第7章 少女と同じ願い(3)
黒い炎。
ソニアは黒い炎に関する仮説を立てた。
黒い炎は異世界に存在する生物だが、この世界の生物よりは霊体の方が近い。精霊が存在するとすれば黒い炎のことを言うのだろうとソニアは考えている。
吸血鬼が属する異世界で、吸血鬼の対抗勢力として存在する精霊。
吸血鬼は太陽に弱い。厳密に言えば、吸血鬼の血液は太陽に弱い。吸血鬼の血液が太陽光を浴びると蒸発したことは、セシル・ヘンシェルの手記にも記録されている。その際は黒い炎は発生しないようだ。吸血鬼の血液は魂の繋がった生物ということだろう。
その太陽から身を守るために、吸血鬼の血液は生物に寄生すると考えられる。生物の中に入ってしまえば、たとえそれが生物だったものだとしても、吸血鬼の血液は太陽光から守られる。
しかし黒い炎は吸血鬼の血液に対抗するための性質を持っている。吸血鬼とは反対に、黒い炎は太陽光を浴びることで活性化するという仮説が立てられる。夜中や建物の中では、太陽光の恩恵を得られず、黒い炎の力は弱い。しかし太陽光に照らされている場所ならば、黒い炎はその能力を遺憾なく発揮する。
魂と繋がっていない物質に繋がり、その物質を焼却する。魂と物質を繋げている半物質を吸収する。その性質は吸血鬼に対抗するためのものなのだろう。だから吸血鬼は太陽の下に出たら燃えてしまう。アイラ・メイスフィールドのような元の人間が生きている吸血鬼も、それだけで死んでしまうことはなかったが、太陽の下では黒い炎に燃やされていたようだ。
黒い炎はこの世界、エヴォーダーの研究所に召喚され、周辺を漂っている。充満していると言っても過言ではないだろう。おそらく吸血鬼を制御するための処置だろう。黒い炎は吸血鬼を追い続け、太陽の下で吸血鬼を焼き尽くす。
「連盟にばれたら、私一生牢獄の中かな……」
ソニアは苦笑しながら呟く。魔術連盟の許可なく異世界生物の召喚をしてしまったのだ。過剰摂取型を討伐するためとはいえ、禁忌を破ったことに変わりない。ミヨクが『白い魔女』であることを隠しているので、今更心配するのも馬鹿らしいのだが、罪悪感が生まれないわけでもない。
黒い炎はソニアの適正属性なので、今後も使い続けるが、黒い炎の精霊を今後も召喚するつもりはソニアにはない。そもそも膨大な魔力と専用の魔法式がなければ召喚できないものだ。今後は召喚する条件が揃う機会すらないだろう。
ソニア達は、黒い炎の精霊のことをバーンリットと呼ぶことにした。燃える精霊、BURN(燃える)とSPIRIT(精霊)を足した造語である。黒い炎の精霊は黒い炎の集合体であり、質量を持ち、人型を成している。
「行きなさい。黒い炎の精霊」
ソニアが命令すると、黒い炎の精霊は過剰摂取型に殴りかかった。その拳は過剰摂取型の額に直撃する。しかし、過剰摂取型は燃えることなく、少しも怯まない。
「効かぬな」
やはり黒い炎の精霊として黒い炎が実体化したとしても、既に魂と繋がっている生物を燃やすことは難しいのだろう。まだ夜は明けておらず、太陽光に照らされていないので、黒い炎の性質は十分に発揮されないようだ。
「いいえ。まだよ」
黒い炎の精霊の攻撃だけでは過剰摂取型に有効打を与えられないことは、ソニアとしては想定内だ。もちろん対策は考えている。
その対策が高所から放たれた。ミヨクによるエーテルの砲撃だ。
「そこよ。黒い炎の精霊」
エーテルの砲撃が過剰摂取型に命中するところを、黒い炎の精霊は拳で殴る。この攻撃も直撃する。今度は効果があったようで、攻撃した箇所が黒い炎で燃え上がった。エーテルによって吸血鬼と繋がりやすくなるのは、黒い炎の精霊も同じようだ。ただし今の攻撃では黒い炎はすぐに消えてしまった。
ミヨクとメリッサが崖の中にある部屋にいる。この広場を監視するための空間だろう。ソニアは確認しないが、ミヨクがそこの開けた窓から攻撃しているはずだ。
「くそ……。やはりそう来たか。なら」
過剰摂取型はミヨクのいるところを見つけたようで、傍にあった岩石を拾い、それをミヨクに目掛けて投擲した。岩石の大きさは人間の頭程だ。どこに当たっても重傷だろう。しかしその岩石がミヨクに直撃することはなかった。
岩石が窓を通る直前で砕け散った。強烈な衝撃波が岩石を阻んだのだ。メリッサの風属性魔術によるものだろう。ミヨクが攻撃して、メリッサが防御すると形を取っているようだ。ちなみにケビンはミヨクとメリッサの後ろで隠れているとのことだ。
過剰摂取型の攻撃を防いだところで、ミヨクが再び砲撃を加える。それに合わせて黒い炎の精霊も攻撃する。再び過剰摂取型が黒い炎で燃やされる。
「小癪な」
過剰摂取型はそう言いながら、姿勢を低くした。そして黒い炎の精霊に突進する。そのまま激突した。黒い炎の精霊は過剰摂取型を上から抑え込む。押し合いが始まった。
「しまった……」
力では黒い炎の精霊は負けていない。しかし黒い炎の精霊が過剰摂取型に覆い被さる形になったので、ミヨクの砲撃の射線が通らなくなってしまった。エーテルがなければ、過剰摂取型にダメージを与えることができない。
「Nein, Zwei, Zwei」
そこでクレメンスが水の魔術を放った。水流が発生して、黒い炎の精霊と過剰摂取型に直撃する。もちろん両者にダメージはないが、水に流されてわずかに動く。過剰摂取型の身体が時計回りにずれる。それによってミヨクの砲撃の射線が通った。
すかさずミヨクが過剰摂取型にエーテルの砲撃を放つ。今度は一点集中の大きな砲撃ではなく、小さな砲撃の弾幕だ。ほとんどが過剰摂取型に命中する。黒い炎の精霊と密着して、多くのエーテルを得た過剰摂取型は、黒い炎にとってはただの薪だ。
「があああああああああああああああ」
過剰摂取型は悶え苦しむ。身体の半分が黒い炎に覆われていた。必死に黒い炎の精霊に噛みつき、その拘束から離れる。黒い炎の精霊に触れられたら不利になると察したのだろう。黒い炎の精霊から一気に二十メートル程距離を取った。
「残念。それこそ悪手よ。オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」
まさか忘れたわけではあるまい。ソニアは元々黒い炎を適正属性とした魔術師だ。黒い炎の精霊を召喚しなくとも、吸血鬼を燃やす手段を持っている。
ソニアが黒い炎を放ち、ミヨクの砲撃と合流する。二人の魔術は過剰摂取型に直撃して、黒い炎はさらに燃え上がった。先程から黒い炎の精霊の黒い炎を直接受け続けている分、黒い炎に対する耐性も減っているようだ。
「ぐぉぉぉおおおお。小娘共がぁぁぁああ」
黒い炎は再び消えたが、効果はあるようだ。過剰摂取型の身体はところどころ焼け落ちている。黒い炎で燃やされた箇所は再生しないか、もしくは再生が遅いようだ。
ソニアは堂々と言い放つ。
「降参しなさい。降参すれば、苦しまず楽に逝かせてあげる。それがあなたの、吸血鬼にされてしまった者の願いでしょう」
人間を辞め、太陽の下に出られない。化け物の姿になった者もいる。それでいて、途方もない時間を過ごさなければならない。過剰摂取型も死にたがっていることを匂わせる発言をしていた。ソニアの言葉は間違っていないはずだが、過剰摂取型は怒りを露わにする。
「ふざけるな! 無術者を皆殺しにし、地上を侵略することこそが我々魔術師の願望だ。貴様には魔術師としての矜持はないのか」
過剰摂取型の言葉を聞いて、ソニアはくすりと笑ってしまった。過激派の思想を魔術師の総意にすることは、ソニアとしては怒るべきことなのだが、あまりに的外れなことなのでおかしく感じてしまった。
「私の願いはあなたとは違うわ」
ソニアは笑みを消した。今から言うことは皮肉とは思わない。それは彼女の真剣な願いで、ソニアの先祖であるセシル・ヘンシェルが託された。たとえどんな経緯があったとしても、それはソニアも受け継ぐべき願いだ。
「私の願いは、アイラ・メイスフィールドと同じよ。私も、アイラも、こんな馬鹿げたことで傷つく人達を見たくない。それだけよ」
本当にそれだけだ。そんな単純なことだったのだ。アイラが願ったことは、誰も傷つかないということだけだ。ただ彼女にとって、彼女が取り巻く状況の所為で、それがとても困難だっただけの話だ。願い事自体は、普通の人間が考えるような、普通のものだった。『吸血鬼の魔女』や魔術師など関係ない。ただの少女の願いだ。
だからソニアもはっきりと言える。魔術連盟の因縁やヘンシェル家の子孫など関係ない。ソニアとアイラの願いは全く同じだ。
ソニアの答えを聞き、過剰摂取型が激高する。
「この愚か者がぁぁぁああああ」
「馬鹿はあなたよ。吸血鬼」
過剰摂取型が再び突進してくる。黒い炎の精霊も迎え撃つ。両者がぶつかる直前に、ミヨクの砲撃が放たれた。先にエーテルの弾幕が過剰摂取型に命中して、その直後に黒い炎の精霊が過剰摂取型にぶつかる。先程と同じように、過剰摂取型の身体は黒い炎で燃やされていく。
それでも過剰摂取型は黒い炎の精霊を盾にするように、ミヨクの砲撃の射線を切ろうとする。
「Nein, Zwei, Zwei」
そこでクレメンスが水の魔術で過剰摂取型を動かし、ミヨクの砲撃の射線を通す。ミヨクが砲撃を当てて、過剰摂取型が黒い炎で燃やされる。
このまま一連の行動を繰り返せば、過剰摂取型はいずれ燃え尽きる。しかしソニアは内心焦っていた。
今の状況は過剰摂取型にとって悪手ではなくむしろ最善策だ。この過剰摂取型は『なり損ない』とは違い、人間としての知性を持っている。過剰摂取型の元になった人間は吸血鬼を召喚した魔術師とのことだ。黒い炎の精霊の弱点を知っていてもおかしくない。
「お願い。もう少しよ……」
これは賭けだ。そもそもリスクを負わないで吸血鬼の過剰摂取型を倒すことができるとはソニアも思っていない。
「いい加減諦めなさい。吸血鬼」
「そう言う割には、苦しそうなのは貴様の方だな」
やはり過剰摂取型は気づいていた。黒い炎の精霊は実体化を維持するためにも膨大な魔力を消費するのだ。おそらく魔力のような半物質が太陽光の代替品になっているとソニア達は推察している。
しかもソニアの体感でも、普段喚起している黒い炎よりも遥かに多くの魔力が必要だ。膨大な魔力を持っているソニアでも荷が重い。
制限時間はせいぜい十五分だとソニアは予想している。とはいえまだ半分しか経過していないにもかかわらず、息が上がってきた。立っているのも辛いとさえ感じる。ここまで無理な魔力消費をしたのは久しぶりだ。それでも弱音を吐くわけにはいかない。
「余計なお世話よ。絶対に負けないっ!」
これはソニアと過剰摂取型の根競べだ。ソニアの魔力が尽きるのが先か、過剰摂取型の身体が朽ち果てるのが先か、それがどちらかを決める戦いだ。だから気持ちでは負けないとソニアは叫ぶ。
「あなたには負けないっ! 罪のない人達を傷つけるあなたに……」
しかしソニアは最後まで言うことができなかった。地面の揺れを感じたからだ。実際には地面は動いていない。ソニアの身体が震えたのだ。そして自分の身体に起きた異変が何かを察する。身体と精神がズレたのだ。魔力が急激に下がった時によく起こる現象だ。ソニアの限界が近い。
ソニアは気絶しそうなところを辛うじて堪えて、黒い炎の精霊の実体化を維持する。しかしその一瞬の怯みが命取りになった。黒い炎の精霊の力が完全に緩んでいたのだ。
「ぐおらぁぁあああああ」
過剰摂取型が黒い炎の精霊をしっかりと両手で掴み、そして持ち上げる。
「ソニア様!」
クレメンスがソニアの手を掴む。そして彼女を引っ張りながら右方向へ走る。ソニアも分かっている。過剰摂取型は黒い炎の精霊を正面に投げるつもりだ。クレメンスのお陰で何とかその軌道からは逃げることができた。
そこで、ソニアは最悪なことに気付いた。過剰摂取型が向いている方角だ。過剰摂取型は最初からソニアやクレメンスに黒い炎の精霊を投げつけるつもりはなかったのだ。奴の標的は別にあった。
黒い炎の精霊が投げられる直前、ソニアはその方向に叫ぶ。
「ミヨク! メリッサ! 逃げてぇぇえええ」
過剰摂取型によって黒い炎の精霊が投擲され、ミヨクとメリッサがいる空間に激突した。




