第37話:愛しいの声_2
「……少し、話をしようか」
ウィルはミトスを窓際まで連れて行く。窓の外には、部屋へ入ることを迷っていた時と変わらぬ、煌々と魔族領を照らす月。虫の鳴き声は消えて、風がヒュウヒュウと屋根を撫でる。窓を開けると、ゆっくり、温かな風が中へ入り込んでくる。
「ミトスが来てから、幾らか時間が経った。もう、ここには慣れただろうか?」
「そうね、随分慣れたと思うわ。みんな優しいし、いつも私のことを気にかけてくれるし」
「それならばよかった。思ったよりも時間が取れなくて、なかなか一緒にいる時間も増やせなかったから、心配していたんだ」
「ウィルはこの領の王様だから。仕方のないことよ。それに、寂しくないの、ここにいると。誰かが一緒にいてくれるから」
「……ソリンやガァト、クルシュのことか?」
「やだ、男の人ばっかり! ……あ、もしかして、ヤキモチを焼いてるということ?」
ふい、とウィルはそっぽを向いた。当たっていたからだ。
「最近、よくヤキモチを焼くのね」
「そんなつもりはない」
そう言いながらも、ウィルの顔は真っ赤になっている。面白くて、わかりやすいくらいに。
「あのね? ウィル」
ミトスは、自らウィルを抱き締めて、胸元に顔を埋めながら言った。
「あの日、ウィルが来てくれなかったら、私は死んでいたかもしれない」
「なっ……!?」
「だって、あなたと戦うことになったら、負ける気しかしないもの。ミリアやソリン、ガァトだってそうよ? 本気を出されてしまったら、きっと私じゃ勝てない。でも、私は勇者。戦うしかない」
グリグリと顔をこすりつけて、そのままミトスは続ける。
「ここへきてよくわかったの。私があの村で、どんな待遇を受けていたのか。拾って育ててくれただけでも、ありがたい話なのはわかってる。けれど、私を一人の人として扱ってくれたのは、ウィルたちであって、あの人たちじゃなかった」
「お前の境遇は……喜ばしいものではなかったな」
「ここにくるまでは、ね? すごく感謝してる。みんな優しいし、偏見の目で見ないし。ウィルのお嫁さん……って言う部分はあるかもしれないけど、それでも、視線が違うの」
「偏見がないから、あの人間たちはここに住んでいる」
「そうよね。だから、あの人たちも含めて、刃を向けることにならなくて、本当に良かったと思ってるの。どうしても、言っておかなくちゃ! って思っちゃった」
ウィルの服からは、あの、一番初めにこの部屋で嗅いだ匂いがした。人生が変わった、あの日。禍々しいオーラをまとってやってきた魔王は、誰よりもまっすぐで優しかった。
倒すべき存在だと聞かされてきた魔族と魔物は、誰もが仲良くしてくれる、かけがえのない存在となった。
人間たちだって、ミトスを見下したり、辛く当たったりしない。手を差し伸べて、笑顔で話をしている。
『この世の全ての生き物が、仲良く暮らせたらいいのに』と、考えるくらいには意識が変わっていた。
「それならば、私が迎えに行ったのは正解だった……というわけだな」
「その通りよ。最初はちょっとだけおっかなかったけど、魔王様がこんなに優しいから、私は今ここで暮らしていられるの」
「大層な話じゃない。元々の、お前の存在が」
ウィルが最後まで言い切る前に、ミトスが自分の唇でその言葉の出口を塞いだ。
「ありがとう。愛してる」
「私の台詞を盗るんじゃない」
「だって、ちゃんと口にしなきゃ。……正直、出会ってから今日までの短い期間で、誰かのことをこんなに好きになるなんて思わなかった」
「私はずっとミトスを見ていた。愛している」
カタカタと窓枠が揺れる。その音さえも、二人の愛の祝福に聞こえた。
――そのころ、ウィルの部屋前の廊下。
「……あーあ、こりゃとても、中には入れそうにないね」
困った顔でソリンが呟いていた。
「ま、幸せならいいか。野暮用は今度、今度」
「……のうソリン? そんなところで何をしておるのじゃ?」
「あぁ、イェレナ。今はウィルの部屋には入っちゃダメだよ? この後絶対盛り上がるから」
「お主の言い方はなんだかゲスいのう……」
「そんなことないよ?」
「まぁよい。で? そんなところで何をしておる?」
「んー、この間の師匠について。ミトスの師匠ね」
「あやつか。一体どうしたんじゃ?」
「なんでもない。今言うことじゃないな、って思って」
貼りついたような笑顔のまま、ソリンは両手を胸の辺りで振った。
「いつまで経っても食えんやつじゃ」
「僕、美味しくないよ?」
「そういう意味じゃない! ……ところでソリン」
「何?」
「お主、ウィル以外に兄弟はいたか?」
「いないよ? イェレナだって、知ってるくせに」
『何変なこと言ってるの?』とでも言いたげな顔で、ソリンはイェレナを見た。
「そう言うと思っておった。しかし、成程。モデルとしては悪くない」
「うーん、昔はもっとこう、キラキラしてたんだけどね。本当に、キラッキラ」
「時勢の都合じゃ、仕方なかろう。……っと、否定はせぬのか」
「だって、その必要ないでしょう?」
「それもそうじゃのう。……何かあれば、アレは頼むぞ。ミトスには荷が重かろうて」
「わかってる。お兄ちゃんの出番でしょ?」
「……お主が言うと、何かがちょっとずつ違うのじゃ……」
ふぅ、と溜息を吐いて、イェレナとソリンはその場で別れた。




