第20話:裁きと甘い贈り物_1
夕暮れの色が街を飲み込み、灯が一つ、また一つと点る。春祭りの夜は、音と光の粒が細かくなって、会話の温度が半歩だけ上がる時間帯だ。屋台の煙はゆるく立ちのぼり、香辛料と蜜と炙った肉の匂いが混ざり合って、腹と心の両方を撫でていく。
広場中央――ミトスが歌を披露した【花歌いの石舞台】の周りに、円形の観客席が設えられた。舞台の縁には昼よりも多くの花鉢が並び、白や桃色の鐘型の花が、色の変わり始めた夜風に合わせて小さく和音を鳴らす。
記録官が木板を開き、火の粉の飛ばない距離まで観衆を下げさせると、イェレナが軽やかに舞台へ跳び乗った。
「はいはい、どうかわしを見ておくれ! 今から【贈りものの儀】を始めるのじゃ! 今日の“物語の主役は……」
くるりと一回転して、長い尻尾がふわりと円を描く。
「魔王ウィルと、その妻ミトス!」
歓声が上がる。その歓声の波の裏側で、昼に通行札を無効にされた人間の男たちが、口を固く結んだまま人垣の影に立っていた。彼らの視線は、舞台の中央に置かれた漆黒の盆――そこに鎮座する果実へ吸い寄せられる。心臓のような形、薄い筋が脈のように走り、夜の光を吸って鈍く光っている。その名前は伊達ではない。これは【心臓果】。
「では、今から説明するのじゃ!」
イェレナが両手を高く挙げると、花の和音が「パララン、パラン」と盛り上げる。
「【贈りものの儀】では、渡す側の心がこの果実、心臓果に宿るのじゃ。名前と見た目、見たまんまじゃろ? まるで心臓の心臓のような果実。……人間らから見たら、ちとグロテスクかのう? ――真心なら香りは甘く、種は赤金色に。偽りや打算が混ざれば、果実は割れて種が黒くなるのじゃ。乗せる言葉の見た目を誤魔化してもムダじゃ。果実は嘘吐きが大嫌いでのう。なに、すぐにわかる」
観衆の前列で、ミリアが小声でミトスに囁く。
「大丈夫。ミトスちゃんの心が本物なのは、昼の歌で花が全部証明してる。そんな顔しなくて良いのよ?」
ガァトは腕を組み、鼻を鳴らす。
「甘い香りは腹に落ちる。腹が腐ったヤツは、すぐ顔に出る。でもそれは、ミトスじゃない。気にするな」
クルシュが心臓果の載った盆を両手で持ち上げ、舞台中央へ進む。
「まずは――嘲りの言葉を贈った彼らに、先にコレへ贈る権利を」
観衆がざわめく。人間の男たちの肩が僅かにピクリと跳ねた。
「は? 俺たちが先? そんな……」
「贈り物は自由だ。花でも、金でも、言葉でも、果実でも。――ただし舞台に上がるなら、己の心が映る覚悟を持て。この場にいる全員が、それを見ていることも」
ウィルの声は低く、遠くまでよく通る。シン――と静まり返った群衆の視線は、彼らへ集まっていた。その場から動けなくなってしまいそうなほど、強い力のこもった視線。耐えられなくなった一人が歯噛みし、舌打ちを飲み込んだ。別の一人が、意を決して踏み出す。
「やってやるよ。魔族の見世物に付き合ってやる。……俺は友情を贈る。元勇者様にな。讃えようじゃないか、我が人間たちの友、元勇者様を」
口角が上がる。嘲りの光が目の奥に残っている。
男が果実に触れた瞬間――【心臓果】の表皮が微かに震えた。次の瞬間、パキン、と乾いた音を立てて、裂け目が走る。
中から覗いたのは、濡れた黒。
花の和音が一段低くなり、観衆の息がそろって止まる。果肉は鈍い色で、香りは出ない。見せるのは、その醜悪な言葉の意味だけ。男の喉仏が、ゴクリと上下する。
「……なんじゃ、黒か。友情じゃなかったのう」
イェレナが肩をすくめると、前列から子どもの笑い声が漏れた。男は顔を真っ赤にし、言い訳を探すように口を開く。
「ま、まだだ! 俺だけで決めるな。次、次!」
取り繕うように仲間が慌てて前に出て、握りしめた硬貨と一緒に果実へ手を伸ばす。
「なら俺は謝罪だ。謝ってやるよ、元勇者。俺たちが――」
――パキン。
黒。香りはない。
観衆のどこからか「うっわ」「こりゃ酷い」という素直な声が上がった。三人目は震える指先を自分の胸に当て、ギョロギョロと辺りを見回しながら、やせ我慢の笑みを作る。
「……いいだろう、尊敬だ。お前の歌は立派だった。昔の勇者として――」
――パキン。
黒。黒は三連続で光を吸って取り込んだ。
イェレナが溜息を一つ吐いて、舞台の端に座り込む。尻尾がぺたりと床へ落ちた。
「三回も嘘を乗せられると、花もない耳を塞ぎたくなるじゃろうて。心はとっくに。……、ちゃんと気持ちを磨いてから、出直してくれんかの?」
記録官が木板に淡々と記す。
「【贈りもの偽り】三件。祭り期間中の取引、利率不利側で固定。次の儀での発言権も半減」
男たちの顔が引きつる。広場のあちこちで、嘆息と失笑がさざ波のようにゆっくりと広がった。
「――次、こちらの番だ」
ウィルがゆるやかに片手を上げる。クルシュが頷き心臓果の中でも一際綺麗な色をしたものを新たに盆へ載せ、ミトスへ差し出した。
ミトスは一呼吸置いて、両手でそれを受け取る。果実は手のひらで体温を吸い、ほんのりと温かくなった。
(渡すのは、私)
(守られるだけじゃなくて、私が選んで、渡す)




