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25 ずるい男

 王宮の回廊を進む足音が、やけに響く。まるで、この先に待ち受けている面倒な相手を知らせる鐘の音のようだった。


 ……はぁ、ほんと憂鬱。

 できれば今後、リュシオンの顔を見ずに生きていきたいんだけど。


 でもそれは叶わないことだってのは分かっている。

 だってこれは、婚約者としての『義務』だから。

 私はこの義務から逃れることはできない。王族との婚約を破棄するなんて不可能。


 リュシオン・グランディール王太子。


 彼の名前を心の中で呟くだけで、自然と胃が重たくなる。口元が自然と引きつっているのが自分でも分かって、思わずため息が漏れそうになった。


 でも、胸の奥に灯った小さな温もりが私を鼓舞してくれる。

 

 さあ……いくわよ。


 私は気持ちを切り替えて歩き出す。

 廊下に控えていた侍女が私を見つけ、丁寧に頭を下げる。


「お待ちしておりました、セレナティア様。王太子殿下は、すでに中庭のティーセットを整えてお待ちでございます」


「……ええ、すぐに向かうわ」


 気乗りのしない気持ちを上手に隠して返事を返す。

 王宮にいる限り、私は『王太子の婚約者』という役割を演じなければならない。たとえ、その相手が自分を裏切りって他の女と婚約した相手でも。私を処刑した男だとしても。


 噴水の水音が聞こえてくる。もうすぐだ。薔薇の咲き誇る中庭に差し掛かると、そこには、今日も変わらず絵に描いたような美しい男が座っていた。


 金糸のような髪を風になびかせ、銀細工のティーセットの前で優雅に笑むその姿は、まさ『王子様』という言葉がぴったりだ。


 ……外見だけなら、まあまあなのに残念な男ね。

 心の中で棘を込めて呟く。


「来たか、セレナティア。今日も美しいな。君が来るのを楽しみにしていたよ」


 そんな言葉、何度聞いたか分からない。けれど、彼の声には、いつもどこか演技臭さがつきまとっている。


 私はいつものように笑顔を作り、礼儀正しく礼をする。


「光栄ですわ、殿下。お待たせして申し訳ございません」


 そう返しながらも、内心は冷静そのもの。リュシオンが私の表情の裏をどこまで読み取っているかは分からない。


 私は椅子に腰掛け、せめてこの時間が静かに過ぎるようにと祈った。

 けれど――。


「ん? そのネックレスは実にかわいらしいデザインだな。よく似合っているよ」


「まあ、本当ですか?」


「だが、君が選ぶとは思えないな。誰かからのプレゼントか。……まさか、男からのものではないだろうな?」


「いえいえ、男性からではありませんわ。知り合いの令嬢から頂きましたの。」


 ちっ、エル=ナウル。

 厄介なものを寄越してくれたわね。

 

 このネックレスはどういうわけか外そうとしても外れないのだ。仕方ないからこうやってつけたままにしているけれど、まさかこのネックレスに注目されるとは。

 

 私は思わずカップを持つ手に力を込めてしまった。リュシオンの瞳が、じっと私を見つめている。


 ……今、彼に疑われている? それとも、これはただの世間話?


「彼女は可愛らしい女性なので、こういうデザインが好きなのでしょうね。」


「なるほど……友人からのプレゼントか」


 カップを口に運ぶ彼の笑みは、微かに揺れていた。

 そのやり取りだけで、私はこのお茶会が、思った以上に気が抜けない時間になると悟る。


 でも、私は負けない。

 私には、癒やし要員が……カイルがついているもの。


 ふと浮かぶ、あの静かな微笑。それだけで強くなれる気がした。

 私は笑顔を絶やさず、リュシオンと向き合い続けた。


 ◆

 

 お茶会が終わった頃には、胸の奥に嫌な熱が残っていた。


 リュシオンの笑顔も、言葉も、どこか嘘くさくて。やけに芝居がかった言い回しと、見え透いた称賛。心に響くものは、何ひとつなかった。


 王子の婚約者。形式だけの関係。

 お飾りとして扱われることに、慣れたふりをするのは本当に疲れる。


 「……はぁ」


 見た目は背筋を伸ばして歩いているが、内心では肩をぐったりと落としていた。

 誰も見ていない廊下の角で、思わず小さくため息を吐いてしまう。


「セレナティア様」


 聞き慣れた、静かな低音。


 顔を上げると、そこにいたのはカイルだった。

 柱の影から一歩踏み出すようにして現れたその姿は、まるでずっと私を待っていたかのようで。


「……ラザフォード団長。どうしてここに……?」


「お茶会、お疲れ様です。もしお帰りでしたら、馬車までご一緒します。よろしければ」


 さりげない誘いだったけれど、その一言が、今の私には何よりも優しかった。


「じゃあ……お願い、してもいいかしら?」


「ええ、もちろんです」


 私の歩幅に合わせて隣を歩くカイルの足音は、心地よいリズムを刻んでいた。

 廊下に反響する靴音が、まるで穏やかな演奏のようで……どんよりとした重たい気持ちを少しずつほぐしていく。


「……あの人、相変わらずだったわ」


「リュシオン殿下ですか?」


「うん。外面ばかり気にしていて、本音が見えないの」


 私の言葉に、カイルは一拍置いてから頷いた。


「……セレナティア様は、嘘のない方ですね」


「……え?」


「目を見れば、すぐわかります。本当のことしか言わない、まっすぐな目をしています」


 まっすぐな目……私が?

 悪女と噂され、冷徹な目と言われていた……私の目が?


 そんなふうに言われるのは、久しぶりだった。

 思わず顔をそらして、視線を落とす。


「ちょっと……見すぎじゃない? カイル」


 実は、さっきからずっと視線を感じていた。そのせいか、頬が少しだけ熱を持った気がした。体の熱が頬に移ったせいか、少し肌寒く感じてしまい思わず腕を抱える。

 

 春とはいえ、廊下を抜ける風はまだ冷たかった。

 するとカイルは、不意に立ち止まって、私の肩にそっと外套を掛けてきた。


 私は無意識にそれに身を委ねていた。


「冷えます。セレナティア様は、少しお疲れのようでしたから」


 ……どうして、そんなことまでわかるの?


 誰にも気づかれなかった弱さを、彼だけが静かに拾ってくれる。

 その優しさに、心がきゅっと締めつけられる。


「……カイルって、ずるい男ね」


「え? 今、なんと?」


「なんでもないわ……」


 そう言って、私は彼の外套をぎゅっと握りしめた。

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