


 ガァトは先頭で道の石をどかし、ミリアは後方で蜂蜜瓶の蓋の緩みをチェックする。クルシュは歩きながら目録を更新し、ソリンは周囲の丘の影を測る。

 イェレナは荷台の上で箱を抱えて座り、箱は大人しく、どこか遠くから飛んできた言葉を『吸うだけ』。

 ウィルとミトスは、その後ろを、警戒しながら歩いていた。目線は目の前に、耳は周囲に。

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