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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第三章:羽根と約束

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第43話:人間領からの逆風_2


 泥藻印の男、出頭。『魔族領は歌で裁いただけ』との供述。空の祝詞は善なる導きであると再確認。次回より、関係者は通行前に善行の言葉を唱和すること――』


 騒動はすぐに回る。最初に聞いた通り、泥藻の印の効果は絶大だった。人間たちは、魔王領に興味がある。それが善でも悪でも、大でも小でも関係ない。


「ふふふっ」


 ミリアが鼻で笑う。


「唱和ですって。善意の制服は着心地が存外悪いものなのね」

「見た目でしかないからのう。中身がない。上辺だけは皆好まぬ」


 イェレナはレポートの端をつつき、目を細めた。


「それで、砂狐の同僚は噂するのじゃ。『泥に四度落ちたヤツのせいで、検問が増えた』とな」

「砂狐は? あの後どうしたの?」

「沈黙。……ただ、帰り際に、器の縁をちょいと拭った。『匂いが強すぎる』と言ってな」


 ミトスは、胸の内で小さく息を吐いた。

 拭った、ということは、そのぶん効力が落ちているということだ。昨日の一件は、たった一晩で本当に効き始めている。


 そこへ、港から第二報が届く。

 人間領の慈善の集いの倉庫で、印刷型の一部が押収されたという。

 押収したのは、向こうの別の港湾ギルド。


 ――人間たちの石の違いが、静かに衝突し始めた。

 ウィルが机越しにミトスを見た。


「この割れ目は広がっていくだろう。灯りだけを信じるように。決して煽るな」

「うん」

「ミトスだけではない、お前たちもだ。無駄な争いはしたくない。約束は守る」


 昼下がり、城下に戻る道すがら、甘い匂いが風に混ざる。

 蜂蜜菓子屋の前で、客の列が蛇のように曲がっていた。看板の鈴は気持ちよく鳴り、屋号の彩色も新しい。

 ミトスは列に目をやり、ふと眉を寄せた。


 列の途中――犬獣人の少年が、手に銀貨を握ってじっと耐えている。

 前に割り込もうとした男がいて、店の小間使いが困っている。

 声を荒げるでもなく、だが悪意と思わない勝手な善意が、列を少しずつ汚していく。


「お兄さん、順番は……」

「善いことのために先に買う。小さな子にもわけるんだ。子どもにわけるのは、善いことだろう?」

「なら、列で善く待ってください。横入りは悪い、ですよ」

「悪い? 善いが勝つに決まってる。善意が勝ちだ」

「でも、後ろには子どもが」

「なんだって? 大勢のほうが大事だろう? 俺のほうは沢山だ、沢山の子どもが待っている」


 小間使いの声は震えて、押し負けそうだ。


「のう、ここは客礼なのじゃ」


 イェレナが鈴を一度鳴らし、ちょこんと店台に乗った。


「よく聞いておれ。待つは灯り、押すは刃。――《花歌い》をここで、ひとさび」


 ミトスは短く頷き、市場版の一節を歌に落とす。


「待つことは、未来を増やす」

「押すことは、器を欠けさせる」

「善は悪を覆わない」

「悪は善を利用する」

「あなたの善悪はどっちに堕ちる?」


 花鉢はない。けれど、蜂蜜の匂いは花の代わりを果たし、鈴が和音を作る。

 列が、静かに整った。割り込もうとした男は、自分の銀貨を見つめ、ふっと肩を落とした。


「待ってて、くれる?」


 息を吸い込んだ、ミトスの一言。


「……わかったよ。待つ」


 小間使いがほっと笑い、犬獣人の少年に目で合図する。


「ありがとう。……待ってて、って、いい言葉だね」


 少年がぽつりと言った。

 ミトスは胸の内で頷く。灯りは、こうやって街の隅に置くものだ。


 午後の会議までに少し時間がある。

 ウィルが石段の影で立ち止まり、ミトスの額にかかる髪を、潮風のような手つきでそっと払った。


「……ありがとう」

「髪より、心の皺を伸ばせたか?」

「うん。伸びた」

「よし」


 それだけで、胸骨の内側がふわりと温かくなる。心拍は揺れ、誰が見ても二人の関係は変わらない。

 イェレナが遠くから大げさに咳払いをした。


「じれったいのう。さっさと婚儀を組まんか」


 ――午後、控えの間。

 港・礼拝堂跡・学校・市場――それぞれの接点から上がってくる善意の痕を洗い、歌でどこを潰し、剣でどこを迎えるか整理する。


 クルシュが地図を広げ、ミリアが印を置き、ガァトが危険度に応じて見回りを増やす。

 イェレナは金の輪で低い和音を保ち、ミトスは灯りの歌の短い断片を地図の要点に結んでいく。

 最終確認はソリンとウィル。手は抜かない。見落とさぬよう、慎重に事を運ぶ。


「のう、善意の押しは線で来るのじゃ。灯りは点で置くのじゃ。――点が多くなれば、線はほどける。それは勝手に」

「ですが、点を急いで増やしすぎると、また急かしになってしまいます。取りこぼしはできるだけないように。それがこちらの希望です。」

「うむ、わかっておる。もちろんゆっくり急ぐのじゃ」

「矛盾してる」

「真理はいつも少し矛盾しておるのじゃ」


 そこへ、人間領サイドの続報がやってきた。

 砂狐が、連絡会の後、港の器の縁を一つひとつ拭いて回ったという。

 「匂いが濃いと、子どもがそわそわする」と、理由も添えて。


 その姿を見た別の派閥の商人が、彼に温いスープを差し出した――というメモも。

 ウィルは書面を読んでから、ふっと息を和らげた。


「泥は、剣より効くということか。自分の仕事と状況を、よくわかっている」

「頑張ってくれたなら、謝礼を出すべきかしら?」

「同意だ」

「……丸くなったのう、ウィルよ」


 同じ言葉で笑える今が、少し誇らしい。


 会議の終わり、クルシュが小声で告げる。


「――白金の背中、夕刻にまた礼拝堂跡の境界を見に来る、との風が吹いております」


 ミトスの指先が少し冷たくなり、すぐに温かくなる。

 ウィルの目が、やさしく鋭く、同時に細くなる。


「歌の境界は整えてある。……怖いなら、言え」

「言うよ。怖い。――でも、会いたい。直接、ちゃんと聞きたいことがある」

「よし」

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