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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第三章:羽根と約束

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第41話:潜入者_4


「さて! 皆様お待ちかね! 『花歌い』のお時間なのじゃ!」


 イェレナの声が、夕風に軽やかに乗る。


「本日の演目は見張りに来て泥に三度落ちる男なのじゃ!」


 わぁ、と笑いが起きる。噂はとっくに回って、誰もが彼を知っていた。

 砂狐の頬がピクリとしたが、俯かない。

 ミトスは息を整え、ゆっくりと歌を置いた。


 『見張る目』と『見守る』の違い。

 『押す祝詞』と『待つ灯り』の違い。

 『外から線を引く手』と『内側から結ぶ手』の違い。


「さぁ、どうかな」


 歌は責めない。

 歌は、嘘だけを嫌う。


 花が、真ん中の音で揺れ、次に、低い鈴を混ぜる。

 砂狐の肩が僅かに落ち、一拍遅れて口が開く。


「……見に来た。壊すつもりは、少なくとも『今は』なかった」


 花が、甘くも苦くもない音を一度鳴らす。

 ――これは、嘘ではない。だが真実でもない。


 観衆がざわめき、イェレナが補足を入れる。


「おやおや、なるほど。半分なのじゃな。……よいのじゃ、半分も歌えば次がくるのじゃ」

「……」


 砂狐は黙り込む。


「……だが若造よ。次に嘘は禁物じゃ。……さもなくば、お前が滅ぶ」


 イェレナが開いた口の端に、小さな牙が覗く。彼女はケット・シー。人間の幼女の見た目をしていても、その力は絶大だ。


「わかってる」


 砂狐は唇を噛み、次の言葉を探す。

 ミトスはあえて助けない。助けないことが、誠意だとわかっているから。


「……背中を見た。その……その名前は伏せられていた。俺は、あの背中に従うのが正しいと思ってきた」


 花が、低い鈴を二度鳴らす。

 観衆の空気がほんの少し柔らぐ。

 ミトスは歌を少しだけ明るくして、最後の節に帰り道の灯りを置いた。


「あなたもね、一人じゃないよ」


 それから、高らかに歌う。


 『帰って、話せ』

 『泥の音』も、忘れるな。

 『笑われたこと』は、お前の罪ではない。


 ――お前の『線引きの浅さ』の結果だ。


 花が紡ぐ音に沿って、人が笑う。

 いつの間にかその笑いは、嘲笑から愉快な笑みへと変わっていた。


「ただ、泥にはまっただけ。それなら、きっと誰も怒らない。恥じたとしても、未来はある」


 歌が終わり、記録官が小さな声で裁を告げる。


「客礼破りおよび潜入未遂。罪は軽くはないが、今日の半分の歌を酌量し、帰還を許す。ただし、帰りの通行札に泥藻の印を添える」


 会場が爆発した。適切だと認める破裂音。

 子どもたちは「泥!」と叫び、太鼓屋は律儀に三拍子を入れる。

 砂狐は、やけのように笑った。肩の力は抜けている。


「……覚えてろ。いや、忘れろ。……なぁ、どっちだ?」

「忘れるわけなかろう。わしを誰だと思っておる。それに、この泥は学びなのじゃ。お前こそ、忘れるでない」

「言葉を、咎めないのか?」

「それはお主次第」


 イェレナが満面の笑みで手を振る。


「帰って、ちゃんと話すのじゃぞ。空の祝詞は善意の顔をした『お前そのもの』なのじゃ、と」

「誰に?」

「もちろん、祝詞の主に」

「それは」

「ミトスの師匠でないことはわかっておる。お主だって、知っておろう?」


 砂狐は一度だけ頷いた。

 そして、舞台の端で足を滑らせ――四度目の、泥藻。

 港の太鼓が、完璧なタイミングでドン・ドン・ドン・ドン――と場を湧かす。

 もはや様式美の光景に、砂狐さえ『やれやれ』といった顔で笑った。


「……なぁ元勇者様。あいつは何か言ってたか?」

「おそらく、忠告を。根は変わらなかった。親切で、皮肉屋で」

「そうか。じゃあ俺からも一言。今はもう、人間領より魔王領を信じたほうが良い」

「知ってる」

「そうだったな」


 ミトスは笑う。その笑みに「今はあなたも信じる」と書かれているようで、砂狐もまた笑った。


 魔王領の夕暮れは、笑いと、少しの直しの歌で締め括られた。


 ――すべてが落ち着いた夜。


 回廊の灯が石壁に揺れ、庭の花が静かな和音を保つ。

 ミトスはベンチに腰掛け、深く息を吐いた。


 隣にウィルが座る。距離は近く、だが触れることはない。

 近すぎず、でも、手を伸ばしたら届く。もどかしくも、恥ずかしくもある。


「……大丈夫か?」

「うん。泥の匂いがちょっと鼻に残ってるだけ。なかなか、思ったよりも強いのね」

「そうかもしれない。だが、安心しろ。それは明日には甘い匂いに変わる」


 ミトスが笑う。


「今日の泥はちょっと、やりすぎじゃなかった? あんなにはまるなんて思わなかったもの、ビックリしちゃった」

「何、問題ない、適量だ。泥は、剣より効く時がある。……見ただろう? あんなふうに」

「それ、魔王の台詞?」

「私の個人的な見解だ」


 ふっと、二人の肩が近づく。

 境界は保ったまま、心の距離は半歩、前へ。


 回廊の向こうから、イェレナがぴょこぴょこと走ってきた。


「のう、甘味の時間なのじゃ! 正しい制裁が下った後の甘味は、これまた格別じゃからのう!」

「もう、イェレナったら。さっき食べたのに」

「あんなに面白い歌の後の糖は別腹なのじゃ!」

「いつも別腹だろう?」

「ウィルは黙っておれ!」


 笑い声が、夜の城に柔らかく広がる。

 遠く、港の鈴が二度鳴った。

 海の向こうでは、誰かが名でくる準備をしている――そう、背中でわかった。

 でも、今夜はこの家の音を聞く。


 花の和音、甘味の皿の艶やかさ、一緒に歩く足音。

 無礼には無礼を、笑いで終わるのが一番いい。

 明日の剣と歌は、そのあとでいい――

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