第23話:たくさんの出会い_2
笑い合った、その時だった。空気が薄く震え、細い悲鳴のような鳴き声が市場を横切った。
ミトスは咄嗟に振り向く。人の肩越し、屋台と屋台の隙間をかすめる影――掌ほどの翅が二枚、陽の光を受けて透けている。
「……小型蛇竜?」
「うむ、あのサイズは子どもじゃの。身体も翅も、まだ小さい。……こちら側へ来るのは珍しいのう。一体、どうして」
――次の瞬間、悲鳴が上がった。
「きゃっ、やめて! 退いて!」
香辛料屋の少女が尻もちをつき、袋が破れて赤い粉がハラハラと舞った。仔の蛇竜は驚いて急旋回し、屋台の柱にぶつかって地面へ落ちる。翅がぎこちなく痙攣し、足を引きずった。
「待って、危ない――」
誰かが棒を掴んだ。周りはその人に釘付けになっている。恐怖は早い。痛みで暴れるかもしれない小さな生き物に対して、人はすぐに『叩いて止めよう』とする。
ミトスは走った。棒を構えた男の前にすっと入り、両手を広げて制する。
「触らないで! 怖がってるだけ。私が診るから」
「そいつは魔物だろ!」
「だからこそ、叩いたら余計に暴れます」
「でも!」
「大丈夫! ……アナタは、こちら側にいるのでしょう? それなら『魔物を怖がる必要はない』ことを、よく知っているはずです」
短く、ハッキリ。視線を逸らさずに言う。勇者見習いだった頃、村の中でこっそりと、討伐と保護の境界線を何度も越えた。小さな命の震え方には覚えがある。
仔の蛇竜は、腹を膨らませて威嚇しながら後ずさる。口を開くが、声がかすれている。
「喉が渇いてる。翅は……膜に裂け目。着地で捻った?」
ミトスは荷籠から布切れと皮袋を取り出し、布を水で湿らせる。
「近づけるか? ミトス」
「平気よ。怖くないよ……大丈夫。痛いよね」
しゃがんで、身体を小さく、視線を低く固定する。片手は常に見える位置に置いて、もう片手で湿った布をそっと差し出す。蛇竜の鼻先が布を嗅ぎ、舌先で一舐めした。塩気と水分。命がそれを知っている。
「そうそう。飲んで。喉、ひりつくでしょう?」
警戒の震えが、ほんの少しだけ緩む。ミトスは手首の角度を変えて、翅の膜を光に透かしながら裂け目の形を確かめた。
「大きくないわ。固定すれば自然にくっつくと思うの」
「応急処置なら任せよ。のう、屋台のその端切れ、もらってもよいかの?」
「持ってきな! あぁ、待った。こっちの綺麗な布にするんだよ。傷口が化膿したら可哀想だからね」
「おぉ! 流石は話のわかるババァ」
「だからババァって呼ぶんじゃないよ!」
イェレナが軽やかに飛び、布屋から薄い絹と、草履屋から柔らかい紐を拝借して戻ってくる。
「ほい、わしの千年の知恵を信じるのじゃ」
「ふふふっ、ありがとう」
ミトスは翅の下に絹をそっと滑り込ませ、裂け目を寄せるように押し当てて、紐で固定する。
「痛いけど、すぐ終わるから。怒ってもいいよ。私は噛まれても、平気」
仔の蛇竜はじっと見つめ、そして――噛まなかった。くい、と喉を鳴らし、湿った布をもう一舐めしてから、肩にもたれかかるように身体の力を抜く。市場に溜まっていた息が、まとめて吐き出された。
「あ、あの!」
初めに叩こうとした男性が、蛇竜の前に立った。
「ごめん。お、俺、まだここに来たばかりで……こんな近くに、その」
「わかってる。私もほとんど見たことがなかったから、この蛇竜は普段城の裏手奥にいると思うの。それが、きっと迷子になってしまったのね。裏手に住んでいる子たちは、人間に慣れていないから……同じよ、あなたと」
その言葉を聞いた男性は、跪いて蛇竜のと目を合わせた。
「急にごめんな。驚かせちまったし、怖がらせたよな。ごめん。怪我、大丈夫か?」
男性の目をジッと見た後、蛇竜はくう、とひと鳴きして目を瞑った。
「あ、あのね」
次にやってきたのは、香辛料屋の少女だった。
「こわがってごめんなさい。しってるのに、おどろいてごめんなさい」
また蛇竜は、くう、とひと鳴きする。
「おぬしが悪いわけではない。タイミングが悪かっただけじゃ」
「そうよ。だから、泣かなくても大丈夫。誰だって、頭上に急にやってきたら驚いちゃうから。普通なんだよ」
「ミトスの言う通り。さ、早く家に戻るんじゃ」
「うん。……バイバイ、ワイヴァーンさん」
小さく振られる手にくうぅ、とまた鳴いて、蛇竜は尻尾を振る。
「……やるじゃない、ミトスちゃん」
いつの間にか、ミリアが腕を組んで見守っていた。
「魔王領の家族は、ちびっ子も魔物もみーんな含むの。ここに住んでいるなら、人間だって一緒よ。やっぱり、来てくれたのがミトスちゃんで良かったわ」
棒を持っていた男性が、もう一度頭を下げた。
「本当に悪かった。魔族には慣れたんだが、まだ魔物は……」
「大丈夫。怖いのは当たり前。でも、武器を最善としない選択も覚えてくれたら嬉しい」
ミトスが微笑むと、男性は大きく頷いて「気を付ける」と短く言った。
「さて、この仔を運ばねばならん。こういう時は……ガァトー!!」
イェレナが市場の端へ向かって呼ばわると、巨躯のオークがのそりと現れた。
「……呼んだか?」
「蛇竜の保護はお主の管轄でもあろう。巣へ返すまでの世話、頼めると嬉しいんじゃが」
ガァトは仔の蛇竜を一瞥し、ミトスの手元を一瞥し、コクリと頷く。
「もちろんだ。コイツは……珍しいな。こんななりして臆病なんだ。基本的に、人間を襲ったりはしない。驚いた時は、ちょっと反射的に動くかもしれんがな」




