3 そして断罪へ
「みんなに紹介しよう。こちらはミレイナ・クレフィーヌ嬢。私の新しい婚約者だ」
リュシオン王太子が新しい婚約者を紹介したことで、さらに会場がざわつく。
ミレイナ・クレフィーヌ。たしか、子爵家の令嬢。
緩やかに波打つ金髪。淡いピンクのドレスに包まれた小柄な身体。
大きな瞳と、儚げな微笑。
見るからに『守ってあげたい』と男が思うような、庇護欲をくすぐるような女。
私とはすべてが対象的だった。
ふうん、こういう女が好きなのね。
……ムカつく。
何よ『すいません、私が選ばれてしまいました』みたいな顔して。
私がどれだけ努力して、王太子妃の座にしがみついていたと思ってるの。
笑顔を作って、機嫌を取り続けて、それでも不満を飲み込んでいたのに。
なのに、こんな女ひとり現れただけで、あっさり捨てられるの?
きっと、婚約破棄と私の悪事や浮気は関係ない。
リュシオン王太子は、あのミレイナって女と一緒になりたいだけ。
――じゃあ、あの女さえいなければ?
胸の奥で、黒く渦巻くものが支配する。
ミレイナさえ消えてくれれば、私はまた元に戻れるんじゃないかしら?
あの地位も、立場も……すべてが取り戻せるはず。
唇の端を歪めながら、私はワインを一気に飲み干した。
高級なワインであるはずの味は、まるで毒のように苦く、私の喉を焼いた。
◆
宮廷は騒然としていた。
かつて王太子妃となるはずだった女が――セレナティア・ヴァルムレーテが毒を盛ったと、告発されたのだ。
これはまあ、私のことよね。
毒を盛られたのは、王太子リュシオンの新たな婚約者、ミレイナ・クレフィーヌ嬢。
彼女の元へ運ばれた紅茶に、劇薬が混じっていたという。
その毒は、どうやら致命的な量ではなかったことと、異変に気づいてすぐに吐き出したことが功を奏して、ミレイナは大事に至らなかったらしい。
チッ、死ねばよかったのに。運のいい女だこと。
躊躇しないで、もっと毒を大量に入れるべきだったわ。
でも……問題は彼女が生きていたことじゃなかった。
「もう言い逃れはできんぞ、セレナ。毒入りのグラスは、お前の侍女が用意したものだと証言が出ている」
リュシオン王太子が息を荒げて高らかに言い放つ。
その場にいた誰もが、言葉を失っていた。
私以外は。
私はゆっくりと、ドレスの裾を掴み、堂々とした笑みを浮かべた。
「ふふ。面白いわね。随分と出来の悪い茶番劇ですこと」
「まだ否定するか。……この悪女めが!」
「否定も何も、私は毒など盛っていませんので」
「もういい。この極悪人を捕らえろ!」
リュシオン王太子の声が響き、衛兵たちが私に手をかけようと近づいてくる。
「待て!」
割って入ってきたのは、カイルだった。
この国の誰よりも整った顔に、信じられないという色が浮かんでいる。
その瞳が、まっすぐに私を見ていた。
「彼女がそんなことをするとは、どうしても思えません。これは……なにかの間違いではありませんか?」
「お前は黙っていろ、カイル。栄えあるアークレイン王国の第一騎士団の長ともあろうものが、この悪女に骨抜きにされたか?」
「私は、ただ……彼女を信じているだけです」
真っ直ぐで、愚直で。本当にバカね。
だから嫌いになれないのよ――それが彼、カイル・ラザフォード。
けれど、カイルの言葉も、真っ直ぐな気持ちも。
リュシオン王太子の前では無力だった。
「この女を……セレナティア・ヴァルムレーテを国家反逆罪で投獄せよ!」
その一言で、私はあっけなく衛兵たちに連れて行かれた。
カイルだけは、歯がゆそうに立ちすくんでいた。
◆
獄中の夜は、冷える。
石造りの壁と床、硬い寝台、湿った空気とさびた鉄の柵。
灯りもない独房の中で、私は膝を抱えていた。
……どうして、私がこんな場所に。
誰かが嘘をついた。私を陥れた。
それなら悲劇のヒロインよね。
けれど、実際は私がやったこと。
だってあの女、私の地位をうばったのよ。許せるはずもないじゃない。
私は望むものをすべて手に入れてきたから。
周囲の妬みと憎しみを、雨の如く浴びても平然と笑っていられた。
……その結果が、これ?
「……っ」
小さな笑いが漏れる。
震える喉から、笑いとも嗚咽ともつかない音が零れ落ちる。
「セレナ」
不意に扉の外から、聞き慣れた声がした。
「カイル……?」
小窓から覗き込む彼の顔が見える。
衛兵の目を盗んで来たのだろう。いつもの整った姿ではなく、乱れた髪と土で汚れた手袋。
顔には焦燥が浮かんでいる。
こんな悪女のためにそこまでするの?
あなたは騎士団長ともあろう男なのよ。それがこんな……。
「……どうしてよ、カイル。なんできたの?」
やっと口に出せた言葉は、涙交じりの上ずったものだった。
私らしくもない、情けない声。
彼にだけは、聞かせたくない声だった。
それでもカイルは、まっすぐに私を見る。
「俺は、セレナを信じてる。……けど、俺ひとりの力じゃ、今はどうにもできない」
その悔しげな声を聞いて、私はもう泣きそうだった。
あなたは私に騙されているというのに。
本当にバカな男。
なんでそんなに献身的なの?
私は意地でも泣かなかった。
泣き顔を見せたら、カイルの重荷になってしまうから。
「……ありがとう、来てくれて」
「セレナ……俺がなんとかするから――」
「もういいの。カイル、私に構わず、あなたの人生を生きなさい」
「セレナっ……」
もう潮時みたい。
そろそろ、この男を解放してあげないといけない。この人はバカみたいに真っ直ぐだから。
これが、カイルとの最後の会話。
そして私は、処刑された。
未来の王妃を毒殺しようとした重罪人として。
何の情けもなく、冷酷な手順で淡々と。
私は断罪され、その短い生涯を閉じた。
私の生涯は閉じたはずだったのに……。
気がつけば、私は真っ白な空間にいた。