34 それだけじゃいられない
ラザフォード団長からでございます……。
そう聞いただけで、胸の奥がきゅっとする。
勝手に心臓だけが走り出してしまったみたい。
どうしよう……。
こんな展開、知らない。
たかが手紙。
でも、彼から手紙をもらうだなんて、初めてのことだった。
こんなの完全に不意打ちじゃない。
落ち着けっていうほうが無理よ……。
なんとか息を整えて、そっと封を開ける。
手紙には私が想像するよりも丁寧な筆跡で、そして優しさの滲む言葉が綴られていた。
『セレナティア様へ
突然手紙を出してしまったこと、お許し下さい。
建国記念の夜会にはセレナティア様も出席されると伺っています。セレナティア様にお目にかかれること、そして、貴女の素晴らしい笑顔を拝見できることを、心より楽しみにしております。
――カイル・ラザフォード』
カイルが……私の笑顔を、楽しみに……本当に!?
思い出されるのは彼の優しい笑顔。
凛々しいけど……どこか甘いような澄んだ瞳。
彼のことを考えただけで頬が、カッと熱くなる。
まるでそこだけが陽だまりに包まれたみたいにポカポカとしていた。
手紙を持つ手が、微かに震えてしまっている。
文面から彼の気持ちが伝わってきて、心が温かくなる。
思わず胸に手を当ててしまう自分がいた。
いつまでたっても鼓動が落ち着いてくれない。
口角が勝手に上がってしまって、笑顔になるのをどうしても止められない。
何なの、これ。こんなの知らない。
誰か、私の鼓動を、この高鳴りをとめて……。
気づけば……何度も何度も、その短い文章を読み返していた。
カイルの書いた文字を読むと、彼の声がすぐ耳元で聞こえるような気がする……。
ちょっと低めだけど、それでいて安心する不思議な声。
思い出しただけで、息が詰まりそうだった。
「はぁ……どうしたのよ、私!?」
思わず呟いた声は、部屋の静けさに吸い込まれていく。
そうよ、返事……カイルに返事を書かないと。
私は慌てて新しい羊皮紙とペンを用意する。
けれど、いざ書こうとすると、どんな言葉を選べばいいのか、全く思いつかない。
さっきまで頭をぐるぐるしていた言葉たちは何処へってしまったの?
淑女らしく、そつなく書くべき?
それとも、私の気持ちも少し匂わせたほうがいいかしら?
『僭越ながら、私も夜会に参加させて頂きます。ラザフォード様のお気遣い、痛み入ります』
……これじゃあ、堅苦しすぎる。これはないわ!
『謝る必要なんてないわ。カイルと会えるの私だって、すごく楽しみだから!』
……えっと、軽すぎる? 少し子供っぽいかしら?
「はあ、もう……こういう時、なんて書けばいいの?」
部屋で一人、うんうんと唸りながら羽ペンを握りしめていた。
たった数行の返事を書くだけなのに、こんなにも緊張して、胸がドキドキするなんて……。
本当に、私……どうしちゃったのかしら。
これが恋ってやつなの?
脅迫めいた手紙とかなら簡単に書けるのに。
自分の気持ちを書くのって……どうしてこんなに難しいの?
考えが全然まとまらない。
こんなの初めての経験で……自分が自分じゃないみたい。
――こんなの私らしくない。
でも……悪くない。
心が揺れて、いつもの私らしくない感じも、嫌いじゃないかも。
手紙の内容を思い出すと、自然と口元が綻んでしまう。
この日は、窓から差し込む陽光が……いつもよりずっと暖かく感じられた。
早くカイルと会いたい。
建国記念の日が待ち遠しい。
私の頭はそればかり考えていた。
それだけで十分幸せだった。
でも、それだけじゃいられなかったのだ。
父――ディラン・ヴァルムレーテに呼び出されたのは、午後も深く傾いた頃だった。
執務室のドアをノックすると、すぐに「入れ」と低い声が返ってくる。
重厚なドアを開けて入ると、父は机に向かい書類に目を通していた。相変わらず私の顔なんて見もしない。
そのまま顔も上げずに「座れ」とだけ。
その言い方に、感情はひとつも感じられなかった。
椅子に腰を下ろすと、しばらく沈黙が流れる。
父とは同じ屋敷で暮らしているものの、滅多に顔を合わせることはない。
だから、こうして会っていても何を話せばいいのかすら分からない。会話のないまま時間だけが過ぎていく。
私……なんのために呼ばれたの?
そう考え始めた頃、ようやく父が目を上げた。
「建国記念の夜会には、王太子殿下がご出席なさる。お前が……しっかり役目を果たすのを期待している」
「……はい」
はあ? 役目なら果たしてるでしょうが!
行きたくもないお茶会に毎月わざわざ出向いて。
言いたいことはいっぱいある。
でも声に抑揚はつけなかった。感情を乗せたら、余計なものまで溢れそうだったから。
「婚約者として、そろそろ覚悟を決めておけ。相手は王太子だ。軽々しい気持ちで接するな」
またか、と喉の奥で何度も言葉が駆け巡る。
――婚約者という肩書き。それがどれほどの意味を持つのか?
その肩書を……まるで勲章か何かみたいに扱う父が、正直、少し気持ち悪い。
父の言葉は、決して私を見ていない。
見ているのはいつだって、私の向こう側――王家だ。
「……わかっています」
生返事のまま、視線を落とす。
本当は言いってやりたかった。
『王太子との婚約が、そんなに大事?』
『そんなもののために、わたしの人生を差し出さないといけないの?』
でも、言っても意味がないことくらい、この父には届かないことくらいわかっていた。