第6章 理想と違う自分(4)
ソニア達は魔法式のある部屋で、異世界生物の召喚を試みている。ソニア、メリッサ、ミヨク、クレメンスが二人ずつ交代で魔法式を読み解き、詠唱をして魔力を注ぎ込む。そうすることで異世界生物としての黒い炎を召喚する。
ミヨク曰く、黒い炎は異世界に存在する精霊のようなものだと推察される。他の霊体が定着していない物体と繋がり、その世界に適した振動数で物質化する。ソニアが喚起していたのは、既に物質化した黒い炎なのだろう。
ソニアが喚起する黒い炎は、物質との繋がりが弱いのか、そもそも黒い炎の中でも弱い霊体なのか分からないが、すぐに燃え尽きてしまう。今、召喚しようとしている、異世界生物としての黒い炎は、この世界で物質化して、そのまま物質として定着すると考えられる。
ソニアとメリッサが詠唱をしているところに、ミヨクとクレメンスがやって来た。クレメンスが声を掛けてくる。
「ソニア様。メリッサさん。交代です」
確かに交代の時間だ。異世界生物を召喚するための詠唱はかなり集中力と魔力が必要な作業だ。十五分毎に交代することにしていた。しかしソニアはまだまだ余力を感じる。
「私はいいわ。クレメンスがメリッサと代わって、ミヨクは待機していて」
「ソニア」
メリッサが少し強い口調で言う。名前を呼ばれただけだが、メリッサが何を言おうとしているのかソニアには分かった。またソニアの悪い癖が出ていたようだ。仲間に助けてもらうと誓ったばかりなのに、自分が多くを背負い込もうとしていた。
「ごめんなさい。大人しく休むわ。ミヨク、お願い」
「はい。任せてください」
当然ソニアの中に焦りはある。過剰摂取型が博物館を襲撃しないとも限らない。一刻も早くリチャードを捕縛して、吸血鬼を殲滅しないとさらに犠牲者が出てしまう。民間人から犠牲者を出すのはなんとしても阻止しなければならない。
しかし焦りのあまり無駄に体力を削ってしまっては救える命も救えない。
ソニアとメリッサは部屋の隅に移動して座り込んだ。十メートル離れたところにケビンが座っている。ケビンが異世界生物の召喚に協力することはなかった。ミヨクやメリッサは協力しないケビンに文句を言っていたが、ソニアからしたら民間人であるミヨクやメリッサが任務に協力している方が特殊なので、ケビンのことはあまり気にしていない。
「ねえ、ソニア。あなたは本当に強くなったわね」
メリッサが嬉しそうにそんなことを言う。対するソニアは恥ずかしそうに俯きながらこう返す。
「そんなことないでしょ。ラルフ達が殺された後、酷く取り乱したじゃない。ミヨクに叱られていなかったら私、今頃独りでリチャードのところに突っ込んで、取り返しのつかないことになっていたわ。まだまだ精神的に未熟よ」
ソニアはまだ他人に支えられていないと何もできないと思い知らされた。助けられないと助けを求めることもできないひよっこだ。メリッサの言葉は嬉しいが、自分は自分自身のことが強いと思えない。
「何を言っているのよ。ソニアは強いわ。私があなたの立場なら、今頃みんなを置いて逃げるか、泣いてうずくまっているところよ」
メリッサがそんなことをするわけがないとソニアは分かっている。エドガーから逃亡する際、ミヨクを庇って大怪我を負ったことを知っている。彼女は自分が思っているより勇敢な人間だ。それとは別にソニアには言いたいことがある。
「そんなこと言うなら、必要以上に私の心配をしてほしくはないのだけど……」
ソニアがそう言うと、メリッサは少し頬を膨らませてから言う。
「それはミヨク君が言っていたでしょ。あなたは確かに強いけど、なんでもできるわけじゃないの。だから……」
メリッサは言いかけて止めた。それから微笑みを浮かべながら話を再開する。
「違うわね。まだあの頃のソニアの姿が頭にちらつくのかしらね」
それを聞いてソニアは機嫌を損ねなかった。むしろあることを思い出して、くすりと笑みを零した。
「懐かしいわね。私、泣き虫ソフィーなんて呼ばれていたっけ」
ソフィーは小さな頃のソニアのあだ名だ。十歳くらいまでのソニアは本当に泣き虫だった。男子に少し悪口を言われただけで泣いたり、魔術の訓練で怒られる度に泣いていた。幼少期から魔術の才能は開花していたが、弱気な性格はなかなか直らなかった。
「何度もあなたに助けられたっけ……。ミッシー」
ミッシーは小さな頃のメリッサのあだ名だ。二人は互いにあだ名で呼び合っていた。小さな頃のソニアはメリッサに助けられてばかりだった。メリッサがいなければ何もできなかったと言っても過言ではない。
「あの頃は、あなたが理想の女性だったわ。周りの女の子はほとんどそうだったでしょうけど、私もメリッサに憧れていたの。メリッサみたいに強くて、美しい女性になりたいって本気で思っていた。いいえ、今でもそう思っているわ」
ソニアは本気でそう思うが、メリッサは首を横に振る。
「小さい頃はそんなこと言っていたけど……今でもは、さすがにお世辞でしょ」
本人はそう言うが、メリッサは小さな頃から、面倒見が良くて、お淑やかで、それでいて芯が強い女の子だった。ソニアの眼にはそう映っていた。ソニアに持っていないものをメリッサはたくさん持っている。そう思っているのだが、次のメリッサの言葉でソニアは考えを改めた。
「それに、今のソニアが目指すべき理想はもう違うでしょ」
メリッサの言う通りだ。幼少期なら、メリッサのような女性を目指すので十分だっただろう。いや、ヘンシェル家の魔術師でなかったら大人になってもそうかもしれない。
しかしソニアはヘンシェル家の魔術師だ。良い女性で満足してはならない。
「そうね。私はみんなを守る魔術師になる。それが私の理想よ」
そう考えると、ソニアは悲しくなってきた。
「けど、全然ね……。理想には程遠いわ。まだみんなを守れるだけの力がないわね。三人の仲間を失ってしまった。私一人の力ではどうにもならないというのは分かっている。けど、ミヨクの言う通り思い上がりでも、やっぱり私にもう少しでも力があれば、ラルフもアイザックもチャックも死ななかったと思うと、とても悔しいわ」
たとえ傲慢でも、ソニアはそう思わずにはいられない。罪のない人達を全員救いたい。魔術や異世界に関わることで誰も死なせたくない。
そこでメリッサが笑みを消して、真剣な眼差しでソニアを見つめながら言う。
「ソニア。分かっていると思うけど、ソニアの理想は、どんなに強い人でも、どんなに人がたくさんいても、叶うことのないかもしれない理想よ。それでもソニアはその理想を目指し続けるの?」
メリッサの言う通りだとソニアも思う。ソニアが目指そうとしているのは、簡単に言えば世界平和だ。罪のない人が傷つくことのない世界をつくる。たとえソニアがこれから急激に成長して、ヘンシェル教会も今よりもさらに大きな組織になったところで、そんなことは限りなく不可能に近いだろう。
それでもソニアは迷わずに言う。
「当然よ。困難だからと言って、止める理由にはならないわ」
全ての人を救うことが不可能だからと言って、誰も救わないわけにはいかない。できるだけ多くの人を救うことを諦めてはならない。
「私はヘンシェル家の人間だし、そうとは関係なく、私は困っている人がいたら助けたい。きっと、ヘンシェル家に生まれなくても、似たような選択をしたと思うわ」
ソニアは自分の恵まれた能力を、他人のために使うと決めている。力を持つ者の義務を果たす。その意志は変わらない。仲間を失い、窮地に立たされても、それを確認することができて、ソニアは安堵した。
「なんだ……。やることは変わらないわね」
ソニアがそう呟くと、メリッサが微笑む。
「だから、それが強いって言っているのよ。もう私じゃ敵わないわ」
ソニアも晴れやかな笑みをメリッサに見せる。
「ええ、でも助けてもらうことがあるから、その時はよろしく。って、今もそうか……」
それからソニアとメリッサは互いに顔を見合わせて、小さな声を上げて笑った。
ソニアは改めて心の中で誓う。これ以上誰も傷つけさせない。たとえ敵が強大な吸血鬼だとしても、仲間の力を存分に借りてでも、みんなを救ってみせる。それがヘンシェル家の魔術師として、いや、ソニア・ヘンシェルとして課せられた使命だ。
そこでソニアはこんなことを思い浮かべた。吸血鬼やヘンシェル家から連想されたのだ。
「だったら、アイラ・メイスフィールドも、みんなが救われたらいいなって理想を持っていたのかな?」
ソニアがそう呟くと、メリッサが首を傾げながらこう返す。
「アイラ・メイスフィールドが? セシル・ヘンシェルじゃなくて?」
「セシル様がそう考えていたのは当然よ。そうじゃなくてアイラ・メイスフィールドよ。確かに彼女は、自らの目的のために魔術連盟の人を、ウォーレン様を殺したわ。けど、彼女も吸血鬼を殲滅しようとしていた。地上の世界を救おうとしていたはずよ」
アイラ・メイスフィールドは、ソニアの先祖であるセシル・ヘンシェルの敵であった。本当はソニアとしても憎むべき存在だ。しかしソニアはアイラに対する憎しみを全く持っていない。六百年前の出来事だからということもあるが、別の理由もある。
「それにアイラはウォーレン様を殺した時、セシル様にこう言い残したそうなの。私のような悲劇をなくしてほしい、と。『吸血鬼の魔女』である彼女も被害者よ。だから、異世界からの危害がなくなることを望んだのでしょうね」
アイラの人格は、セシル・ヘンシェルの手記でも書かれていた。夫のウォーレンを殺されたにもかかわらず、セシルはアイラの人格までは非難していなかった。どこにでもいるような普通の少女だったらしい。
「それに本当はアイラだって、誰も傷つけたくなかったでしょうに……」
アイラは過激派の魔術師に利用されて、吸血鬼にされただけの、普通の魔術師だった。ただ普通の人間として生きて死にたかっただけだ。確かに過激派の魔術師だけではなく、ウォーレンを含む魔術連盟の魔術師まで殺害したことは許されることではない。しかしアイラの願いをしっかりと受け止めるべきだとソニアは思う。ヘンシェル家の人間ならば尚更だ。
ソニアの言葉に対して、メリッサも「きっとそうよね……」と呟いた。アイラの存在に否定的な異端審問官の家系の生まれであるメリッサがそう言ってくれるなら、ソニアとしても安心できる。
ふとソニアは考えにふける。アイラは『白い魔女』だ。虚空間でも魔術を行使することができる彼女は、地上の世界を征服するために利用されるところだった。現在になって、同じ立場に立たされるかもしれない魔術師が一人いる。ミヨクだ。彼は『白い魔女』の魔術を悪用しようと思っていない。そんな彼を見て、アイラも同じだと感じるようになったのだろう。
そこでメリッサがこんなことを言い出した。
「急にミヨク君をじっと見つめてどうしたの? 本当は二人で作業したかったとか」
メリッサが言いたいことはソニアには分かる。まだソニアがミヨクに恋心を抱いていると思い込んでいるのだろう。確かに魔術師としての実力は高いし、先程は助けられたが、彼をパートナーに選ぶつもりはない。
「馬鹿なこと言わないで。そもそも仲間が殺されて、まだ危険が去っていないのに、浮かれていられないでしょ」
「そうね」
そして二人はおしゃべりをやめた。それからソニアはまた考える。ソニアの理想の自分はみんなを助けられるような人だ。アイラはどうだったのだろうか。誰も傷つけない普通の人間だったのだろうか。それとも、ルイス・キーラーと一緒に幸せになる女性だったのだろうか。どちらにせよ、理想の自分になれなくて苦しんでいたに違いない。
アイラは結局、理想の自分になれなかったが、そんな悲劇を繰り返さないためにソニアはここにいる。まだ理想には程遠いが、すこしでも近づけるように努力する。それが死んでいったラルフ達への手向けになるし、アイラの無念を晴らすことになると思っている。
しばらくは二人共黙ったままでいたが、ふとソニアがメリッサを呼ぶ。
「メリッサ」
「何? ソニア」
「絶対みんなで生き延びるわよ」
「ええ。そうね」
大き過ぎるが、捨てるわけにはいかない理想を胸に、ソニアは決意を新たにした。




