9 具合が悪いのは誰
「実は、試しに作ってみたものがございまして……よろしければ、召し上がっていただけませんか?」
そう言って彼が差し出してきたのは、ふんわり巻かれたクレープだった。
甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
「苺と生クリーム、そして少しの蜂蜜で整えてあります。いい苺が手に入ったので、お嬢様のために作ってみました」
皿の上には、紅く輝く果実と、白くふわっとしたクリームが美しく彩られていた。
私は我慢できなかった。一口、ぱくりと頂く。
「ん……おいしい」
甘さ控えめのクリーム、苺の香りと酸味が絶妙なアクセント。クレープ生地はもちもち食感で最高。これは……絶品だわ!
「これ……女子ならみんな好きな味よ。間違いないわ」
「本当ですか!? お嬢様」
「ええ。これは……本当に美味しい。私だけじゃなくて、侍女たちにも食べさせてあげると良いわ。もちろん、そこにいる娘にもね」
私は、にっこりと微笑んで小間使いの少女を見てから厨房を後にした。
「……な? 言っただろ、お嬢様は変わられたんだよ!」
「……まさか本当だったの? お嬢様の笑顔。あんなの初めて……」
そんな小さな声が、ドア越しに聞こえてきた。
聞こえてるわよ、バカね。
そういうのは、もう少し時間をおいてからいうのよ。
さて、お粥はつくったんだけど……1つ問題があるのよね。
「ところで、誰の具合が悪いのかしら?」
お粥を乗せたお盆を持ちながら、ふと我に返る。
……作ることしか考えてなかったわね。
私は執事のマティアを探して廊下を歩く。
相変わらず隙のない身なりの老執事は、すぐに見つかった。
「マティア」
「はい、いかがなさいましたか、お嬢様」
「使用人の中で具合の悪い人がいるはずよ。お粥を持って行きたいのだけれど、教えてくれるかしら?」
一瞬、マティアの眉がピクリと動く。
だが何事もなかったかのように、いつも通りの落ち着いた声が帰ってきた。
「……はい。今朝方より、侍女のクラリッサが風邪で寝込んでおります。ご案内いたします」
「お願いするわ」
私は、お粥を乗せたお盆を持ったまま、マティアの後をついていく。
◆
「ここでございます。セレナティアお嬢様」
マティア・ローデンは、扉の前でそっと立ち止まった。
(……お嬢様がお粥を……自らお作りになった?)
まだ信じられない、という思いでセレナティアに振り返る。
だが、そこは経験豊富な老執事。感情は顔には出さない。
かつては気まぐれな命令と、理不尽な叱責しか与えなかったセレナティアお嬢様。
病気の侍女のために、厨房に立ち、自ら料理をしたと?
他の使用人から『お嬢様が優しくなったかもしれない』とは聞いていた。
まさか、本当に?
以前のセレナティアお嬢様は優しい少女だった。
それが、いつの間にか悪女と噂されるまでになってしまったが。
あの頃のお嬢様にお戻りになられたのならば……もしかして。
マティアは様々な思いを胸にしまい込み、平静を装って扉をノックした。
「クラリッサ、入りますよ。セレナティアお嬢様がお見舞いにいらっしゃいました」
◆
「えっ! セ、セレナティアお嬢様が私の部屋に……? ごほっ、ごほっ……」
静かに扉を開けたマティアの後について、私も部屋に入る。
部屋の奥のベッドでは若い侍女--クラリッサが苦しそうに咳き込んでいた。顔は赤く火照り、額には汗が滲んでいる。
クラリッサの部屋は、控えめながらも綺麗に整えられていた。
ふーん、ここが使用人の部屋なのね。
私の部屋とは比べ物にならないけど、独房に比べたら遥かにマシね。
「クラリッサ。あなた風邪ひいてるらしいわね」
「す、すみません。すぐに仕事に復帰します」
「無理に起き上がらなくていい。この私が自ら、お粥を作って持ってきたてあげたわ」
慌てて身を起こそうとするクラリッサを、片手を上げて制した。
「え、お、お嬢様が……私ために?」
私は手に持っていたお盆をベッドサイドのテーブルに置き、ほかほかと湯気を立てるお粥の器を取る。
「さあ、食べなさい」
「え……?」
スプーンを手に取り、優しく一口分をすくって差し出す。
クラリッサは、お粥と私を交互に見つめて、怯えと混乱が混じったような表情を浮かべている。
「も、申し訳ありません。お嬢様自ら、お粥を作っていただけるなんて……ですが、食欲があまり……」
「なにかしら? 聞こえないわね……さあ、口を開けるのよ」