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魔王♂は勇者♀を溺愛したい-捨てられ勇者、魔の地で家族ができました!-  作者: 三嶋トウカ
【第一部】第二章:花を謡う

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第18話:春祭りの招かれざる客_3


 記録官が木板を開き、乾いた声で儀の手順を述べる。


「【花歌い】は『主張を歌で捧げる』もの。【誓約杯】は、その中身が『互いの言葉が真なら杯は甘く、偽なら苦くなる』もの。どちらも偽りを嫌う。拒めば【客礼破り】として、商権と通行権の一部を失う。――異議は?」


 男たちは顔を見合わせ、せせら笑った。


「やってやるよ。……なぁ、元勇者。お前も歌うのか? 魔王の膝の上で」


 明らかな蔑み。しかし、男たち以外誰も何も言わない。誰もがわかっている。この花歌いの意味するものを。誓約杯の真っ当さを。ただ、杯がその役目を終えて、捧げられた歌が意味を持つことを静かに待っていた。

 ミトスは一度だけ目を閉じ、息を整えた。喉の奥で音を確かめる。胸の中の小さな震えを、一つずつ撫でるように。そっと開いた視界に、ウィルの横顔がある。彼は何も言わない。ただ、そこに立っている。でも、たったそれだけで、足元は揺れないのだ。


「……歌います」


 声は静かに広がり、花の和音と重なった。


 最初の一節は、春の風景だった。冬を割って芽吹く蕾、石畳に落ちる光、屋台の煙、子どもの笑い声。次の一節で、ミトスは自分を歌にする。


 ――かつての名、押し込められた役目。

 ――戦う理由は、いつも自分の外側にあったこと。

 ――それでも人を傷つけた夜に、寝台の上で一人で泣いたこと。

 ――隣には確かに誰かいた。けれど、それは誰でもなかったと。


 言葉に刃はない。けれど、言葉はただただ真っ直ぐだった。柔らかな風にそっと吹かれた花が、ミトスの歌に共鳴して強く鳴る。舞台の縁に置かれた小さな花まで、かすかな音を足す。

 歌は責めない。歌は、嘘だけを拒む。最後の一節で、彼女は今を歌う。


 ――魔王領の朝と、贈られた花と、ここで交わされた「守る」という言葉。

 ――『守られている』だけでなく、『私が守りたい』場所ができたこと。

 ――それを揺るがすものは、誰であれ許されないこと。


 花歌いの和音が、柔らかく、けれど確信を持って響き切る。広場に、短い静寂。

 歌い切ったミトスの心に、偽りはなかった。自信をもって言葉を込めた歌は、ただその杯の中で、静かにその時を待つ。


「……へぇ。歌は上手いじゃねぇか」


 先頭の男が、わざとらしく肩をすくめた。


「でもよ、真実はこうだろ。――お前は勇者を捨てた。仲間も民も、置いてきた。魔王に甘やかされ、宴を楽しむ裏切り者だ」


 男の視線が、ミトスの髪から足先まで、まるで網をかけるようになめていく。彼女が裏切り者だと疑わず、自分のためだけに責務を捨てて逃げだした元勇者として。


「勇者様の【剣】は、どこに消えた?」


 ウィルは、そこで初めて笑った。刃のない、しかし寒気のする笑み。


「消えていない。――必要な時に抜かれる。場所と相手を誤らない、という意味だ。……貴様の頭で理解するには、少し難しい話だったか?」


 ウィルの足元で、影がサッと揺れる。それに合わせて、男の顔が赤くなった。


 クルシュが半歩前へ出て、記録官に合図を送った。


「では【誓約杯】に移る。主張をこの杯に注ぎ、互いに飲む。言は甘苦で裁定される」


 木台の上に、銀の杯が二つ置かれる。杯の底には、微細な魔法線が刻まれている――『感情と意味』に反応する、古い時代の道具だ。

 イェレナが台の端にちょこんと座り、足をブラブラさせながら、花鉢に小声で話しかける。


「お主の、冗談は抜きで頼むぞ。今日は大事な日じゃからのう。ミトスはいい子じゃ。……わかるじゃろう?」


 花の音が「うん」と返事したみたいに、短く揺れた。


 記録官が淡々と問いを立てる。


「人間側の主張。『元勇者は仲間と民を捨て、魔王に与した裏切り者である』――是か否か」


 先頭の男はニヤつきながら杯を手にした。


「是に決まってる」


 液体は透明。喉に落ちた瞬間、彼の顔がぴくりと歪む。


「……ぐっ」


 苦い。観衆にさざ波のような笑いが走った。


「え、なんだよこれ、悪い冗談だろ」


 男が水を求めて振り返ると「嘘だろ」と言わんばかりに、仲間の二人も男から奪うように杯を持って、順に同じ中身をゴクリと喉の奥へ通した。そして、男を模倣したかのように顔をしかめてむせている。それを見たクルシュが僅かに眉を上げた。


「杯は正直ですので」


 記録官が続ける。


「魔王領側の主張。『元勇者ミトスは、魔王ウィルの元へ嫁いだ。裏切りではなく、正式な依頼でもって魔王領へと在籍している。今は客として、そして……魔王を筆頭とした、魔王領の家族として迎えられている』――是か否か」


 ウィルがミトスの手を取る。視線が問う。ミトスは頷いた。


「是です」


 杯の液体は、口に含む前から甘い匂いがした。 舌にのせると、先ほど食べた蜜花ドーナツの甘さよりも柔らかく、メリアから聞いた月明かりのスッとする余韻が後から追いかけてくる。ミトスが飲み終えるのを見届けて、ウィルも同じ杯を空にした。広場に、溜息が落ちた。甘いものを食べた後の、綻んだ人々の顔。


「茶番だ!」


 先頭の男が怒鳴る。


「こんなイカれた杯なんて信じるか! 元勇者、お前が――」


 言葉が、花の和音に遮られた。石舞台の花鉢が、パン、と咲いたのだ。小さな白の群れが一斉に開き、鐘のような澄んだ音を鳴らす。

 これは『嘘はここまで』と告げる合図。記録官が板を閉じる。


「明らかな【客礼破り】。人間商隊の通行札を七日間、無効とする。長居はできない。……ただし、歌は終わった。これ以上の騒擾は祭りの権威に対する冒涜とみなす」

「ふざけるな!」


 男が一歩、前に出た。その足が、舞台の縁に触れた。


 ――触れて、止まった。

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