第24話:たくさんの出会い_3
市場全体に広がるよう、喉の奥から声を放つ。また誰か、不安に思う人間がいないように。
大きな掌で驚かせないよう包み、胸の前に抱え込む。その手つきは、鋼の剣を折る腕を持つ者のものとは思えないほど、繊細だった。
「な、なぁ、元気になったら、見に行ってもいいのか?」
男性はまだ、蛇竜のことが気になっていた。
「城は解放している。だが、人間は手順を踏んだほうが良い。そうだな、元の住処へ帰す前に、遣いをやろう。その時、時間が会えば来たら良い」
「ありがとう! ……早く元気になれよ」
「私もお手伝いするね、ガァト」
ガァトは喉の奥で「あぁ」と低く鳴らし、踵を返した。
ざわめきが、ゆっくりと明るい色へ戻っていく。誰かがパチパチと拍手をし、それが波紋のように広がった。ミトスは深く息を吐き、汗ばむ手のひらを布で拭う。
「やれやれ、朝からとんだ事件だったのじゃ」
「でも、よかった。叩かなくて」
「うむ。怖さを押さえる術を、人は覚えるべきなのじゃ。魔物や魔族はその逆を。……さ、甘味の続きを楽しむとするかのう」
「もう!?」
「『緊張の後は糖分』が千年の鉄則なのじゃ!」
笑いながら市場を歩き、パン屋で焼きたての丸パンを買い、香草屋で喉に優しい茶葉を分けてもらい、布屋に礼を言って城へ戻る道。春の風は優しく、昨日の甘い香りはまだどこかで微かに息をしていた。
城の回廊に入るや否や、黒衣の影が音もなく現れた。――ウィルだ。金の瞳がミトスの全身を一巡し、少しだけ眉が寄る。
「……血の匂いがする」
「あ、蛇竜の仔を。ちょっと怪我をしていて、固定をしたから、その時についたのかも」
「そうか」
次の瞬間には、額に唇が降りた。微かな音。するりと指が伸び、頬を伝う。突然のことにミトスは驚いたが、ウィルの真っ直ぐな視線に胸の音を確かめる。
「あ、の……えっと」
「危ないことは、私へ先に報せろ」
「ご、ごめんなさい。でも、急だったから」
「急でも、だ」
抱きしめる腕は強く、しかし怖くはない。
「お前に傷がつくのは、もっと嫌だ」
低い声が胸骨に響いて、くすぐったいような、くすぐったいだけではないような気持ちになる。
「……うん。次から、呼ぶね」
「約束だ」
「あのね、本当は少しだけ、ほんの少しだけ緊張したの。私の行動は、ウィルのこともこの魔族領のことも、肩に乗ってると見られるから」
「蛇竜を助けてくれてありがとう。彼らは個体数が減っている。珍しいから、人間の目につきやすいんだ」
「そうだったんだ。じゃあ、あの男性も、守ることができたと知ったら、きっと喜ぶわ」
「男性?」
「あ、うん」
少しばかり、ウィルの顔色が変わった。
「何かされたのか?」
「そんなまさか! 女の子を守ろうとして、その人は前に出たの。相手がたまたま、蛇竜の仔だっただけ。女の子が驚いた時に、蛇竜の仔がびっくりしてその弾みで怪我をしたの。みんなごめんなさいをしたのだから、良いわよね? 蛇竜の仔も、くうぅと鳴いて「大丈夫だよ」って言ってくれたわ」
ミトスはわかっていなかった。彼女は『男性が蛇竜の仔へ攻撃を仕掛けようとした経緯』を話したが、ウィルの気にしている点は異なっている。あくまでも『ミトス自身に魔の手が伸びていないか』なのだ。つまりは『その場に異性がいたことのヤキモチ』と『ミトスがその男性を気にしていることへのヤキモチ』なのだが、そのことに言われたミトスはおろか、言葉を発したウィル本人さえも気が付いていなかった。
「そうか……」
「怪我が治ったら会いに来るそうよ。ガァトが使いを出すって言ってたわ」
「何もなければ、それでいい」
「どうかした?」
ウィルはそれから、コホンと咳払いして視線を外す。
「咎めるばかりではいけないな。本当によくやった。……私はとても誇らしい」
ミトスは、照れ隠しに丸パンの包みを差し出した。
「市場で買った朝ごはん。焼き立てだったの。みんなで食べましょう?」
「受け取ろう。――クルシュ、食堂に用意を」
「かしこまりました」
食堂では、ミリアが既に席を確保していた。
「蛇竜ちゃん、ガァトが抱えてたって? アイツ、ああ見えて弱いのよね。仔獣とか、人間の子どもに」
「うむ、頑強な腹を持つ者ほど、柔いものに甘いのじゃ」
イェレナは先にスープを啜りながら、尻尾を左右に振る。
「そういえば、のうウィル。港のほうはどうじゃ?」
ウィルはパンをちぎり、蜂蜜を落としながら淡々と答えた。
「昨日の一件で、人間商隊の観客」は増えたそうだ。甘い香りは、噂を運ぶ」
「運ばれて困るのは誰じゃろな」
「……向こうの領主、それと素直にならない人間たち」
ミトスの手の中で、パンが小さくキュッと鳴った。
「大丈夫。魔王の妻に手を出す人間はいない。出そうとすれば、先に配下が動く。それに、約束事があるからな。愚かでなければ、考えも及ばん」
言葉で聞くと、不思議と本当にそう思えた。
「まだ何だか、不思議な感じ。みんな、仲間なのに」
「こちら側は、それを知っている。認めたくないのは、いつも人間たちだ」
「仲良くなれたら良いのにね。こんなにみんな、優しいのに」
ウィルが、黙って頷く。目に、安堵と、ほんの少しの誇らしさ。




