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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第二章:花を謡う

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第32話:花歌いの舞と剣と_4

 

 命がゆっくりと街へ染み込み、港は再び動き出す。


 視察を再開しながらも、ウィルの手は離れない。人の流れが少しきつくなると、自然に彼の腕がミトスの腰に回り、段差の前では先に降りて手を差し出す。

 その一つひとつに悪気はない――ないはずなのだが、渡された手は温かく、掴まれた手は熱く、友達と恋人の境界線が潮風で滲んでいく。


「……過保護」


 小さく呟いたら、ウィルは立ち止まり、真面目な顔で返した。


「過保護ではない。これは私が楽になるために」

「え?」

「お前に何かあったと想像するより、こうしているほうがずっと楽だ」


 さらりと言って、次の屋台の影に入った。ミトスの置いていかれた心拍だけ、しばらく置き場所を探して迷子になる。


「のうのう、これは過保護ではない、愛だの間違いなのじゃ」

「たまには口を慎んだらどうだろうか」

「これでも随分控えておるがのう?」


 城に戻ると、控えの間にいつもの面々が揃っていた。

 既に帰還したクルシュが札束を机に広げ、ミリアが腕を組み、ガァトは壁にもたれて沈黙を守る。ソリンが羽根をかざし、そこに加わったイェレナは、脚をブラブラさせながら椅子に座り、札の写しを目で撫でた。


「うーん。渡り祈りに“匂いを足しておるのじゃ。空の祝詞ほど善の暴力は強くないが、足取りを整えるくらいの押しはできるのじゃ」

「押しの方向は?」

「港から城下町、そして学校……それから、旧礼拝堂跡じゃな」


 ウィルが顎に指を当てる。


「中継地点にされている、ということか。港と礼拝堂跡で何かを繋ぐ線だ」

「線を引いた者が「誰を」繋ぎたいか、なのじゃ」


 イェレナの目がいたずらっぽく細くなる。


「あぁ――のうミトス、この羽根に覚えは?」


 喉の奥に、薄い熱と冷気。だが、首は縦に動かなかった。


「……まだ、言えない。確信が持てないの」

「よいのじゃ。名は道具。必要になったら出すのじゃ」


 ミリアが机をとん、と叩く。


「礼拝堂跡は見に行くべきだね。昼のうちに証拠が拾えるかもしれない。僕が行くよ」

「私も行く」


 ミトスの声は揺れなかった。ウィルは、少しだけ黙ってから頷いた。


「私も行く――と言いたいところだが、港の締め直しもある。ソリンが一緒なら心配ない。……だが、危ないと思ったら、私の名を呼べ。必ず聞こえる」


 「聞こえる」――その一言で、胸の内側に灯りがつく。『一人じゃないよ』と同じ灯りだ。



 旧礼拝堂跡は、城から少し下った丘のふもとにあった。石の基礎が四角に残り、祭壇の台座だけが半分だけ姿を留める。周囲には花鉢が四隅に置かれていて、風が触れるたびにかすかな和音を立てた。

 ソリンが先に立ち、鞘に入った剣の柄に軽く指を添える。今日のソリンは、魔王の兄様ではなく、私的な剣の先達の顔だ。


「空気が乾いているみたいだね。……昨夜よりも、少しだけ」


 ミトスは台座の縁に膝をつき、白金の羽根が見つかったあたりの石目を目で追う。表面に細い擦痕。角度は低く、一定。

 『剣摩』――刃の腹をわずかに当て、火花を散らさずに受け流す癖。


(師匠……アナタなの……?)


 胸の裏側で、古い声が短く響いた。足を止めるな。立っている限り――


「ミトス」


 ソリンが呼ぶ。


「それは剣の癖を知っている顔だね?」

「……似ている人を、知っているだけ」

「名前は要らないよ。ただ、似ている、と感じることが大事なんだ」


 ソリンは台座の裏へ回り、指先で石を探る。ポキ、と古い木が折れる音。

 引き出したのは、黒ずんだ革の断片――鞘の口金についていたであろう小さな飾りの破片だ。革の裏に、薄い刻印。人間領の、古い工房の印。

 ミトスは目を閉じ、吸い込み、吐く。

 心臓は早いが、足元は揺れない。昨日の稽古で形に帰ることを覚えた手足が、呼吸と一緒に並び直る。


「これはこのまま持ち帰ろう。匂いは薄いけれど、奥から何か拾えるかもしれない」


 ミトスが頷く。


「ここは歌の境界で囲われている。夜までは、誰も無遠慮には入れないから。そんな顔、しなくて大丈夫だよ」


 ミトスが立ち上がると、イェレナが台座の角で尻尾を立てた。


「イェレナ!? どうしたの!?」

「ふむ、わしも心配になってなぁ。どれ、収穫は……」

「あったよ。ほら」


「ふむふむ、潮の匂いが混ざっておるのじゃ。海の向こうから来て、陸で一度剣の挨拶をした、というところじゃな」

「挨拶」

「うむ。剣士はな、手紙の代わりに刃の腹でこんにちはをするのじゃ。……良いか悪いかは、刃が知っておる」


 イェレナは真顔で頷き、次の瞬間にはミトスの袖をちょいと引いた。


「怖いのか? それなら、わしが半分持ってやるのじゃ」

「ありがとう」


 言葉にしたら、怖さは少し形を持つ。形を持てば、歌にできる。ミトスは、台座から半歩下がり、指先で花鉢をそっと撫でた。花は、嘘を嫌う音で答えた。


 ――夕暮れにはまだ早いのに、港の外れの岬は、どこか夜の匂いを先取りしていた。


 岩場に立つ一つの影。


 黒い外套の裾が、潮風で微かに揺れる。背中はまっすぐで、肩の線は無駄がない。外套の陰から伸びた指は、節が引き締まり、剣を使う人間の手だった。

 海は遠く、波は低い。風が一度だけ方向を変え、フードの影に銀の髪を少し覗かせる。


「……もうすぐだよ、ミトス」


 低い声は風より軽く、しかしどの潮よりも古かった。振り向きはしない。背中だけが、港と城と、その間にある歌の境界をまっすぐに見ている。


 波が岸を二度打ち、灯台の灯りが一度鳴った。遠い丘の上では、花鉢がかすかな和音を作る。港と礼拝堂跡と街の真ん中で、糸のような何かが静かに繋がった。


 その背中が、歩き出す。まだ音にもならないほど静かに。でも確かに、潮の香りの中で。

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