第27話:灯り売りの物語_2
ミトスはさり気なく、ウィルの両手を自分の両手で覆った。
「これからも、そうやって教えてくれる?」
「それは……勿論だ。何度だって言う」
「良かった。私も言って良いかな……?」
「当たり前だろう」
「……「変なこと言うな」って言ったりしない……?」
「私を誰だと思っている? それに、ミトスが変なことだというならば、私だって大概変なことを口にしている」
「あれ、そっか」
「そうだ。だから、そんな心配はしなくて良い」
今度はちゃんと視線を合わせ、真面目な顔でウィルは言う。その表情を見て、ミトスは『やっぱり、私を迎えに来てくれたのがウィルで良かった』と、心の底から安堵していた。
「好きよ、やっぱり。ウィルのそういうところ」
「……私だって、その、愛している」
覆っていた手を解き、ミトスはウィルをそっと抱き締めた。それに応えるかのように、ウィルも彼女を抱き締め返す。抱き潰してしまわぬよう、優しく、そっと。
「――うぉほん!! ううん! ゲホゲホッ……」
イェレナが遠くから大仰に咳払いする。強く力んで、喉を少し痛めるくらいに。
「のうのう、校庭でイチャイチャするのは校則違反なのじゃ。……今作ったがのう。わかるじゃろ?」
小さな声で付け足した言葉に、笑いが広がった。
その時――
屋根のひさしに、黒い影がひらりと降りた。
羽根。烏……ではない。形が細く、光を反射するふちが薄く青い。ミトスは思わず目を細める。黒い羽根は風に乗って、ゆっくり、ゆっくりと地面へ落ち、彼女の足もとで止まった。陽に晒された羽根は白金。
(――何だか懐かしい、光の匂い)
ほんの一瞬、鼻腔の奥がきゅっと締まる。 祝詞の終わりに残る清めの残り香のような、乾いた光。
――昔お世話になった師匠の属性に似た、しかしもっと古びた調子。
「ミトス?」
ウィルの声で我に返る。
「ごめん、なんでもない」
落ちた羽根を拾い上げると、香りは消えた。すっと消えたのではなく、元から何もなかったかのように。羽根は風に攫われて、高く飛んだと思った次の瞬間には、もうどこかへいってしまった。
「ミトスさん! どこですかー!」
校舎の裏で、先生の呼ぶ声が響く。
「あ、こっちです!」
「あ、良かった! ミトスさん、もう一つお願いが。保管庫の鍵が開かなくて」
「鍵が壊れてしまったの?」
「そうかもしれない。ノブを回しても、うんともすんとも言わなくて……。ドアノブごと、叩き切ってくれないかしら?」
「……可能な限り、壊さない方向で行きますね」
「ありがとうございます! こっちです!」
「行ってくる」
「待て待て、一人で行くのじゃないぞ」
イェレナが小走りで追いついてくる。
「知っておるか? 鍵穴が言うことを聞かない時は、鍵穴が怯えておるのじゃ。それこそ、歌ってやればよい」
「鍵穴が……怯える?」
「全ての器物には、ちょびっとだけ心があるのじゃ。祭りで見たじゃろ? 花に果物、それに甘味」
「あぁ! ふふふっ、そうだったわね」
ミトスは笑い、イェレナと並んで保管庫へ向かった。
――その後ろで、ウィルが三人を見送りながら冷たい目をしていた。この視線は勿論、ミトスたちへ向けられたものではない。既に消えた羽根のあった痕跡を、ゆっくりと思い描く。残っていない羽根を一瞥するつもりで「これはよくないことだ」と、そう呟いてミトスたちの跡をゆっくりと追った。
三人が石の廊下を抜けると、北の倉の影は少し冷たかった。扉の前で、別の先生が困った顔をしている。
「すみません、朝から急に開かなくて。今日は薬草の在庫調べがあるのに」
「見せてください」
鍵は正しい。錠前の金具は新しい。ミトスは手のひらで扉を撫で、耳を当てた。中から、ほんのかすかな擦過音が聞こえる。
(……誰か、いる?)
とん、と扉を小さく叩く。
「……こんにちは。大丈夫。驚かないで。少しだけ開けるね」
イェレナが錠前へ口を寄せ、小さな声で鼻歌を歌いはじめた。花歌いほど整っていない、古い子守歌の旋律。
「のう、扉。固くなるのは、怖い時じゃ。人だって魔族だって、縮こまってしまうじゃろ? それは固い。知っておる。それに、お主が怖いなら、わしも怖い。だから、半分だけ、優しく開くのじゃ。どうか『構わぬ』と言っておくれ」
カチリ――
錠前の舌が一つぶんだけ引っ込む。ミトスは隙間に身体を入れず、視線だけを落とした。
暗がりの中で、小さな影が動く。
ふんわりとした尻尾。丸い耳。
「あら。……君、そこで何をしてるの? どうかした? 何かあったの?」
影はビクッとして、棚の影にさらに沈む。
イェレナが先に膝をついた。
「さぁ、そこから出てくるが良い。大丈夫じゃ、わしらは叱らぬ。腹でも空いたか?」
返事の代わりに、お腹の鳴る小さな音。扉は大きく開かない。これ以上、外の喧噪は中へ入れない。ミトスはポケットから、休みに食べようと持ってきた丸パンをちぎって差し出した。
「美味しいよ。……ねぇ、誰かに言われたの? 『ここに入れ』って。……心配ないわ。君と一緒にいるために、ここへきたの。一人じゃないのよ」
影が、迷っている。腹が背にくっつくような感覚と、言いつけと、怖さの間で。
……やがて、影は一歩出た。小柄な獣人の少年。手の甲に、薄く光る印。それは、祈祷で使う『聖墨』に似ているが。――匂いが違う。乾いた光。……それは、さっきの羽根の匂い。




