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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第二章:花を謡う

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第31話:花歌いの舞と剣と_3


 港の朝は、城下の朝より少しだけ早い。潮の粒が光をはね返し、岸壁に吊られた鈴は風のたびに微かに鳴った。

 石畳は昨夜の潮でしっとりしていて、靴底の音が柔らかい。石畳を鳴らす靴に合わせて、朝露が顔を出す。キラキラと光りながら、朝の歌を歌って。

 網を担いだ漁師と、樽を転がす商人、背に鱗のある舟大工、翼を畳んで歩く空の配達屋――異種族たちの影が、朝の光と一緒に交わっていく。魔族領でしか見られない情景。


「今日は視察だ」


 ウィルが短く言う。黒衣の裾を風が撫で、金の瞳は海の向こうに細い線を引いていた。

 視察という言葉の硬さに比べ、ミトスの肩に回る手は温かく柔らかい。

 潮風がふいに強くなり、前髪が視界へすべり込んだ瞬間――ウィルの指先が、迷いなく髪を耳にかける。ゆっくり、けれど自然に。触れたところが、潮風よりも温かい。


「……ありがとう」

「今日は風が強い。流れた潮で足場も滑る。離れるな」


 視察というほど硬くなく、護衛というほど強くもない、半歩だけ近い距離感。遊部って転ばぬよう、肩に置いた手をそっと腰へ回す。

 周囲の魔族たちは『また始まった』とでも言いたげに口元を緩め、朝の挨拶に茶目っ気を混ぜる。


「ウィル様、今日も視察とは……まめですねぇ」

「……仕事だ」

「お嬢も一緒とは、やはり心配なのでしょう?」

「……仕事だ」


 そして、ミトスの腰には軽く手が残ったまま、歩調は彼女の歩幅に合わせてゆっくりになる。


「港といえば朝市なのじゃー!」


 イェレナが、樽の上にぴょんと跳び乗った。尻尾が灯台の旗みたいに元気に揺れている。


「見よ、これが朝露に輝く鱗なのじゃ。塩を振ると、ぱらりと音を立てて開くのじゃ。ここでは珍しい、乾いた良い音なのじゃ!」

「……ほんとだ。軽くて爽やかな音がする。港では珍しい……」

「じゃろう? 新鮮なのは音でわかるのじゃ。なぜわかるかは、いつも通りなのじゃ」


 イェレナは、魚屋の前で真剣な顔をして頷くと、一つお腹の音を立て、次の瞬間には試食の干物を頬張っていた。


「んぐんぐ……んんっ! ……うむ、朝は糖とタンパク、わしらケット・シーたちの掟なのじゃ」

「もしかして、イェレナだけの掟……だったりしない?」

「なっ、そ、そんなことはないのじゃ! みんななのじゃ!」

「ふふっ。じゃあそういうことにしておくわ」

「むむむっ。その顔は信じておらぬな?」

「そんなことないよ?」


 魚市場の喧騒には活気があった。とうに終わったはずの甘い香りの春祭りの余韻がまだ街を歩いていて、港の人たちもどこか機嫌がいい。

 「先日の心臓果は見事だった」「お嬢ちゃん、港でも歌ってくれ」と声がかかるたび、ミトスは笑って会釈し、心の奥でその言葉の意味をそっと撫でた。


 埠頭の先端、縄を繋いだ杭のそばで、古い網を繕っていた老漁師が顔を上げる。


「おや、魔王様にミトスの嬢ちゃん。ちょうどよかった。海から変な箱が上がってね」


 掌を広げたほどの木箱。潮に揉まれて角が丸く、鉄の釘は赤く錆びている。老漁師が小声で続けた。


「中に、紙切れと……白い羽が一枚。いや、白というより、銀色がかった……」


 ウィルの手がミトスの肩で止まる。わずかに力が乗り、次の瞬間には声が港全体に届く響きに変わっていた。


「ありがとう。少し、下がっていてはもらえないだろうか。ここから先、封鎖。関係者以外は下がれ。――記録官と衛兵を」


 控えていたクルシュが頷き、数人が機敏に散っていく。港に緊張が落ちた。だが、誰も騒がない。歌が好きな街は、驚いた時ほど静かになる。


 木箱の蓋を丁寧にこじ開けると、塩水を吸った布と、薄い札の束が現れた。札は細長く、端に百合を象った透かし。写された祝詞は短い。

 そして、その札の間に、見覚えのある白金の羽根が一本。根元がわずかに焦げ、縁が細く磨れている。


(――白金)


 胸の奥に、乾いた光が一筋落ちた。昨日、学校で嗅いだ空の祝詞の匂いとは違う。空ではない。薄いが、芯がある。ミトスの指が羽根に伸びそうになった瞬間、ウィルの手のひらがふわりと重なった。


「触るな。昨日のものとはまた違う」

「……うん」


 声は短いのに、鼓動の回数だけ優しい。これだけ距離を詰める理由があるという顔で、でも、理由以上に近い。


「この札は『渡り祈り』の型なのじゃ。久し振りに見たのう。まだ使うヤツがいたとは」


 イェレナが鼻をひくひくさせ、札を遠目に覗く。


「本来は航海の無事を祈る穏やかな術式じゃが、これは道しるべに転用しておる。――海流で運ばれる箱に匂いを乗せて、港のどこかで拾わせる算段じゃ」

「拾わせた上で、何を?」


 クルシュが問う。


「……空の祝詞で正しい場所を染み込ませ、この芯のある羽根で刺す。……つまりは一昨日、昨日と今日で、完成したということじゃ」


 港と学校、そして旧礼拝堂跡。点が線で繋がり始める気配が、潮の匂いに混ざる。

 ウィルは箱を閉じさせ、上から封印を施した。


「城で解析する。港は通常運転を続けろ。――但し、見知らぬ祝詞や札を見つけたら、絶対に触れるなと徹底しろ。木の箱や紙の束もだ」

「承知しました」

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