15 治療院へ
「マティア、少し聞きたいのだけれど」
書類を整理していた老執事は、私の声に気がついてこちらを振り返った。
「おはようございます、セレナティアお嬢様。なんでございましょうか?」
平静を装って、私は尋ねる。
なるべく、自然に聞こえるように。焦りが声に出ないように。
「実はね。怪我人がたくさんいる場所を探しているの……あなた、知らないかしら?」
「……怪我人、でございますか?」
老執事は一度眉を寄せたあと、静かに頷いた。
「そう、多くの怪我人や、治療を必要としている人々が集まるような場所、心当たりはある? ほら、私は王妃になるわけだし……見聞を広めたいと考えているのよ」
「お嬢様……」
マティアは私の言葉に、一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻した。彼のダークグレーの瞳が、何かを読み取ろうとするかのように私を見ている気がする。
私は命がかかっているから、必死なだけなんだけど。うまく隠せているかしら?
「……さようでございますか。それなら『治癒院』がよろしいかと」
「治療院?」
「はい。王都にいくつかある施設でして……戦災孤児や日雇い労働者、魔物ハンターなど、身分の低い者が集まる場所でございます。そこは医者の数も、薬も足りていないと聞き及んでいます」
「ふうん……そこいいわね。そこに行きたいわ」
「ですが、お嬢様。そのような場所に公爵家の令嬢が出向くのは……」
「なにか問題でもあるの?」
「セレナティアお嬢様のような高貴な方が訪れるには、少々……その、環境が整っているとは言い難い場所でございます」
遠回しに「行くべき場所ではない」と言っているのね。彼の言うことはわかる。きっと貴族が行くような場所じゃないんでしょ?
でも、私は今日中に100人を治癒しないと『ぽっくり死んでしまう』わけで……。マティアのいう治療院に光明のようなものを感じている。
「それに、貴族の令嬢が訪問したとあっては、少々騒ぎになってしまうかもしれません」
やっぱりね。治療院は平民しかいかないような施設なんだわ。
でも、そんなことはどうでもいいのよ。
「構わないわ。すぐに向かうから、準備してくれるかしら?」
「……かしこまりました」
マティアは深く一礼をする。私の決意が固いことを悟ったのだろう。
そう、私はまだ死にたくないの。
「マティア、あなたも来てくれるわね?」
「もちろんでございます」
その直後、後ろの廊下からパタパタと足音が響いた。
「お嬢様、私もお供させて下さい!」
元気よく現れたのは、クラリッサだった。私が彼女の風邪を治して以来、慕ってくれている侍女だ。
「私も、お嬢様のお力になりたいです!」
「これから行くのは治療院よ。マティアが言うには……あまりいい場所じゃないみたいだけど。それでも良いのね?」
「もろんです。お嬢様の行くところであれば、どこでもお供致します」
満面の笑みで意気込む彼女を見ると、少しだけ気が紛れた。
「そう……じゃあ、よろしくお願いするわ」
「はい! では、準備してまいります」
こうして、私はマティアとクラリッサを伴い、治癒院へと向かうことにした。
◆
私達が乗るのは、公爵家の紋章が入った豪華な馬車。
窓の外を流れる景色を見ながら、私は内心でため息をついた。
さて、どうなることかしら……。私にできるのかしらね。
馬車が公爵家を離れるにつれ、周囲の建物は質素になり、道行く人々の服装も変わっていく。しばらくすると、御者を務めていたマティアが声をかけてきた。
「お嬢様、あれが治療院でございます」
そして、目的の治癒院が見えてきた。思ったよりも粗末な木造の建物だった。
数人が入口付近に集まっているのが見えた。活気がある、というよりは、助けを求める人々の切実な空気を感じる。
馬車の到着に、入口付近の人々がざわめき出す。まあ、豪華な貴族の馬車が来たんだから驚くでしょうね。
人々の視線が集まるなか、マティアが恭しく馬車の扉を開ける。
私は令嬢の仮面を作り、優雅に足を踏み出した。
◆
治療院の扉を開けると重い空気が漂っていた。
湿った石造りの廊下には、うずくまるように横たわる人々。部屋には簡易的なベッド並び、そこに寝かされた人々が見える。
うめき声、咳、涙。病人や怪我人が所狭しと並び、看護師らしき人々が慌ただしく行き来していた。
「う、うわあ……」
「お嬢様、やはり引き返したほうがよろしいかと……」
クラリッサが目を丸くし、マティアは眉間に深い皺を寄せている。
普通の令嬢なら足早にその場を離れ、二度と寄り付かないような場所ね。
それにしても、マティア。
相変わらず忠義に厚い男だこと。私を心配しているのね。
でも、私は意外と平気なのよ。
「さて、どうやら私の治療が必要みたいね。ここの責任者と話をしましょう」
マティアの説明を聞いて、治療院がどんな酷い場所なのかと想像していたけど。
なによ、牢獄より全然キレイじゃないの。臭いもこっちのほうがましだわ。あそこじゃ、うめき声だって日常茶飯事だったし。
あの独房にくらべたら、どこだって天国ね。
獄中での生活は最悪だったけど、私を強くしてくれたみたい。
私の言葉に二人ともハッとしたような顔をしているけど。どうしたのかしら?
「失礼しましたお嬢様。さすがでございます」
なるほど、私が落ち着いているから感嘆したのね。
「では、お嬢様。私が責任者を呼んでまいります。少々お待ち下さい」
クラリッサが責任者を呼びに行ってくれるみたいだし、私は、のんびり待つとしましょう。




