16 焼き払うのがいい
クラリッサが治癒院の奥へと消えていったので、私は改めて治癒院の中を見渡した。
壁にもたれて浅い息をする老人、汚れた布を巻かれた腕を押さえる若者、ぐったりとした子供を抱きしめる母親……。誰もが痛みと不安に顔を歪めている。
具合の悪い人はせいぜい数十人程度。恐らく100人はいないんじゃないかしら。
本当にミッションクリアできるのか不安になってくる。
程なくして、クラリッサは少し恰幅のいい初老の男と戻ってきた。男の顔には隠しきれない疲れが浮かんでいる。
ふうん、あのおじさんが責任者なの。
マティアよりも若そうだけど、苦労のせいか、かなり老け込んで見えるわね。
「お初にお目にかかります、セレナティアお嬢様。わたくしがここの責任者をしております、医師長のボルダと申します。このような場所へ、ようこそおいでくださいました……しかし、本日はどのような御用でしょうか?」
ボルダ医師長の声には、貴族に対する警戒と困惑が滲んでいた。
まあ、当然の反応でしょうね。
普通の貴族はこんなところ来ないもの。来ても嫌がらせするくらいじゃないかしら?
以前の私なら「こんな不衛生な施設は焼き払うのが良いと思うけど」くらいのことはいいそうだもの。
でも、残念ね。今日は違う用事なの。
「単刀直入にいうわね。ここにいる怪我人や病人を、私に治療させなさい」
「……えっ?」
医師長だけでなく、近くで聞き耳を立てていた看護師や患者たちも、あんぐりと口を開けている。
「お、お言葉ですが、お嬢様。治療というのは……」
「そのままの意味よ。ただし、私は医者じゃないから、魔法で治療するのだけれどね」
「ま、魔法ですか? でも、魔法で治療するなんて、伝説に聞く聖女様しか出来ないはず」
「セレナティアお嬢様には、それが可能でございます」
「まさか!? そ、そんなことが」
マティアがすかさず私のフォローに入る。
よし、もう一押しってところね。
「私の言葉が信じられないというのなら、試してみる? ……そうね、一番長く苦しんでいるような人を一人、選んでちょうだい。すぐに楽にしてあげるわ」
「ひぃぃ……」
私は口角を上げ、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。ボルダ医師長は何かを勘違いしたらしく、悲鳴を漏らして後ずさる。
まったく、失礼なおじさんね! ただ治すだけよ。
「安心して下さい。セレナティアお嬢様は不器用なだけです。本当はとてもお優しい方ですから」
「はぁ? 私が不器用ですって?」
いいじゃない、クラリッサ。
あなた、私を怒らせたいのね?
「し、失礼いたしました! と、とにかく……私たち使用人も、お嬢様に癒して頂いたことがあります。お嬢様の力は、私とマティアさんが保証します」
ボルダ医師長は眉間に深い皺を刻み、周囲と視線を交わした後、意を決したように頷いた。
「……分かりました。では、あちらのベッドの男性を。もう半年以上、魔物に負わされた呪いの傷が塞がらず、そうとう衰弱しております。もう我々の手には負えません」
彼が示す先には、顔色の悪い痩せこけた男性が横たわっていた。腕に巻かれた包帯には、黒ずんだ血が滲んでいる。
まるで死を待つしかないような状態。
でも、私ならできるわよね?
「まあ、見てなさい」
私は迷わずそのベッドへ近づく。
包帯を取ると傷口の周辺の皮膚も黒ずんでいる。これが魔物による呪い……。
呪いの治療は初めてだけど、大丈夫。いつも通りにやれば出来る。
私は大きく深呼吸をする。
マティアとクラリッサが心配そうに見守る中、私は傷ついた腕にそっと手をかざした。
「……っ!」
魔力を集中すると、手のひらから温かい光が溢れ出す。これが私の魂に刻まれた、神も認める聖属性魔法。
淡い光が傷口を包み込むと、黒ずんでいた部分が浄化され、元の色に戻っていくのが分かる。開いていた傷もゆっくりとだけど、確実に塞がっていく。
男性の苦悶に歪んでいた顔が、次第に穏やかな表情へと変わっていった。
「傷が塞がっていく!?」
「う、嘘だろ。あの、呪いの傷が……本当に?」
「痛みが……引いていく……? あたたかい……」
男性自身のかすれた呟きと、周囲から漏れる驚愕の声。ボルダ医師長は信じられないものを見るように目を見開き、看護師たちは息を呑んでいる。
「あの患者は治った……のか?」
「本当にあの令嬢が治してくださったのよ!」
「これは、神の奇跡か……?」
ざわめきが波のように広がっていく。私は静かに手を下ろし、息をついた。
「ふう……これで、信じたわよね?」
ボルダ医師長は、しばらく呆然としていた。
と思ったら、はっとした様子で慌てて私の前に片膝をつき、頭を下げた。
「も、申し訳ありませんでした、セレナティアお嬢様! 私は今……本物の奇跡を目にしました!」
「まあ、わかればいいのよ」
「どうか、どうか……他の者たちもお救いください!」
「あら、いったはずよね? 初めからそのつもりよ」




