20 もうすぐ死ぬ
私が生き返ってから1ヶ月位経つ。この生活は以前とかけ離れた生活だった。、感謝してくれる人を無下に扱うことができなくなっていた。
正直、相手にするのもめんどうくさいという気持ちもある。でもこの笑顔を向けられると、なぜか胸の奥が暖かくなってきてしまうのだ。
だから、できるだけ穏やかに聞こえるように答えた。
「ああ、それと……そのリンゴだけど。気持ちだけ受け取っておくわ。これはあなたがちゃんと食べなさい」
「えっ、いいの? でも、これお姉ちゃんにあげようと思って」
「私はいいのよ。それより、あなたは育ち盛りなんだから、しっかり食べることね」
もう私は死ぬ。
未来のない私には、食べ物とか……必要ない。
なら……これからも生きる未来のある人が栄養を取るべきでしょ。
「そっか……うん、そうする。ありがとう、お姉ちゃん。」
少年は少し悩んでいたけれど、ぱあっと顔を輝かせて嬉しそうに答えた。
私が治療した人たちは何度も頭を下げて、名残惜しそうに部屋を出て行った。
静かになった部屋で、私は少しため息をつく。
人って変わるのね……。
こんなふうに、人から感謝されるのを素直に受け取れるようになるなんて、あの頃の私には想像もできなかった。
でもね。もう、私にはほとんど魔力が残ってないの。
今日は魔法を発動させることはできないと思う。つまり、このミッションは失敗する。
もう……ここまでかしらね。
私は、気がついたら笑っていた。
だって、笑うしかないでしょ。
私は、やれることはやった。けど無理だった。もう仕方ないのよ。
その時、控えめにノックする音が、また聞こえた。
先程のおどおどした感じとは違う。強くもなく、臆病でもない。迷いながらも決意を込めた音。
「どうぞ……」
投げやり気味に答えると、扉がそっと開かれた。
もう死ぬというのに、なんで他人の相手なんてしなければいけないのかしら。
そう思っていた。
来客とかどうでもよくなっていたけれど、部屋の空気がピリッとした気がして……。
ふと視線を向けた。
茜差す光の中に立っていたのは、黒の制服に身を包んだ長身の青年。
黄金色の髪が、窓から差し込む夕陽に照らされいて、まるで光をまとっているみたいだった。
彼は一步、また一步。静かに歩み寄ってくる。
私は息を呑んだ。
「……なんでここに?」
言葉が、喉の奥で震えた。
その姿を見た途端、胸がきゅっと締めつけられた。
柔らかそうな髪を、夕陽が朱に染めている。一瞬、赤毛かと思ったけど紛れもなく金髪。女性なら放っておかないだろうほどに整った顔だち。
カイルだった。
どうして彼が?
彼は、かすかに困ったような笑みを浮かべていた。
「具合はどうですか? セレナティア嬢」
彼の声は静かだったけれど、どこか優しくて……。
触れられていないのに、体温が届いたみたいだった。
私は内心、動揺していた。
すこし距離を取ろうと思っていた相手だったから。
私が死なないため、この人とは距離を置くべきだと思っていたのだ。
でも、どうして。
会いたくなかったはずなのに、会わないって思っていたのに。
会った瞬間に、心のどこかが少しだけ安堵している。
そう気づいた瞬間、自分の頬が少し熱くなった。
相反する思考と心に、戸惑いを隠せなかった。
貴族教育を……腹芸をみっちり仕込まれて使いこなしてきた私だけれど、この動揺はきっと顔にも出てしまっている。
私は……彼と話がしたかったのだろうか?
カイルに、会いたかったの?
でも……彼の問いに答える前に、状況を整えたかった。
声を出すのが、少し恥ずかしかった。
「マティア、クラリッサ。少し下がっていてくれるかしら。ラザフォード団長と2人だけで話がしたいの」
「お嬢様……お体はよろしいのでしょうか?」
「ええ。話くらいならば問題ないわ」
「かしこまりました。」
二人は顔を見合わせ、やや不安げながらも頷いた。
「では何かありましたら、すぐにお呼びください」
マティアはそう言い残し、クラリッサを伴って静かに部屋を出ていった。
ふたりが戸惑いながらも部屋を出ていくのを見届けて、再び彼に向き直る。
ほんの少し、彼との距離が近い気がして、視線を落とした。
部屋にいるのは私とカイルだけ。
「それで……ラザフォード団長は、どうしてここに?」
「……アレンの見舞いです。貴方に治療していただいた、呪いの傷の彼は、私の部下なのです。時々、様子を見に来ていたのですが、彼はいっこうによくならなくて。正直もうだめかと思っていました」
カイルはそこで言葉を切ると、まっすぐに私を見つめた。
相変わらず整った顔。澄んだ瞳に私が映っている。
なぜかそれだけで、心がざわめいてしまう。
「ですが……まさか、あんな奇跡が起きているとは。そして、治療したのはセレナティア嬢。貴方だと」
カイルがいっているのは、最初に私が治した患者。魔物による呪いの傷を受けた彼のことをいっているのだろう。 たしかに、あの患者はやせ細っていて、死を待つしかないような状態だった。ボルダ医師長も何を施しても状態がよくならず、できることはないといっていた。
あの呪いの彼――顔も覚えていないけどアレンというらしい――は騎士だったのか。
魔物と戦うなんて無謀な男だと思っていたけれど、騎士ならば……カイルの話で納得がいく。
「私は貴方にお礼を言いたかった。しかし、貴方が倒れてしまったというではありませんか……そして貴女が、ご自身の身を顧みず、多くの人々を救われたとも……」
「そうですわね……。すこしハリキリすぎたのでしょう。魔法は加減が難しいですわ」
「セレナティア嬢が、ご無事でよかった。本当に貴方のおかげです。……感謝しています」
カイルが深々と頭を下げて感謝の意を示す。
私は何も答えられなかった。
部屋に静寂が落ちる。
だって私は、そんな立派な人間じゃない。
死にたくなくて、必死なだけだった。自分のことを優先していただけ。
そう。ただ死にたくなかっただけ。
それも結局、叶わなかったけれど。