2 悪女、舞踏会へ行く
三日月が見下ろす夜、王宮の大広間は光の海と化していた。
天井には無数のクリスタルが滴るように連なり、足元の大理石にはシャンデリアの光がまばゆく反射している。壁には豪奢な金細工と絹のタペストリーが埋め尽くさんばかりに飾られている。
そんな豪華な大広間には宮廷楽団の優雅な旋律が響き渡り、絢爛なドレスに身を包む令嬢たちが流れるように舞っていた。
王宮主催の舞踏会。
私は、その中心にいた。
――セレナティア・ヴァルムレーテ。
王太子の婚約者にして、この国で最も話題に上る女。それが私。
漆黒のドレスに金糸の刺繍をあしらい、背中が大胆に開いたデザイン。
首元にはルビーのチョーカー。
唇に乗せた濃い紅とおそろいのルビーは、まるで血のように赤く、黒いドレスの中で際立っている。
今の私は、視線ひとつで男たちの心を惑わせることができる。
「セレナティア様、今夜もお美しい……」
「お手を取っても?」
「どうか一曲だけでも、私と、ご一緒に……!」
まるで、神殿に訪れた信者たちが神にかしづくかの様に、男たちが私の周りを取り囲む。
彼らは文官だったり騎士だったりと様々で、年齢すらバラバラだ。
私に恋する者、あるいは未来の王妃としての私に取り入ろうとする者。
彼らの目には様々な欲望が見え隠れしている。
私は彼らの手を取らない。
だって、焦らすのが好きなんだもの。すぐに餌を与えたらおもしろくないでしょ?
男が群がる私には、自然と令嬢たちの目線も集まる。
嫉妬、軽蔑、妬み。彼女たちの目にも様々な感情が見える。
でも、面と向かってその感情をぶつけてくる令嬢はいない。
私は未来の王妃。
だれも私には逆らえない。
ふと、視線を向けると先にいたのは彼。
カイル・ラザフォード。王国騎士団の団長であり、私の浮気相手。
軽く無造作にまとめた金髪に、碧眼。広い肩、均整の取れた体躯。
黒の正装に身を包んでも、隠しきれない戦士としての鋭さと色気がにじみ出ている。
整った顔の多い貴族が集まるなかでも、その魅力がひときわ目を引くカイル。
令嬢たちが放って置くはずもなく、彼に次々に話しかけ、恥じらいを浮かべながら袖に手をかけていく。
それなのに、カイルは誰にも心を許さず、どこか遠い目をしている。
「ふうん……意外とつれないのね。あの男」
私はグラスを口に運び、赤いワインをひと口飲む。
視線の隅で彼の動きを追いながら、何も知らない顔で微笑みを浮かべる。
あらあら、残念ね。
あなた達のような下品な女には、彼はなびかないみたい。
カイルの目は誰にでも向けられるものじゃないの。
私のような、美しい女だけに向けられるものなのよ。
私は優越感を覚えつつ、彼女たちを眺めていた。
その時、会場の空気がざわめいた。
王太子、リュシオン・グランディールがゆっくりと階段を降りてきたのだ。
細身のシルエットに、淡く波打つプラチナブロンド。
整った顔立ち――だが、その中で一際目を引くのは、切れ長で鋭い目つき。
笑っていても笑っていない。そんな目。
冷たさと猜疑心、そして己の優位を信じて疑わない絶対者独特の空気を纏っている。
私は、リュシオン王太子のあの目がどうにも好きになれない。
けれど、王妃になるためには仕方ないわね。
私は微笑みを作り、彼の元へ歩み寄る。
さて今夜も、婚約者としての役割をこなすとしますか……。
「リュシオン様、今宵も素敵ですわ」
けれど、彼の返事はなかった。
私の前で足を止めると、いつものような皮肉混じりの口調ではなく、妙に淡白な声が響いた。
「セレナ。話がある。……少し、静かな場所へいいか?」
「もちろんですわ」
どうにも雰囲気がおかしいリュシオンの態度に眉をひそめながらも、私は頷いた。
そして、少しだけ歩くと人目のあるまま――彼は言った。
「この場を借りて、告げよう。セレナティア・ヴァルムレーテ。貴様との婚約を破棄する!」
……え?
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
けれど、リュシオン王太子の目には冗談っぽい雰囲気も、一切の感情もなかった。
……本気、なのね。
気づくと会場の雰囲気が一瞬にして変わっていた。
「セレナティア様が婚約破棄された!?」と周りの貴族たちがざわめき出す。
もう、さっきまでの華やかな空気は微塵もない。
「リュシオン様。理由を、説明していただけますわね?」
感情を押し殺して笑う。周囲の視線が突き刺さる中、私はその場に立ち尽くす。
だが、彼は淡白な声で続けた。
「理由だと? 君の悪事と浮気だ。証拠は押さえてあるぞ。もちろんこのことは、既に父上にも報告済みだ」
「悪事? 浮気? いつ、私がそのようなことを? それはいったい――」
「黙れセレナ。私を侮辱するつもりか? 貴様のような女と結婚などできるはずないだろう」
冷たい声だった。人前で平然と私を切り捨てるその態度に腹が立つ。
王太子としての威厳ではなく、ただ自分の正当性を誇示するための芝居。
そのためなら、私を辱めることをいとわないクズ男。
そして――リュシオン王太子の隣に、ひとりの令嬢が歩み寄る。
まるで、こうなることが分かっていたかのような自然な動きだった。