4 変な女と不思議な空間
上下もだけど、右左もわからない意味不明でおかしな空間。
足元も定かじゃなくて、頭が狂いそうになるわ。
何も無いのに空間のくせに、風だけは吹いていて。
柔らかな風と、穏やかな光だけが私の周囲にある。
「なんなのよ、ここは?」
そう呟いた私の目の前に、いつの間にかひとりの女性が立っていた。
さっきまで誰もいなかったはずなのに……。
柔らかそうなストレートのピンク色の髪は、膝裏に届くほどに長い。
その髪が、風が吹くたびにふわりと揺れる。
彼女の垂れ目がちの瞳は、どこか気だるげだけど優しさを感じさせる。見ていると不思議と安心感のようなものが漂う。
でも、彼女はおかしい。絶対に普通じゃない。
だって彼女の背後に、虹色に輝く光輪が浮かんで、揺らめいているんだもの。
こんな人間、見たことないわ。
しかも……。
「よく来たわねぇ、セレナティアちゃん」
まだ名乗ってもいないのに、私の名前を知っているのよ。
いっておくけど彼女とは初対面よ? 絶対におかしいでしょ。
「あんた……誰よ? なぜ私を知っているの?」
私は目を細めて問い返す。すこしの混乱と、最大限の警戒を胸に。
「私はエル=ナウル。分かりやすくいうと~、あなたの世界でいう神よね。神だったらあなたを知っていてもおかしくないわよね~?」
ポワンとした口調で、まるで他人事のように名乗った自称『神』は、ふわふわと空中に浮かんだかと思うと、そのまま空中で座りこむ。
まるで、そこに見えない椅子があるかのように。
「はあ? 神? そんな戯言を信じろというのかしら」
「信じるも信じないも、セレナティアちゃんの自由だけどね~」
「変な女ね。それよりも、ここはどこなの?」
「ここは、死んだ人があの世にいくまでに通る『はざま』の世界。……ほらあなた、さっき死んだでしょう?」
「……私が死んだ?」
「そう。忘れちゃった? たまにいるのよ〜。ショックが大きくて、死んだことを忘れちゃう人」
鮮やかに蘇る、死の記憶。
国家反逆罪で投獄され、処刑されたこと。
私は間違いなく死んだ。
じゃあ、今の私は?
「あら、思い出したみたいじゃない?」
どこかあっさりとした彼女の言葉に、私は思わず笑ってしまった。
まさか、本当に神なの?
「神とか、冗談……でしょ?」
「冗談だったら良かったんだけどねぇ~。さて、ここからが本題なのよ~」
「ふん……いいわ。聞いてあげる」
「……それにしても、セレナティアちゃん。どうしてあなたは悪女なんてやってたのかしら? 不思議よね~」
ふわりと浮遊し、上下逆さまになるエル=ナウル。
さっきからこの女、自由すぎない?
神を自称する彼女は、人さし指を顎にあてて首を斜めに傾ける。
その仕草があざとくて腹が立つ。
「なにが不思議なのかしら?」
「だって、あなた――聖属性魔法が使えるじゃない?」
聖属性魔法?
その一言に、私は息をのんだ。
「……私が魔法を?」
「そう、ほんとのことなのよ。ほら、今もちょっと残ってるでしょ? 魂の奥のほうに」
突然目の前に現れたエル=ナウルの指が、私の額に触れる。
「ちょっと、なにするの……」
指を振り払おうとした瞬間、胸の奥に小さな明かりが灯った。
懐かしい記憶が、波のように押し寄せてくる。
――あれは、まだ幼い頃。
道端でうずくまる少年がいた。
彼は馬車にひかれてしまったのだ。しかも馬車は気づかずにそのまま行ってしまった。
私は少年を助けようと、飛び出した。
――あら~、悪女なのに優しいのね。
――なによ!? 子供の頃は優しい少女だったのよ! 勝手に人の回想に入ってこないで。
――はぁ~い。
彼の足はおかしな方向に曲がり、血が流れていた。
そんな彼の足に、私は恐る恐る手をかざした。
何も知らない幼い少女が、できることなんてないのに。
でも、私は彼を救おうと必死だった。
次の瞬間、手から光が溢れて、彼の足は本来の姿に治ったのだ。
「すごい……治った!? これって魔法だよね?」
「し、知らない……」
「そっか、でもありがとう!」
少年の驚きと感謝の言葉。
そこからは思い出せない。
次の瞬間、私はその場で倒れてしまったからだ。
体の奥から力がごっそりと抜けていく感覚だけは覚えている。
執事に抱きかかえられ、屋敷に戻ったけれど、その後しばらく寝込むことになった。
もう二度と、あんな疲れる思いはしたくなかった。
それ以来、私は無意識に力を封じていた。
誰にも言わず、誰にも気づかれないように。
そのうちに魔法が使えることも忘れていった。
――そう、今の今まで忘れていた。