第11話:城内案内_3
訓練場のざわめきが一段落したころ、砂をはらって立ち上がった若い兵が、おずおずと手を挙げた。獣の耳が頭頂でピクリと動く、灰色の毛並みの獣人だ。
「……隊長、一つお願いが」
「何?」
メリアが顎をしゃくる。
「その……ミトス様と、軽く手合わせを。勿論模擬で、当てない約束で」
周囲が途端に色めき立った。
「おいリオ、無茶言うな」
「いやでも見てみたいだろ」
「隊長が見てるなら安全だ」
ミトスは突然の申し出に、思わず小さく肩を跳ねさせた。
「わ、私? えっと……」
「嫌なら断っていいのよ」
メリアが静かに目を細める。
「ここでは、戦いたくない人に剣を握らせるルールはないわ」
真っ直ぐな視線。守られている安心と、期待に応えたい気持ちが、胸の中でゆっくり混ざっていく。
「……大丈夫。軽く、なら」
「ありがてぇ!」
リオと呼ばれた獣人が、耳をパタパタさせて飛び跳ねた。
「おやおや、面白い試みで」
「クルシュ!」
ひょい、とこちらを覗いていたのは、クルシュだった。みなミトスと同じように彼を見た。
「ミトス様、どうぞこちらを」
木剣が二本、彼の手から差し出された。
「念のため、鈍い刃の練習用です。お二人とも、ご安全に」
「ありがとう、クルシュ」
「私も楽しみにしております」
ミトスは両手で木剣を受け取る。掌に吸い付くような重み。握り皮の粗さ。胸の鼓動が、いつの間にかゆっくり深くなっていた。
「ルールは簡単。先に三点先取したほうが勝ち。肩・胴・腿、どこかに触れたら一点。顔面と急所は厳禁よ」
メリアが素早く説明し、視線で場の中心を空けさせる。砂地の円が、ふたりの足元だけを照らすみたいに静かになった。
「では——始め」
最初の一合は、リオが取った。爪先で砂を切る音、風を裂く木剣。速い。素直で教本通り、けれど若い筋肉の反射が乗っている。
——カラン。
ミトスの剣が、音も軽やかにそれを跳ね上げた。脇を締めて手首だけで角度を作り、攻め手の根元を外へ滑らせる。
「っ!」
リオの目が見開かれる。返す刀で肩口へ軽く——「一本」。メリアの声が涼しく落ちる。
ざわ、と周囲が息を呑む。
(いける。呼吸、落ち着いてる)
ミトスは自分の内側で、何かのスイッチがカチリと入るのを感じた。
もう一度、リオが踏み込む。今度はフェイントを二度挟み、足を交差させる巧い入り。——けれど、重心が半歩前へ粘った瞬間、視線が泳いだ。ミトスはそこに刃を置いておくだけ。相手が勝手に当たってくる角度。
こつん、と肘に触れて「二本目」。
「な、何今の——置かれた……」
リオが困惑して笑う。悔しいのに、どこか嬉しそうだ。
「落ち着け、リオ。呼吸が上ずってる」
「は、はい!」
三合目。リオは距離をとって円を描き始めた。爪先だけで砂を撫でるステップ、視線でフェイントを入れ、右からの斬り下ろしに見せて、左へ回り込む。その時、ミトスの目つきが、ふっと変わった。柔らかな睫毛の奥で、光の焦点が一点に結ぶ。肩の力が抜け、体幹だけが水面のように静まる。
――来る。音の前の気配が。
カラン、とまた軽い音。
木剣が触れ合う瞬間、ミトスの足は半歩下がっていた。刃筋を立て、相手の力を受けず、斜めに流す。踏み替え、空いた胴にスッと触れるだけ。
「三本」
「——っ、参りました!」
リオが剣を引き、礼を深くした。
次の瞬間、訓練場に大きな拍手が生まれた。
――パチパチ、パチパチ――
「今の、全部いなしだぞ」
「当てにいってねぇのに取ってる」
「目つきが変わった時ゾクッとしたわ」
「勇者ってやっぱすげぇ……!」
口々に飛ぶ称賛の声に、ミトスは慌てて木剣を抱きしめるみたいに胸の前で両手を重ねた。
「い、いえ……その、リオさんが正面から来てくれたから、合わせられただけで……」
「いや、素直に負けたっす。勉強になりました、ありがとうございました!」
リオが満面の笑みで頭を下げる。耳がぱたぱた揺れていて可愛い。
「……なぁ、メリア」
ガァトが横で腕を組む。
「あの『切り替わる瞬間』、見えたか?」
「ええ。いい間を持ってるわね。あれは才能よ。それに——」
メリアはすっと近づいて、ミトスの指先を覗き込む。
「握りが綺麗。力んでないのに、逃がさない。誰に習ったの?」
「村で、師匠に。あと……一人で素振り、いっぱいして」
「うん、嘘吐かない手だわ」
メリアが満足そうに頷くと、周りの部下たちがまたざわついた。
「ほんわかしてるのに、急に『戦う目』になったぞ?」
「ギャップがエグイ」
「さすがウィル様……」
「――今日はここまで。怪我人なし、上出来」
メリアが手を叩くと、兵たちは一斉に「ありがとうございました!」と頭を下げ、散っていく。最後にリオが名残惜しそうにミトスへ手を振った。
「またお願いします、ミトス様!」
「う、うん。軽く、なら……」
返事をしながら、頬がぽっと熱くなる。拍手や視線に慣れていない。胸の奥がむずむずして、足が地面から少し浮いてしまいそうだ。
「ふふ。可愛い」
メリアが肩をつつく。
「ウィルのところ、行ってらっしゃい。その顔、今見せたらきっと喜ぶわよ」
「……わかる。行ってきな、ミトス」
ガァトも片手を上げた。
「う、うん。ありがとう、二人とも」
木剣をクルシュに返し、ミトスは回廊の影へ駆けだした。砂の匂いがまだ袖に残っている。掌には木の温度。胸の奥では、さっき入ったスイッチが、ゆっくりと音を立てて切り替わる。戦う時の私と、今の私。どちらも、ウィルに見てほしい自分だ。
(……会いたい)
小さく呟いて、ミトスは足を速めた。石畳を叩く靴音が、さっきの拍手の余韻と重なって、城の廊下に心地よく響いていった。




