第7章 少女と同じ願い(5)
ソニアは窮地に立たされてしまった。過剰摂取型に隙を突かれて、黒い炎の精霊が投げられた。ソニアは魔力の供給を一時的に止めて、黒い炎の精霊の実体化を解こうとしたが、間に合わない。ミヨクとメリッサがいたところの壁が黒い炎の精霊の激突によって粉々に砕かれてしまう。
「ミヨク! メリッサ!」
「ソニア様。前を向きなさいっ!」
ソニアが壁の方を見ていると、クレメンスが一喝する。
「戦闘中です。あの二人ならきっと上手く逃げたでしょう。そう信じて、今は目の前の敵に集中しなさい」
クレメンスの言う通りだとソニアは気を引き締める。ミヨクとメリッサがあの程度の攻撃で死ぬような魔術師ではないはずだ。今ソニアがするべきことは、魔力の限りを尽くして、過剰摂取型を灰に変えることだけだ。
ソニアは再び黒い炎の精霊を呼び出し、過剰摂取型に激突させる。根競べの再開だ。ソニアの魔力が残り少ないのは確かだが、過剰摂取型も消耗していないわけではない。身体のところどころが黒焦げになっており、そこは再生していないようだ。また、エーテルに何度も触れた影響なのか、今では黒い炎の精霊に触れただけで黒い炎が引火するようになった。
「もう少し……もう少しよ……」
ソニアは自分に言い聞かせる。あと少しで過剰摂取型を倒すことができる。自分の攻撃は効いている。信じて攻撃を続けていれば必ず勝てるはずだ。
「いや、まだだな」
黒い炎に燃やされながらも、過剰摂取型が力強く黒い炎の精霊を押し返す。今までのエーテルの影響が残っているとはいえ、新たにエーテルを与えなければ黒い炎の効果は小さいままだろう。
そこでクレメンスが過剰摂取型の横に回る。そして両手を重ねて過剰摂取型の方へ突き出す。
「Nein, Acht, Zwei」
クレメンスが詠唱をしてから三秒後、魔法陣が展開され、エーテルの弾が発射された。適正属性ではないものの、攻撃用に喚起するだけの技術は持っているようだ。ミヨクもメリッサもいない今、クレメンスがエーテル魔術を放つしかない。
しかしミヨクやメリッサが放つエーテル魔術に比べると、喚起までに時間が掛かっているし、弾速も遅い。
「ぬるいわ小僧」
過剰摂取型は黒い炎の精霊を片手で抑えながらも、もう片方の手でエーテルの弾を跳ね返した。クレメンスの魔術による時よりも遥かに速くなってクレメンスへと襲い掛かる。クレメンスは寸前のところで回避したが、エーテルの弾が地面に着弾したことによる衝撃で吹き飛ばされ、そのまま近くの壁に叩きつけられてしまった。
「クレメンス!」
クレメンスは頭を強く打ったのか、そのまま倒れてしまった。ソニアとしてはクレメンスの安否を確認したいが、今は過剰摂取型から意識を背けるわけにはいかない。
「さあ、仲間はいなくなったぞ。おとなしく負けを認めたらどうだ。吸血鬼の身体も存外に悪いものではないぞ」
「ふざけないで。絶対に負けないわ」
ソニアは強がるが、追い詰められていることは明らかだ。エーテル魔術による援護がない以上、黒い炎の精霊の効果は著しく弱まる。それに、ソニアの魔力が限界に近い。黒い炎の精霊の実体化も、もってあと数分だろう。
過剰摂取型が黒い炎の精霊を押す。過剰摂取型はまだ余力が十分にあるようだ。段々と黒い炎の精霊が後ろへ押し出されるようになってきた。
このままでは負ける。ソニアはそう思った。思ってはいけないことだったが、そう思わざるを得ない状況だ。黒い炎の精霊はもうすぐ消え、過剰摂取型がソニアを捕まえる。ヘンシェル教会の仲間やソニアが救うべき人達はみんな殺され、ソニアは吸血鬼にされてしまう。それだけではない。この過剰摂取型を野に放ってしまえば、メイスラや無術者の世界も蹂躙されてしまうに違いない。その最悪のシナリオを頭の中から拭うことができない。
それだけは許してはならない。ソニアはそう思っているのに、もう自分の力だけではどうにもならない。誰も助けが来られない状況かもしれないが、それでも他にできることがない。
「助けて……」
そこでソニアは一人の名前を思い浮かべた。他に候補はいたはずだが、それでもソニアには一人の少年の名前が頭から離れなかった。
「ミヨク……」
仲が悪かったはずなのに、ソニアは彼の助けが欲しかった。ミヨクがエーテル属性の魔術師だからというわけではない。ソニアにもなぜだか分からないが、ミヨクしかいないと思えてならなかった。
ミヨクが命を懸けてメリッサを助けたからだろうか。それともミヨクが命を削ってまでエドガーを倒したからだろうか。それともミヨクがソニアの欠点を指摘して、助けを求めることの大切さを教えてくれたからだろうか。
ソニアはミヨクと魔術戦の形で戦ったことは何度もあるが、彼の実戦を見たことはあまりない。それでも、彼が立派に戦ったのだろう。標山の森で魔術戦をした時も、エヴォーダーで吸血鬼と戦った時も、彼の成長が見られた。ミヨクと会ってまだ一年も経っていないが、会う度に彼が成長しているのが分かる。
ミヨクがソニアに対して対抗意識を持っていることはソニアも気付いている。本気で自分に勝つ気でいるのだろう。今はまだ魔術師としての実力はソニアの方が上だが、ソニアを超える日が来るかもしれない。それだけの潜在能力をミヨクは持っているとソニアは評価している。
そこまで考えてソニアはおかしく思った。あれ程気に入らなかったミヨクのことを考えている自分が不思議でたまらなかった。
そして、そんなミヨクを求めている自分も――。
「助けてよっ! ミヨク!」
ソニアがそう叫んだ瞬間、横から杖が差し出された。杖の装飾は過剰摂取型へと向けられている。ソニアはその杖の持ち主を見遣った。
ミヨクは笑顔でソニアを見つめている。小馬鹿にするように鼻で笑った様子だが、それでいて呼ばれたことが嬉しそうな、とても優しい笑顔だ。
「相変わらず言うのが遅いんだよ」
「そういうあなたは相変わらず生意気ね」
ソニアも笑顔で応える。そして二人は過剰摂取型の方を向いた。今こそ決着の時だ。
「オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」
「Acht, Acht, Acht, Sieben, Füuf, Sieben, Füuf, Zweiundzwanzig」
ソニアは魔法陣を展開すると同時に黒い炎の精霊の実体化を解いた。残りの魔力を全て注いだ最後の攻撃を過剰摂取型にぶつけるためだ。ミヨクのエーテル魔術が加わる今ならば、その黒い炎で過剰摂取型を燃やし尽くすことができるはずだ。
ソニアの黒い炎とミヨクのエーテル砲撃が同時に放たれる。それらは吸血鬼の過剰摂取型に直撃する。
「「いっけぇぇぇぇええええええええええええええ」」
過剰摂取型の身体で黒い炎が一気に燃え上がる。黒い炎に対する耐性がかなり落ちている今なら、あと一撃、黒い炎とエーテルは合わせてお見舞いすれば過剰摂取型を倒すことができるとソニアはにらんでいた。しかしそんなことは関係なく、ソニアには確信があった。
ミヨクが一緒にいてくれるなら、強大な敵も倒すことができる。ミヨクは生意気で、憎らしいところはある。しかしその反面、勇敢で、格上の敵が相手でも命を懸けて抗うことができる。そんな人に助けてもらえるなら、ソニアもどんな困難にも立ち向かっていける。
「馬鹿な……。がぁぁぁぁぁああああああああ」
過剰摂取型の身体は徐々に灰に変わっていき、やがて身を包んでいた黒い炎と共に消えていった。そこに残されたのは大量の血だまりだけだった。
ソニア達が過剰摂取型に打ち勝ったのだ。
それを確認すると、ソニアはすぐに大の字になって寝転んだ。行儀が悪いと分かっているが、もう身体も精神も限界で、まともに動くこともできない。それでも知らなければならないことがあるのは分かっている。
隣で座り込んでいるミヨクに、ソニアは訊く。
「メリッサは? クレメンスは? 一応、ケビンも……。無事なの……?」
ケビンは戦闘に参加していないので安全なところにいるだろうが、過剰摂取型の攻撃に巻き込まれたメリッサとクレメンスの安否は心配だ。ミヨクは丁寧に答える。
「メリッサさんは無事です。けど避けた時に足を挫いたようで、中で休んでいます。クレメンス先生も今意識を取り戻したようですよ。ケビン……さんも中にいます」
この場にいる者の無事を聞くことができてソニアは安心した。しかし懸案事項はまだ残っている。
「吸血鬼の血液はどうなっているかしら? もしかして動いている?」
「動いている感じはしないですね。どうします? サンプルとか採ってみますか?」
研究所の中では燃やすことができなかったので、ソニアは吸血鬼の血液を採取しようとした。しかし今いる場所なら、朝になれば太陽光によって吸血鬼の血液を焼却することができる。
「動いていないのならいいわ。サンプルなんて要らない。太陽に焼いてもらいましょう」
「そうですか。ソニアさんがそう言うのなら」
ソニアとしては、吸血鬼の血液などこの世界に存在してはならない代物だ。全て消し去ることができるのならそうするべきだろう。あとは博物館の状況だ。強力な吸血鬼が二体送り込まれたらしいので、負傷者や犠牲者が出ていないか心配だ。
「なら、早く博物館に戻らなきゃ……ってて」
ソニアは立ち上がろうとするが、疲労が溜まり過ぎて上体を起こせそうにない。
「駄目ですよソニアさん。しばらく休まないと」
ミヨクはそう言うと自分の上着を脱いで、ソニアの身体に被せた。
「あなた、そういう気遣いできたのね……」
「やっぱり上着取りますよ」
「ごめんなさい。今の失言は謝るわ」
ソニアには、会う度に喧嘩していたミヨクのイメージが残ってしまっていた。けど今は違う。今までもそうだったかもしれないが、今は明確に、ミヨクは自分を助けてくれる大切な存在になっている。ミヨクとの接し方を改める時が来たとソニアは思った。
ここでミヨクが違う方向を向く。守護霊と話しているのだろう。何度が相槌を打った後、笑顔になってソニアに向き直った。
「マーガレットから報告があったようです。博物館の敵は真守が倒してくれて、怪我人はいないそうです」
そこでようやくソニアは全身の力を抜くことができた。三人の仲間を失ったが、それでもそれ以上の犠牲者は、事件の首謀者であるリチャード・グレンを除いて一人も出なかった。今回の事件でここまで被害を抑えられたのは、外部の協力者の力が大きい。ミヨクやメリッサだけでなく、真守も功労者として表彰したいと思う。
ソニアはミヨクに話しかける。吸血鬼や事件のことではなく、単に自己満足で聞いてみたいことだ。
「これであの人の願いに一歩でも近づけたかしら?」
「あの人って……セシル・ヘンシェルのことですか?」
ヘンシェル家の人間と言えばセシル・ヘンシェルを連想するのは当然のことなのだろう。似たようなやり取りを何時間前にしたような気がしながらも、ソニアは答えた。
「セシル様もそうだけど、私が言いたいのはアイラ・メイスフィールドのことよ。アイラも、こんな争いをなくしたい、理不尽な暴力から人々を救いたいと願っていたんだって、あなたなら私よりも分かっていると思うけど」
アイラは、本当は誰も傷つけたくなかった。ただ普通の魔術師として生きて死にたかっただけだ。『白い魔女』にされてしまったミヨクならば尚更、アイラの気持ちが分かるはずだ。
「そうですね。ソニアさんがそう思っているのなら、アイラも喜ぶでしょうね」
そこでソニアは思いつく。ソニアの願いもアイラの願いも、何も特別なことではないのだ。ただ平和に生きていたいというだけの話だ。六百年前は複雑な事情があって、アイラが魔術連盟と敵対せざるを得なくなっただけで、願い自体は普通の女の子が抱くようなものだ。
「ありがとうミヨク」
ソニアは心の底から感謝を述べる。六百年前にこの願いを叶えられなかったアイラ・メイスフィールドの分も込めて――。
「私達の願いを叶えてくれて」
まだソニアの理想には程遠い。実際に、今回の事件では仲間を三人失ってしまった。それでも、ミヨクが助けてくれたお陰で、異世界による危害からたくさんの人達を助けることができた。
アイラ・メイスフィールドという少女と同じ願いをいつまでも胸に抱いて生きていこうと、ソニアは改めて心の中で誓った。




