60 暴露
大神殿は、民衆の熱狂的な歓声に包まれていた。
「聖女様、万歳!」
「我らが国に、神のご加護を!」
国の救世主である聖女様の姿をその目に見ようと、目を輝かせている。
俺は騎士団長の席から、その光景を冷静な気持ちで眺めていた。
祭壇へと続く真紅の絨毯。その両脇には、王族、貴族、神官たちがずらりと並んでいる。
セレナの父君、ディラン・ヴァルムレーテ公爵は、誇らしげな、しかしどこか硬い表情で祭壇を見つめている。
その少し離れたところには、ミレイナ嬢の姿もあった。彼女は、固い決意を宿した瞳で、俺を一瞬だけ見た。
それですぐに分かった。
彼女もまた同志なのだ。戦う覚悟でこの場に来たのだと。
そして参列者の群れの中に、俺は牢獄で出会った不思議な人の姿を見つけた。
予言のような言葉を残した女性。
柔らかな雰囲気をまとった、ピンク髪でタレ目の――エルちゃん殿だ。
俺に気づいた彼女は、何かを呟くように口を動かした。
おそらくは「来たのね」と、言ったのだと思う。
しかし、すぐに彼女は祭壇に視線を移した。その表情は、面白い芝居を楽しみに待つようだった。
この場で何かが起こるのは間違いない。俺は気を引き締め、機会を待つ。
やがて、ファンファーレと共に、大神殿の扉が開かれた。
現れたのは、純白の婚礼衣装に身を包んだリュシオン殿下とセレナだった。
リュシオン殿下は、爽やかな笑みを浮かべている。その隣にいるセレナは……息を呑むほどに美しかった。
だが、その瞳には俺の知っている強い光はない。穏やかで、どこか虚ろな色が浮かんでいるだけだった。以前にも増して感情のないセレナに愕然としてしまう。
まるで、精巧に作られた美しい人形のようだ。セレナは記憶が戻っていないどころか、前よりも状態が悪い。
愛する人をいいように扱うリュシオン殿下に、込み上げてくるのは、純粋な怒り。
だが、耐えろ……まだその時じゃない。エルちゃん殿の予言が正しければ、俺の出番は必ずやってくる。
奥歯を強く噛みしめて感情を押し殺す。
アルバ枢機卿が、厳かに式次第を読み上げる。
二人は、その声に導かれるように、ゆっくりと神の前へと歩みを進めていく。
一歩、また一歩と、セレナが俺の手の届かない場所へと進んでいってしまう気がする。
ただ見ているだけでも、胸の奥に苦痛が押し寄せてくる。
彼女の未来を、殿下の好きにはさせない。
どの瞬間に割って入るべきか、神経を極限まで研ぎ澄ませながら、静かにその時を待っていた。
◆
大神殿から響き渡るのは荘厳なパイプオルガンの音色。
王国中の民衆が見守る中、聖女と王太子の結婚式は、滞りなく進んでいく。
(……忌々しい結婚式だ。だが、まあいい)
リュシオンは、隣に立つ花嫁を一瞥した。その瞳には人形のように従順な光が宿っている。
(幸い、セレナティアは記憶もなく、私に従順だ。彼女には私の許可無く一言も発するなと告げてある。余計なことを言われては困るからな。式さえ終われば、王宮の奥で飼い殺しにしておけばいい。そうすれば父上のご機嫌を損ねることもない。そして、いずれミレイナも……)
計画の綻びはあったが、まだ修正は可能だ。リュシオンは完璧な笑みを浮かべ、祭壇へと向き直った。
アルバ枢機卿が、リュシオンに厳かに問いかける。
「汝、リュシオン・グランディール。健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、聖女セレナティアを敬い、愛し、助け合うことを、神に誓うか?」
「誓います」
リュシオンは、よどみなく、はっきりと答えた。その声は、誠実な王子のものとして響き渡っただろう。
続いて、枢機卿がセレナティアへと向き直った。
「汝、聖女セレナティア・ヴァルムレーテ。健やかなる時も――」
リュシオンは、この後でセレナティアに返事を促せば、それで終わりだと思って安堵していた。
だが、枢機卿の言葉は、予期せぬ声によって遮られた。
「私っ……その結婚に! 反対ですっ!!」
少し緊張しているような、しかし怒りに満ちた声。参列者の誰もが、声の主へと振り返る。
そこに立っていたのは、ミレイナ・クレフィーヌだった。
(なんだと? なぜミレイナが反対する。まさか第二夫人に不満でもあるのか?)
「皆様、騙されてはいけません! 聖女様は……セレナティア様は、記憶と自我を奪われているのです!」
ミレイナは、震えながらも、大声で叫ぶ。
「その非道な行いは、リュシオン王太子殿下主導により行われたのです! 心優しいセレナティア様を、己の欲望を満たすために利用しようとしているのです!」
ミレイナの主張は、リュシオンの想像とは異なるものだった。
(クソっ、なぜミレイナがこんなことを。一体、何が気にいらないのだ?)
「なんだと?」
リュシオンを責める告発に、国王を初めとする面々は戸惑っていた。だが民衆が、次第にざわめき始める。
「あのお優しいセレナティア様が、記憶を……?」
「俺たちの聖女様を騙したというのか!」
「いくら王族だからって、許せねぇっ!」
集まっていた民衆の中には、セレナティアに治癒を受けた者たちが多く含まれていた。セレナティアへの感謝の気持ちを持つ者たちが大勢いたのだ。
結婚を祝福する気持ちは、今や王家への怒りへと変わり始めていた。
(……やかましい。下劣な民どもが!)
「静まれ!」
リュシオンは冷静に、さらに鋭い口調で叫んだ。
「近衛騎士よ! 民を黙らせろ! 反抗するものは多少痛めつけても構わん! それとあの女を捕らえて連れてこい! 神聖なる結婚式を妨げる不敬者だ!」