第2章 Soulless Body(2)
エリザベスは湖のすぐ近くにある大きな木の下で座り込んでいた。まだ今の別荘に住んでいた頃、フローラや妹と喧嘩した時によく逃げ出していた場所だ。まさかエレンと喧嘩してここに来ることになるとはエリザベスも思っていなかった。
この場所に来てからしばらくじっとしていたが、そろそろエレンの元に戻るべきかとエリザベスは考える。おそらく誠心誠意謝れば、エレンも許してくれるだろう。しかしそれでは何の解決にならない。むしろ問題を加速させてしまうだけだ。
エリザベスが戻り、エレン達の訓練が再開され、飛行魔術が完成されたら、エレンにとってエリザベス達フォルトナー四姉妹を物質世界に留めておく理由が減ってしまうかもしれない。
エレンがエリザベス達のことを家族だと思ってくれていることはエリザベスも分かっている。それでもエリザベス達は霊体だ。生きている人間とは違う。
結局、エレンとフォルトナー四姉妹は主従関係であることに過ぎない、とエリザベスは考えざるをえない。エリザベス達の肉体を探すという約束はあるものの、それ以外ではエリザベス達がエレンの命令に従っているだけと言えなくはない。どんなに言い繕っても、人間と霊体では対等な関係を築くことができない。
とはいえこのまま逃げ続けるわけにもいかない。エレンに許してもらいながらも、エレンにずっと必要だと思われるようにする方法をエリザベスは必死に考える。
そこで誰かがここへ近づいてきた。
「メアリの言う通りだったな。ここだったか」
声の正体はミヨクだ。隣にはメアリがいる。エレンの代わりにエリザベスを呼び戻しに来たのだろう。
「なあ、エリザベス。何があったかは知らないけど、とりあえず今はみんなのところへ戻ろうぜ。なにも、すぐにエレンと仲直りしろとは言わねぇからさ」
生前と違って、空腹になることもないし、戻ろうと思えばたとえメイスラでも自力で戻れるのだが、ずっと独りのままでいるのはエリザベスにとっても良くないだろう。エリザベスは首を縦に振り、ミヨクに従うことにした。
「ところでエリザベス。どうして急に、エレンに逆らうようなことしたんだよ。俺とメアリでよかったら聞くぜ。エリザベスがいいっていうまで、エレンには話さないし」
エレンには言えないことでもミヨクやメアリには言えるだろう。話を聞いてもらうことで、いくらか気が楽になるかもしれない。ミヨクの心遣いはありがたいが、エリザベスは言えなかった。
エリザベスが首を横に振ると、ミヨクはあっさりと引き下がった。
「まあ、無理にとは言わねぇが……。言いたくなったらいつでも言えよ。できれば、エレン本人に」
ここは、エリザベスは頷くことにした。エレンと仲直りしたいのは確かだ。ただ、どうすればいいのか分からないだけだ。
そしてエリザベス達は別荘に戻る。湖に沿ってエレンがいたところを目指していた時だ。湖岸に一人の少女が立っていた。
髪の色は茶、髪の長さは肩に掛からないくらい、身長は百五十センチメートル前半くらいだろう。歳は十三か十四だとエレンは予想する。やや釣り目で、鼻は少し高いものの、目は大きく、まだあどけなさは残る顔立ちだ。どことなく雰囲気がエレンに似ている、とエリザベスは感じた。
少女は緑のワンピースを着ていて、大きなボストンバックを持っている。そして、湖の先をずっと見つめていた。
そこでミヨクがこんなことを言う。
「あの子……、例の、エーテル欠乏症の子かな?」
オリバーを訪ねて来る予定の患者なのだろう。ミヨクに言われてからエリザベスも分かった。この湖周辺はとても綺麗な場所だが、観光地として整備されていない。魔術師が所有する虚空間内の地上の土地は、無術者の間では呪いなどの噂が広まっており忌避されている。無関係の人間が迷い込むことなどないはずだ。
エリザベス達が見つめていると、少女がこちらの存在に気付き、エリザベス達の方を向く。彼女はまずミヨクを見て、怖がるように一歩後退する。それからしっかりとエリザベスとメアリを見て、安心したように一歩前へ出た。
「あの子、視えてるな……」
ミヨクも気付いたようだ。少女には霊視能力がある。ミディアムだ。エーテル欠乏症ということなので無術者ではないと思っていたが、ミディアムだとはエリザベスは思っていなかった。
「とにかく話しかけてみるか」
ミヨクがそう言うと、少女の方へ歩き始めた。エリザベスとメアリも彼について行く。少女は大人しく待っていた。
「やあ。君、オリバーさんを訪ねて来た子だろ?」
ミヨクは優しそうな声を掛けるが、少女は怯えてしまったのか、身を少し引いてしまった。それでも勇気を振り絞るように、少女が口を開く。
「そうです。オリバーさんをご存じなのですね。ところであなたは?」
「ミヨク・ゼーラーだ。よろしくな。君は?」
少女は一旦ミヨクから眼を逸らし、彼の方に向き直ってから答えた。
「リリー……です……」
それからリリーは再びミヨクから目を逸らした。というよりエリザベスとメアリを見ていた。ミディアムなのは確かなのだろう。二人のことが気になるようだ。ミヨクがエリザベスとメアリを見ながら言う。
「君もちゃんと見えてるみたいだな。この二人はエリザベスとメアリ、あと同じような霊体の女の子が二人いるから、別荘……診療所に行ったら紹介するよ。まあ、見分けにくいと思うけど、仲良くしてやってくれ」
ミヨクの言葉にリリーが頷く。そこでエリザベスはミヨクの袖を引くような素振りを見せる。ミヨクがそれに気づき、エリザベスに訊く。
「エリザベス、もしかしてこの子と話したいのか?」
ミヨクの問いに対して、エリザベスは首を大きく縦に振った。リリーはミヨクを怖がる仕草を見せていたが、エリザベスとメアリのことは全く怖がることなく、むしろ親しみを込めた目で彼女達を視ていた。ミヨクが男性だからというのもあるかもしれないが、リリーにとっては霊体の方が接しやすいのかもしれない。
「いいけど、お前との会話って、初見だとミディアムでも疲れるかもしれないから気をつけろよ」
思念での会話は、ミディアムの間でも行わないことが多いらしい。そもそも大抵の低振動霊とは正常なコミュニケーションを取ることができない。高振動霊と交信するにしても、ミディアムに憑依させてミディアムの身体で会話させるのが普通だ。
「あの……」
リリーが何かを言おうとしていた。言いにくそうとしていたのを察したのか、ミヨクがゆっくりと丁寧に話しかける。
「どうかしたの? 遠慮せず言っていいよ」
ミヨクに促されると、リリーはこんなことを言い出した。
「私、ミディアムじゃ……ないです……」
それからリリーは一拍置いてから、こう付け足した。
「私、魔術師です……」
「ごめん。俺もミディアムじゃなくて魔術師だしな」
厳密に言えば、霊能力を持っている時点でその人間はミディアムなのだが、魔術師は霊能力を持っていたとしてもミディアムではないと主張することが多い。ミディアムとしての訓練をしていないからというのが主な理由だ。また、ミディアムに対する差別から逃れるために霊能力を隠している魔術師もいる。
それからリリーはエリザベスの方へ身体を向ける。
「けど、思念は大丈夫です……。慣れてるから……」
もしかしたらリリーはエレンに近い魔術師なのかもしれない、とエリザベスは考えた。とにかくそれならば話が早い。エリザベスは「友達になろう」と伝えた。
霊体に親しみを覚えているリリーなら快く承諾してくれるだろうとエリザベスは思っていたが、実際には、リリーは申し訳なさそうに俯いてしまった。
「ごめんなさい……。病気の私と友達になっても……迷惑を掛けると思うから……」
「病気って、エーテル欠乏症のこと?」
ミヨクが訊くと、リリーが首肯する。自己のエーテルが不足することで肉体と魂の繋がりが薄くなる病気。そのため突然意識を失うことが多いだろう。霊体に憑依される危険もある。エリザベスでも簡単に想像することができる。周りから冷遇されていたことだろう。もしかしたら酷い扱いを受けていたのかもしれない。
「はい……」
リリーが答えると、ミヨクが優しそうな微笑みで応じる。
「そこは心配するなって。俺だってエーテル欠乏症だし。それに、その病気を治しに来たんだろ。迷惑に思うことなんて……」
「違うんです!」
ここで初めて、リリーが大きな声で主張した。エリザベスは驚くと同時に不思議に思う。そもそも自分は霊体だ。人間のミヨクに迷惑が掛かると言うのならば話は分かるが、霊体の自分にも迷惑が掛かるという原因が思いつかない。自制ができない地縛霊ならばともかく、エリザベス達が勝手にリリーと繋がるということはないはずだ。
しかしリリーの心配事は違ったようだ。
「私は……私でなくなるんです……」
リリーがゆっくりと告げる。そこでミヨクの表情が曇った。
エリザベスもすぐに察する。リリーは憑依能力を持ち、その能力を制御できないということだ。そして地縛霊などがリリーに憑依して、彼女の身体を操るということだろう。
そしてリリーの傍にはリリーの身体を狙っている霊体がいるということだ。
「エリザベス、メアリ、何か見えるか?」
ミヨクが訊くが、エリザベスもメアリも首を横に振る。霊体が高振動化しているか、リリーの魂に隠れているのだろう。エリザベスにもリリーに憑いている霊体が見えない。
ミヨクがリリーに質問する。
「あの……話したくなかったら、ここで話さなくてもいいんだけど、その霊体はどんな奴だ? 自分で名乗ったりしていたか?」
ミヨクの質問に対して、リリーは躊躇うような仕草を見せた。そこでミヨクは慌てて両手を振る。
「ああ、いや……言いたくないならいいんだぞ……」
「いえ……。言います。言わないといけないから……」
リリーは深呼吸してから、短い言葉で答えた。
「フォルトナー……」
リリーの言葉に、エリザベスは驚かなかった。ミヨクは口を大きく開けて驚いていたようだが、エリザベスは納得していた。エーテル欠乏症患者が霊体と繋がるとなれば、フォルトナーに辿り着くのは必然だ。
さらにリリーが続ける。
「私が憑依されてる時、私はフォルトナーって名乗っているらしいんです。その……フォルトナーの名前は、有名ですから……。私、孤児院で迷惑を掛けて……、治療しないと追い出すって言われてるんです」
リリーはさらりと孤児院という言葉を使っていたことをエリザベスは聞き逃さなかった。ミヨクもメアリも同じようで、三人で顔を見合わせる。
リリーに関する情報を、エリザベス達は全然持っていなかった。治療を依頼されているオリバーもそうだ。本人が紹介状を持っているから、それを確認してくれと彼女の後見人に言われていただけとのことだ。
リリーのエーテル欠乏症とそれに関連する霊能力がいつからあるのかは分からないが、それらが原因で、両親に捨てられ、孤児院でも邪険にされていたのだろう。実際、エーテル欠乏症の患者であるにも関わらず、リリーは独りでオリバーの診療所まで行かされている。
「そっか……。とにかく早くオリバーさんに診てもらおう。真守とエレンもいるし、きっと何か分かる……」
そこでミヨクは言葉を切った。エリザベスもその瞬間をしっかりと見た。
リリーが突然その場に倒れたのだ。まるでマリオネットの糸が全て切られたみたいだ。急いでミヨクがリリーに駆けつける。そして彼女の状態を観察した。
「息はある。エーテル欠乏症の症状だろう。俺もこんな感じで倒れたことあるらしいからな。とにかく早く帰ろう。エリザベス、メアリ。リリーが霊体に憑依されていることはなさそうか?」
ミヨクの質問に対して、エリザベスが「ない」と伝えた。あくまでリリーは意識を失っているだけであるみたいだ。
「分かった。とにかく急ごう」
ミヨクがリリーを背負って歩き出す。ミヨクではエリザベス達を実体化させることはできないので、エリザベス達では今は力になれない。
別荘へ向かっている最中、エリザベスはリリーを見て思った。顔立ちも、儚げな雰囲気も、エーテル欠乏症に苦しむ境遇も、リリーはフローラに似ていた。




