19 調子狂うわ
……ん……なにかしら……?
誰かの話し声と、柔らかな光を感じて、私の意識はゆっくりと浮上した。どうにも瞼が重い。身体もだるくて重りでも乗せられているみたい。
……私、今どういう状況?
どうして、寝ているのかしら?
ゆっくりと目を開けると、見慣れない木の天井が見えた。
ここはどこ?
ぼんやりとした頭で記憶を辿る。思考は絡まった糸みたいにうまくほどけない。それでも必死に記憶の糸をたぐる。
そうだわ。
治癒院に来て……みんなを癒して……たしか。
「お嬢様! お気づきになられましたか!」
すぐ傍で、クラリッサの心配そうな声がした。今にも泣き出しそうな彼女と、マティアがベッドの脇に控えていた。マティアの目元が少し赤いようにも見える。うそ……泣いていたとか? まさか、気のせいよね?
どうやら、私は治癒院の一室で寝かされていたみたい。なんで私、こんなところで寝ているのかしら?
「クラリッサ……? どうしてそんな顔をしているの?」
「えっ、覚えてないんですか? お嬢様は急に倒れてしまったんですよ」
「私が……倒れた?」
クラリッサの言葉で、意識が少しはっきりとしてくる。
思い出したのは、必死に魔法を使っていた記憶。
「ところで今、何時?」
「もう夕刻でございます。お倒れになってから3時間ほど、お眠りになっておられました」
マティアが静かに答える。3時間も寝ていたなんて……。
それだけ消耗したのね。
私が身体を起こそうとすると、マティアがそっと背中を支えてくれた。
目を閉じたまぶたに、夕陽がじんわりとしみる。
窓の外は茜色に染まり、部屋の中にも優しい夕陽が差し込んでいた。
けれど、まだ現実と夢の境目が曖昧だった。
2つの世界の挾間を揺らぐように、意識はぼんやりとしている。
「……そう。私は気を失っていたのね」
「はい。お嬢様は、みなさまのためにご自身の限界まで魔法をお使いになられたのです」
「……思い出したわ」
あの無茶な『100人を癒せ』というミッションをこなそうと、必死に魔力を使ったのだった。限界まで頑張らないとクリアできると思えなかったから。それも無駄な努力だったみたいだけど。
ともあれ、私が突然倒れたから、2人はこんなに心配そうな顔をしていたのね。
「あの、お嬢様。お体の方は大丈夫ですか?」
「ええ、少し休めば歩けるくらいにはなるでしょう」
「よかったです。お嬢様……このままお目覚めにならないのかと。グスッ」
「大げさですよ、クラリッサ。お嬢様はこの程度のことで屈したり致しませんよ」
「ええ、そういうマティアさんだって、泣いてたじゃないですか?」
「あら、マティアが? 私も見たかったわね」
「お、お嬢様……」
「ふふっ……」
少し慌てたマティアの様子に、思わず小さく笑みが漏れる。彼が取り乱す姿なんて、滅多に見られるものじゃないから妙におもしろい。
私たちが笑っていると、ふと廊下から複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。そしてどこか遠慮がちに、扉がそっとノックされる。
私はマティアに目で合図を送ると、マティアが軽く頷いて、返事をする。
「どうぞ」
すると恐る恐る、ボルダ医師長が部屋に入ってきた。よく見えないけど、彼の後ろにも何人かいるみたいだった。
「おお! お目覚めになられましたか、聖女様! あ、いえ、セレナティアお嬢様! お身体の具合は……いかがですか?」
「……ええ、もう大丈夫よ。それより、私のことを聖女っていったかしら?」
「あっ……それは、その……皆、お嬢様の御業に感激し、そうお呼びしておりまして……」
聖女……。
私も調べてみたけど、たしか国に認定されないと名乗っちゃいけないのよね。
まあ、この人たちはそんなこと知らないのでしょうけど。
ボルダ医師長がしどろもどろになっているが、彼の後ろに人影が見えた。それは私が治療した患者たちだった。彼らはみな心配そうな顔をしている。
「聖女様、お加減はいかがですか?」
「私達のために、あんなにご無理をなさって……どうか、ご自分のお身体も大切になさってください」
「本当に、ありがとうございました……!」
花を一輪持ってきた娘。
少ししなびたリンゴを差し出す少年。
ただただ深々と頭を下げる老人……。
彼らの目には、恐怖や疑念はない。
ただ純粋な感謝と、私の身を案じる温かい光が宿っていた。
真っ直ぐな感謝と心配の言葉に、どう返せばいいのかわからない。
正直、このリンゴはいらないんだけれど。
でも、なんなのよ、この状況……。私は聖女じゃないんだけど。
かといって追い返すのも、なんだか違う気がする。
本当に、調子狂うわ……。