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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第三章:羽根と約束

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第49話:潮騒と祈りの鎖_2


 ウィルの瞳が一度だけ細くなる。

 押しの作る線は、匂いを薄める。人の目も、音も。同時に器物は不快を覚える。この船乗りは、騙されたのか、それとも嫌われたのか。


「ありがとう」

「い、いえ……」

「よい働きなのじゃ。ほれ、銀貨一枚」


 イェレナがひょいと投げると、船乗りは慌てて受け取り、ポケットの中で確かめる。


「本物……!」

「褒美はいつでも。働きに応じて」

「ありがたき幸せ……! これからも魔王様についていきます!」

「あっはっはっ! 現金なヤツじゃのう。いや、いいか、そっちのほうが可愛げがあるのじゃ」


 隣の老店主がニヤリと笑い、グラスを新しいのに取り替えながら囁く。


「礼拝堂跡に用があるなら、昼前がいい。海風が崖を乾かして、足跡が一番読む方向へ向く」

「助かる」


 ウィルは短く礼を述べた。


 帰りがけ、奥のテーブルで酔った水夫が立ち上がり、突然ミトスへコップを突き出した。


「ミトスちゃん! 一杯いっとくか! 港の流儀だ!」

「え、あ、いえ、私は」

「ミトスにお酒は駄目なのじゃ」

「なんだ、そんな年だったか?」

「えっと、十八、です」

「なんだ、じゃあ問題ねぇ」


 水夫が店主のほうを向くが、店主も頷いている。ミトスのいた国では、十八から酒が解禁される。魔族領も同じ十八からだ。ほとんど形だけだが、人間のために規則を設けている。

 それを聞いたイェレナが小鈴をチリンと鳴らす。


「昼の労働の前に酔いは毒。飲むなら夜にしっかり飲むのじゃ。お主らのように、大人の時間じゃからのう」

「何て言い草だ」


 水夫が赤い顔でガハハと豪快に笑う。


「勘違いするでないぞ? 大人の時間は、大人が皆を待ち、誰も一人にしない時間のことじゃ。家族が揃い、子どもたちは親に甘える。……たまには、早く帰ってやるんじゃな」

「そんな説教臭いこと言うなよ。な?」

「帰る場所が、灯りで『一人じゃない』と言うことじゃ。誰も家にいなくとも、そもそも家が待っておる。――港の連中は全員、覚えて帰るのじゃ」


 水夫はぼんやりとしてから、ぽんと手を打った。


「なるほどな! じゃ、夜にまた来いよ、勇者ちゃん!」

「う、うん……? 機会があれば……?」

「お主、わしの話を全く聞いておらんかったじゃろう!?」


 笑いと拍手が広がる。音は厚いのに、刺さない。港は、こういう音で朝を始める。


 ――丘の斜面は、深夜の霧雨でしっとりしていた。

 礼拝堂跡の石壁は、半分が苔に覆われ、半分は露出した骨のように白い。風は乾いているのに、土は湿っている。そんな矛盾が足首の温度でわかる。

 先にこの場に着いていた、ソリン、ガァト、ミリアが、後からやってきたミトスたちに手を振って迎えた。


「……静か」

「静かすぎるのじゃ」


 イェレナの耳が、音のない音を拾うが如くピクピくと動く。 ソリンはしゃがみ、石と石の間、僅かに沈んだ土を指で撫でた。


「足跡。これは昨日の深夜以降のものだ、跡がよく残ってる。――へぇ。雨の膜が上、土の膨らみが下。二人分。軽いのと重いの」

「軽いほうは踵から入っていない。半靴。……子ども、か、あるいは足慣れた女の人か、凄く細身か小柄な男性。走っていた可能性もあるけど、歩幅は狭いね」


 ミトスは屈み込み、自分の靴を横に置いて比べてみる。幅が少し狭い。重いほうは、踵に癖がある。内側に少しばかり寄っている。


「荷物を抱え、なおかつ。その状態に慣れがある歩き方じゃな」


 ソリンが祭壇の裏へ、視線で合図する。

 そこだけ、土が盛り上がっていた。ガァトが細い鉄の棒を刺す。中は空洞。湿った匂いがむわと立ち上がる。

 ミトスは息を浅くし、指で土を崩す。泥藻の匂いがほんのり混ざる――港の泥地特有の甘くない甘さだ。


 出てきたのは、港で見た札と同じ形、だが縁に赤い刻印が押されている。百合十字の亜種。線が増え、輪郭が強い。


「……上位通行印。印刷型の親じゃな」


 イェレナが目を細め、鼻を鳴らす。

「匂いは空ほどではないが、芯がある。押しの線を束ねる目印じゃ」

「あぁ。これで、港から礼拝堂、礼拝堂から学校へ、正しい方向に見せかけた道を作る」

「善意の顔の押し、か。人間たちも、趣味が悪いね。ウィルもそう思わない?」

「こいつらに難があるだけだろう」

「弟君は優しいなぁ。僕と違って」


 わざとらしく笑うソリンを一瞥し、ウィルは鼻を鳴らした。

 ミトスは札を見つめ、喉の奥が少し渇くのを感じた。


 ――善意に見えたときほど、押しは強い。

 ――だから、歌にしか解けないことがある。


「足跡、もう一つあるみたいだね?」


 ソリンの声。祭壇の脇、壁に寄った位置に、薄い擦過痕。誰かが背を預け、そこで重心を移した印だ。石に残る、布と革の匂い。

(……師匠なの? それとも……)


 胸の奥に、古い稽古場の空気が淡く射す。汗と革と、刃を磨いた油の匂い。名を呼ばず、呼べば崩れる距離で、その背中が立っている。


「戻るぞ」


 ウィルの声が、戻るべき高さに降りてきた。


「港の線とここを合わせれば、相手の通り道が見える。――急ぐ必要はない。待って、正しく迎える」

「うん」


 ミトスは札の赤を見て、深く息を吐いた。押しの線は強い。しかし、灯りの点は、もう増え始めている。

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