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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第三章:羽根と約束

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第39話:潜入者_2


 ミリアの声が響き、呼ばれるままに巨躯が通りを塞ぐ。

 ガァトの両腕が梁のように伸び、逃げ道が文字通りなくなる。これは避けられない。

 男は睨みながら舌打ちし、横の路地へ走った。軽やかに、正確に。

 そこは、港へ抜ける細い坂道――春の雨を吸った泥が、まだ乾き切っていない。


 嫌な予感が背筋を走った。


 ミトスは男を追いかける。彼を守るために。


「だめ! そこ、足場が――」

「……な、っ……!?」


 間に合わなかった。

 男の足が泥にとられ、右足だけが半歩沈む。

 体勢を崩し、反射的に左へ重心を逃がす――その先に、泥藻どろもが待っていた。

 港の近くの泥地にだけ生える植物だ。踏むと泡を吐き、泥の表面が一瞬だけぬるりと動く。その動きは何者も逃さず、誰にも止められない。


「っ、ぐ……!」


 男の身体が回転し、盛大に前のめりに――顔から、泥へ。

 ずぶっ、という見たくもない音。


 その見事なはまり方に、観衆の口元が、一斉に引きつってから、爆発した。


「わぁぁ……」

「あーあ」

「見た?」

「……のう、『天罰が下る』とはこのことなのじゃ。人間の神も、なかなかやるのう」


 イェレナが両手を腰に当て、すました顔を天に向ける。


「泥藻はな、春先に泡を多く含むのじゃ。見栄えと音が最高なのじゃ。身をもって経験した今の気持ちはどうじゃ? ほれ、言うてみい」

「やだイェレナ、最高は言い過ぎ」


 ミトスは苦笑しつつ、すぐ真顔に戻る。

 泥まみれの男が立ち上がろうともがく。泥は粘り、膝から下を吸い、短剣に手を伸ばす動きも鈍い。

 ソリンが一歩前に出る。鞘の腹で、泥から抜けてきた手首を軽く叩く。男に鈍い痛みが走り、指が勝手に開いた。


「やめておいたほうがいいよ。怪我をするのは、君だ」

「クソがっ……!」

「それだけ元気なら大丈夫だね」

「よしよし。それでは、花歌いにかけるのじゃ」


 イェレナが指を鳴らす。

 簡易の花鉢が屋台から二つ、ひょいと差し出された。花売りの少女が目をキラキラさせている。


「つかうんだよね?」

「そうじゃ。いつも助かる」

「えへへ、おやくにたてて、わたしとってもうれしい!」

「可愛い子じゃ」


 イェレナは同じような背丈の少女の頭を撫でた。


「のう、悪しき人間よ。ここは魔王領、花と歌の街なのじゃ。詫びるなら今じゃぞ。詫びずに暴れるなら、泥の追加サービスをくれてやる」

「歌だぁ? 泥で遊んでろ、死にぞこないの獣どもが」


 男は笑い、暴言を吐き捨てる。勢いのまま泥から足を抜くと、観衆の脇を押しのけて突っ切ろうとした。

 その瞬間、ぬるっとした地面に足をとられた。


 泥藻の二段。


 足の裏が空を掴み、身体が半回転する。今度は後頭部から泥へダイブ。


 べちょ。


 鈍くて軽い音が響く。


「うわぁ……」


 呆気にとられる声とともに、港の子どもが「音、きれい!」と純粋に拍手する。

 大人たちが耐え切れず吹き出し、笑いが連鎖する。


 男は泥にまみれた顔を上げ、目に入った泥を乱暴に拭った。

 逆上している。

 短剣は失い、投げ刃は泥の中。

 それでも腰から細い針を引き抜き、ミトスへ向けて腕を振った。

 反射。


「花嫁が、守られていないとでも思った? そんなわけないよね? ……おばかさん」


 ソリンが笑う。

 ミトスの足が半歩下がり、肩の力が抜ける。ここで覚えた剣技を披露することを選び、ミトスはリズムをとった。

 三・五・三。

 花の和音が胸骨に沿って鳴り、針が来る角度が見える。

 当てて、逃がす。剣の腹で針を払う。針は方向を失い、泥へ吸われた。ミトスは剣を収める。


「無駄です」


 ここは魔王領、花と歌の街。

 刃の音で終わらせる必要は、ない。


「……降参を」


 声は静かに落ちた。慈悲深い言葉に、無慈悲な音。


「断ったら?」

「彼女に対する無礼を、ここにいる誰もが許さない」


 ソリンの言葉に、その場にいた人間たちの視線が、一斉に男へと向けられる。色も光もない、視線だけ。

 もちろん、仲間たちも見ている。誰一人、男をこのまま逃す気はなかった。


「けっ。これが四面楚歌ってやつか」


 男は荒い呼吸のままミトスを睨み、次の瞬間、観念したように肩から力を抜いた。


「……捕まるのは仕事じゃないんだがな」

「悪いようにはせん。街に嫌われたくなければ、大人しくするほうが得策というやつじゃ」


 イェレナが泥の縁に腰を下ろし、尻尾でリズムを刻む。


「さて、魔王様の元へ連行なのじゃ。歩けるか?」

「歩くさ」


 男は泥をがばっと払い、立ち上がった――瞬間、足がずるっ。

 三度目の泥藻。


「なんてこった」

「あいつは運がないな」

「流石に三度は……もうちょっと、周りを見たほうがいい」


 人は三度笑う。

 市場は歓声に包まれ、太鼓屋がちゃっかり拍を刻み始めた。


「のう、これなら前の勇者に仕えていたころよりも、有名になれると思わんか? お主、よく見れば目立ちたがりな顔をしておる。その格好に似合わず」

「イェレナ、煽らない」

「煽ってなどおらぬ。これが真理なのじゃ」


 城へ向かう道、男の両手には簡易拘束具がつけられていた。逃げ出す気配はなかったが、建前としての記号だ。

 ガァトが無言で先導し、ミリアが後ろで監視し、ソリンは横で歩調を合わせる。

 ミトスは少し離れた位置から、イェレナとともに様子を見た。


「……何だか歩きづらそう」

「あの泡がまとわりついておるのじゃ。自業自得」

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