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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第三章:羽根と約束

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第48話:潮騒と祈りの鎖_1


 夜明けの港は、昨日の式典の余韻をまだそっと抱いていた。

 灯籠の残り火が紙の内側で細く息をし、潮に混ざる蜂蜜の香りが、深く吸い込むたび胸骨の内側を甘く撫でる。桟橋の板は冷たく、でも乾いている。きしむのではなく、靴底に拍を渡すような控えめな音を返す。


「眠そうだな」


 ミトスの横に並んだウィルの声は低く、潮騒と同じ高さで流れていく。


「……少しだけ、だよ。本当に、少しだけ」

「昨日は夜遅くまで宴が続いていたからな。……それに、昼間だって港の婆様たちに捕まっていた。あの人たちは、なんというかその、話が長い」

「優しいから、つい……」


 くすりと笑えば、肩にそっと温かい重みが乗る。見上げると、全てを見通すような瞳が一瞬だけ和らいで、すぐに海のほうへ戻る。


「……そんなに強く抱きしめたら、目立つと思うの」

「構わない。魔王が誰を守ろうと、領民は安心する」

「守っているように見えるかしら?」

「見えないとは言わせない」


 ミトスを抱き上げ、額をすり合わせる。お互いの息がかかり、くすぐったさにどちらも笑った。


「人一人守れないで、魔王は名乗れない」

「ウィルはみんなを守ってるよ。ずっと。それは誰もが知ってるじゃない」

「それはあるが――」


 呼吸一拍ぶんの間。


「お前だから意味がある」


 心臓が、潮鳴りよりひとつ大きく跳ねた。言葉はうまく出ない。代わりに、遠くでカモメが「もう朝だよ」と言うみたく二度鳴いた。


 桟橋の端で、イェレナが尻尾を旗のように振っていた。最近は機嫌がいいのか、いつも尻尾を振っている。

 彼女の機嫌が良いに越したことはない。でなければ、町中の甘味がなくなってしまう。


「遅いのじゃ! 朝市は半分終わっておるぞ!」

「ごめんね、イェレナ」

「遅くなってすまない」

「む。許してやらんこともない。その代わりに、これを見るのじゃ」


 差し出した小箱の中には、泥藻の粉が乾いてこびりついた通行札。角はすり減っているが、紙質はまだ新しい。


「今朝、密輸船の荷から押収なのじゃ」

「渡り祈りと同じ系列? って、これ、あの男性に関する物じゃないの?」

「おそらくそうじゃ。あのおまぬけが関係しておるのう。匂いが似ておる。だが、こちらは空の祝詞より押しが薄い。道しるべ寄りじゃ」


 ウィルが顎に手を当てる。少し考えながら、口を開いた。


「港で聞き込みをし、礼拝堂跡で足跡を洗う。二手に分かれて効率を上げたほうがいいだろう」

「なら、わしはミリアとソリン、ガァトに声をかけておくかのう。人では多いほうがいいじゃろうて。クルシュは連絡係に」

「なら、私が」


 そう言うと、ウィルは軽く首を横に振った。


「いや、私と一緒に来い。――悪意でも善意でも、その手の混雑は、私のほうが慣れている」


 ――港の酒場の看板は、錆びた鉄に白いペンキで『舌』とだけ残り、潮風で『カモメの』の部分はほぼ消えかけている。

 扉を開けると、朝なのに夜半のようなざわめきが、麦と塩の匂いと一緒にどっと押し寄せた。笑い声、サイコロの音、カードの切り音、誰かが古い歌を半端に口ずさむ声――音の層が厚い。


「人が多い……」

「港は朝からこうじゃ。静かな朝は嵐の前日なのじゃ」


 イェレナが人の間を水のようにすり抜け、するりとカウンターの上へ跳び乗る。

 片目に眼帯の老店主は、磨き上げたグラス越しにこちらを見て、片眉を吊り上げた。


「ほう、魔王様。こんな朝っぱらから視察とはまめだねぇ」

「それが仕事だ」

「おっと、嫌味じゃあないさ。気を悪くしたらすまねぇ。魔王様が直々に来て下さるからこそ、ここは平和なんだ。感謝してるんだぜ、俺たちはな」

「それならば安心した」


 ウィルは必要な分だけ王としての声で返し、すぐ普通の低さに落とす。店主の視線に、客たちは持っていた杯を掲げ、ウィルたちに向かって乾杯する。


「それと、質問がある。――これに見覚えは」

「あるものは、すぐ反応するのじゃ」


 イェレナが通行札を掲げるより早く、奥の角卓で若い船乗りがびくっと肩を跳ねさせた。

 その反応を見落とさず、ウィルの影が音もなく横へ滑る。


「落とし物か? それとも最近よく見る紙の類か?」

「ち、違う、いや違わねえ、けど違うんだ!」


 若い船乗りは意味のない否定を二つ重ね、慌てて口を押さえた。

 周りの酔っ払いが「違うらしいぞ!」「違わねえらしいぞ!」「なんだ、どっちだよ」と面白がって囃す。


「三日前だ……礼拝堂跡で、似た札持ちの二人組を見たんだ。片っぽは人間、背が高くて痩せてた。もう片っぽは――」

「フードを深うかぶった、いかにも怪しいヤツ、じゃろ?」


 イェレナが尻尾をぴたりと止める。


「お、おう。気配が薄いのに、足音は重かった。なんて言うかこう、わざとらしいが、気味の悪さがある。……荷物は布で包んであって、時々、中で金属のぶつかるみたいなが鳴った」

「ほぉん。札と金属の組み合わせ。印刷型、あるいは型を固定する鋳枠じゃな」


 ミトスがメモに簡潔に書き込む。どんな些細なことでも、情報には感謝を示す。


「他に覚えていることは?」

「礼拝堂の裏手まで行って、そこで急に姿が消えた……いや、違う。見失った、が正しい。道は一本なのに、ふっと存在がなかったことになったみたいに。空気が薄まるみたいな、そんな感じだった」

「……薄く、か」

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