第53話:招かれる客_1
昼の鐘が二度鳴り、城の高窓を春の薄雲がゆっくり流れていく。玉座の間はいつもより静かで、花鉢の和音も会議のための低さに落ちていた。
ウィルは段上の椅子に浅く腰をかけ、封蝋の硬い音を一度だけ鳴らして封書を開いた。百合十字の亜種――人間領の紋章。輪郭は強く、線は硬い。
「人間領主催『友好交流会』への招待。会期は十日、会場はカリス王城第二広間。参加者は『王侯及び相応の随員』のみ」
読み上げたクルシュが紙面から目を上げる。
「なるほど、これは……。末尾に『元勇者ミトス殿の参加が叶えば喜びに堪えず』とございます」
「やぁね、その言い方。返還の遠回しじゃない。ハッキリ言えば良いのに。『やっぱりミトスを返してください』って。……もちろん返す気なんてさらさらないけど」
ミリアが腰に手を当て、首の骨をゴリゴリと鳴らした。
「友好なら、上辺だけでももっと可愛らしく書くものよ」
「そのとおりなのじゃ、中身は空っぽの形式だけなのじゃ。誰もそんな紙は信用せんがのう」
イェレナが花鉢の陰にちょこんと座って紅茶をすする。尻尾がカップの拍に合わせてフリフリと反応した。
「それとな。『相応の随員』という言い方は、結局は『誰を連れてこい、誰は連れてくるな』――と言いやすくなる魔法の言い回しなのじゃ。人間領ではのう」
剣布で刃の腹を拭いていたソリンが、顔だけ上げる。
「で、どうするつもりだい?」
ウィルは封書を閉じ、段を下りた。
「――もちろん行く。こちらの足で、こちらの歩き方で。条件は三つ。護衛人数の制限なし、滞在地の選択権はこちら、ミトスの呼称は元勇者ではなく『魔王の婚約者』で」
クルシュが即座に書き留め、短く頷く。
「当然でございます。返書、今夜には発つよう手配いたします。文言は柔らかく、意味は固く、ですね」
視線が自然にミトスへ集まった。胸の真ん中が、ひと呼吸分だけきゅっと狭くなる。
人間の城――あの村の冷たい石、勇者の部屋の薄い毛布、友好的に笑いながらも突き刺す視線。今は何よりも遠いと思っていた景色が、封書一枚で手の届く距離へ滑ってきた。
「……呼ばれたのならば、私は招かれます。ウィルの婚約者として、この領の住人として」
自分の声が思ったより落ち着いていて、ミトスは少し驚いた。
「今度は、誰かに押されてじゃなくて、自分の足で外に出るの。みんなと一緒に」
ミトスの言葉に、その場にいた誰もが優しく微笑んだ。
「分かった。夕刻に、大広間へ集合するように」
――夕餉前の大広間は、紙と花と革の匂いで満ちていた。
長卓の端には、クルシュがまとめた『外交儀礼・魔王領式 超入門』。それを目にした全員が『そんなものあったのか』と、面を食らっている。
クルシュ作成とあり、中身はしっかりしている。『相手の称号は尊重/こちらの称号は譲らない』『善意の押しは歌で受け流す』『笑顔の威嚇は有効』――図解つきで読みやすいのに、付き合いには容赦がない。
「衣装を決めましょう。ウィルは襟飾り控えめ。ミトスは動けるけれど可愛らしい式服。ミリアは出しすぎぬ肩」
イェレナが真剣に指示を飛ばす。
「ソリンは黒の軽礼装に剣一本。クルシュは記録帳と封蝋具。ガァトは礼装に大きめの外套、手は空けるのじゃ」
「もしかして、外套は威圧?」
とミリアが問う。
「包容なのじゃ。何でも包めそうじゃろ?」
「アタシの肩は?」
「不埒な輩が多そうじゃからのう……。やっぱり肩はしまうのじゃ」
「あの……手土産は?」
ミトスが控えめに問うと、候補が一斉に飛び交う。
「蜂蜜菓子!」
「茶葉!」
「心臓果の砂糖漬け!」
「ウィル様の筋像!」
「最後の誰得よ」
「筋肉は世界の言語だと思ってる」
ガァトが真顔で言って、みんなの視線にすぐ照れ笑いした。
仕切るように、イェレナが手のひらをぽんと打った。
「こちらの器を一つ持って行くのじゃ。安らげる場所があれば、疲れてもすぐに休めるからのう」
「……それ、いいと思う」
胸の奥に小さく火が灯る。押しは線。灯りは点。器の点を相手の街に置けたら――ここへの帰り道が一本、増える。
「それならば、向かう際の導線はこうしましょう」
クルシュが王城の図を広げ、石を置いていく。
「正門、第二門、貴賓口。最短と最安全は一致いたしません。場の温度を見て選びましょう。広間・控え・客間に器を三つ。一つでは足りません。――イェレナ、花の音を朝用・夜用で変えられますか?」
「容易いのじゃ。朝も夜も、どちらも帰りを待っておる。喜んで同行するはずじゃ」
「それは良いお話です」
クルシュの口角がわずかに上がる。
「ミリア、宴席の温度管理はお任せします。酒量・会話の速さ・椅子の並び――全てが、アナタの手の上に」
「得意分野よ。焦がさず弱すぎず、香ばしくいくわ」
「ガァトは壁を。通路の角、扉脇、視線の起点に立ちましょう。笑顔と牙を使い分けをお忘れなく」
「わかった。笑えば平和、牙なら治安を優先ってこったな」
「護衛の先頭はもちろん僕だよね」
ソリンが当たり前のように言い放ち、それに対して誰も異を唱えなかった。彼に任せれば、何も問題ないことを誰もが知っている。
「背中は任せてちょうだい。それくらいできるわよ」
ミリアがウィンクし、ガァトが拳を合わせる。
全てが大方出揃ったところで、ウィルが短くまとめた。
「想定外は早めに。悩むな、聞け。そのために、私がいる」




