59 熾火
あの日、カイル様が連行されてしまって、私たちの「お姉様救出作戦」が失敗に終わってからしばらく経ちました。それからというもの、私の心は常に暗く、重い霧が纏わりついているようでした。
その後、リュシオン殿下からお茶会のお誘いがあり、私は約束通りに……仕方なく応じました。
けれど、あの方と何を話したのでしょう。
……よく覚えていません。
私はもう、お姉様がこの世から消されてしまうのだという絶望感で、胸が張り裂けそうだったことだけを覚えています。
そんなある日、私の元に王宮からの正式な通達が届きました。
震える手で封を開けると、そこには信じられない言葉が書かれていました。
『――聖女セレナティア・ヴァルムレーテ様と、リュシオン王太子殿下の御成婚の儀を執り行う――』
本当に……?
お姉様……! ご無事だったのですね……!
生きて、いらっしゃったなんて――。
私はその手紙を胸に抱きしめ、しばらく涙が止まりませんでした。安堵と喜びで、目の前が明るくなるようでした。
ですが、私にはもう一通手紙が届いていたのです。
それはリュシオン殿下個人からの手紙でした。
手紙には、彼本来の持つ、おぞましい本性が記されていました。
『私の結婚の報告に驚いたことだろう。だが、これは決められたこと。だたの国事なのだ。君は何も案ずることはない。セレナティアは聖女として、結婚後も王宮の奥で、鳥籠に閉じ込めておくつもりだ。彼女は閉ざされた部屋の中で、静かに祈りを捧げるだけの生活となろう。私はセレナティアには妻としての役目など求めていない。
私が王位を継いだ後には……必ず、君を第二夫人として迎えよう。それまで、どうか私のことを待っていてほしい』
読み終えた瞬間、先ほどまでの喜びは、炎のような燃える怒りへと変わりました。
「ふざけないでください……! お姉様を、私を、そしてカイル様を、どれだけ人のことを馬鹿にするのですか!」
お姉様を記憶喪失のまま飾り物にし、カイル様を牢獄に閉じ込め、そして私を第二夫人に迎え入れるですって?
あの人は、自分以外の全ての人間を駒としか思っていないのですか?
こんな非道なことが、許されていいはずがありません。
私の心に、一つの、確固たる決意が灯りました。
もう、暗く沈み、泣いているだけの私ではありません。
お姉様が、そしてカイル様が。
私に勇気をくださいました。
お姉様……知っていますか?
私――お姉様から頂いたご恩が沢山あるんです。
心身共にボロボロだった私に優しく微笑みかけてくださり、癒しの魔法をかけて下さったこと。
心の拠り所のなかった孤独な私に、妹の様だと仰って下さったこと。
私が夜会に参加できるようにと、ご自分のドレスを譲って下さったこと。
夜会で虐められていた私を助けて下さったこと。
隠されたドレスを見つけ出して下さったこと。
継母たちの悪事を暴き、子爵領を救って下さったこと。
数え上げればきりがありません。壊れそうだった私を世界に繋ぎ止めて下さったのは……癒やしてくださったのは紛れもなくお姉様なのです。
今の私がいるのは、心が折れる寸前のところを救ってくださったのは……全部、全部、優しいお姉様なのです。
その御恩に報いたい。少しでも構いません。
私に返させて欲しいのです……。
だから今度こそ私が、お姉様をお救いします。
お姉様がカイル様との未来を、安心して歩めるように。
私は、リュシオン殿下からの手紙を、強く、強く握りしめました。
「この結婚式……私が必ず……めちゃくちゃにして差し上げます!」
◆
牢獄の鉄格子が、外の世界と俺を隔ててからしばらく経つ。
セレナが浄化の儀を終えたという話は、看守たちの噂話で耳にしていた。
本当はすぐにでもここを抜け出して、セレナに会いに行きたい。
だが俺は、あの『エルちゃん』と名乗った不思議な女性を信じた。
振り向いたら消えていた彼女。もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない。
それでも彼女の言葉には説得力があった。
俺はそんなエルちゃん殿を信じて、この牢獄で機会をじっと待っていた。
そしてようやくその日が訪れた。
錆びついた扉が、ギィィと重い音を立てて開かれたのだ。
「カイル。出ろ。王命により君の釈放が決定した。だいぶ頭も冷えただろう?、もうバカなことはしないようにな」
リュシオン殿下より告げられた言葉は、すぐに理解できた。
王命。つまり殿下ではなく、国王陛下からの命だった。団長としての俺が必要とされているのだろうか。
牢から出された俺が全ての事情を聞かされたのは、自分の執務室に向かう途中の廊下だった。
「団長。聖女セレナティア様は、見事、浄化の儀を成し遂げられたのです。王国は今、聖女様の奇跡に沸いています。そして――本日、その聖女様とリュシオン王太子殿下の御成婚の儀が、大神殿前にて行われます」
セレナは……無事だったのか……!
まず胸を占めたのは、じんわりと染み込む安堵の感情だった。
エルちゃん殿が語った「浄化の儀は無事に終わる」という言葉は、本当だったのだ。
だが、安堵も束の間。
エルちゃん殿のもう1つの言葉が、雷鳴のように思い出された。
『――セレナティアちゃんは、きっとその後にこそ、あなたの助けを必要とする』
そうか……。『その時』とは、今この時。つまり結婚式のことだったのか……!
――結婚式。
それは、セレナが完全にリュシオン殿下のものとなり、永遠に自分の手の届かない場所へ行ってしまうことを意味する。
ならば、やることは1つ。
「……礼服を用意してくれるか。団長の正装を。急いでくれ」
俺は、近くにいた騎士にそう命じた。
殿下からバカなことをするなと釘を刺されたばかり。
だが、おれはまだ諦めない。
セレナは……死んでない。
まだ生きていいる!
その事実が俺の魂に火を付けたのだ。
セレナ、今度こそ必ず俺が……救い出す!