第6章 理想と違う自分(2)
ソニアはミヨクをじっと見つめる。先程まで泣いていたので、目が腫れていて、人に見せられるような顔ではない自覚はある。しかし、今ミヨクとしっかり向き合いたいと思っている。
「ミヨク」
「はい」
そう呼びかけると、ミヨクは怯えたように体を震わせた。
「いや……どうしてあなたが怖がるのよ。私が頭突きされた方なのだけど……」
ソニアは分かった上で訊いた。ミヨクとメリッサが話していたのはちらっと見ていた。話はあまり聞こえてこなかったが、ミヨクがソニアに頭突きをしたことを咎めていたことは容易に想像することができる。
とにかくソニアは言うべきことを言うことにした。頭を深く下げる。
「ミヨク。ありがとう。お陰で目が覚めたわ。私はとんでもない過ちを犯すところだった。もう大丈夫よ」
単独でリチャードを捕縛し、吸血鬼を倒すなんて我ながらどうかしていたとソニアは反省している。三人の仲間を失ったことで冷静さを欠いていたようだ。そんな状態でリチャード達に挑んでも、リチャードに弄ばれる結果になるだけだろう。そうなれば、守るべき人達を本当に守ることができなくなってしまう。
「だから、頭突きされたことも恨んでいないわ。メリッサが何を言っても、そのことに関して謝る必要はないから」
ソニアとしては、女だからといって特別扱いしてほしくはない。頭突きをしなければ矯正できないような愚かな言動をしていると判断したならばそれでいい。それ以上の配慮は必要ないとソニアは思う。
「そうですか。なら……」
ミヨクは一度メリッサの方を見遣る。メリッサはミヨクを見ると不満そうな表情を浮かべつつも首を縦に振った。
「まあ、ソニアがそう言うのならそれでいいわ」
メリッサがそう答えると、ミヨクは再びソニアの方に身体を向ける。
「とにかく、ソニアさんが冷静になって良かったです」
そこでソニアはくすりと笑った。
「正直、今でもかなり焦っているわよ。崖っぷちであることに変わりないわ。もう一度叫び出したいところよ」
ソニアが我に返ったところで状況は好転しない。例の過剰摂取型を撃破する方法は思いつかないし、博物館にいる人達は危機に晒されたままだ。リチャードを捕まえないといけないし、ケビンも見つけないといけない。問題は山積みだ。
ただ、自分が今すぐするべきことをソニアは理解しているつもりだ。
「とにかく、ここは腹を括って、私達四人でなんとかするしかないということね」
もはやヘンシェル教会かどうかなど関係ない。吸血鬼を撃破して、皆の命を守らなければならない。そのために立場に配慮している余裕はない。これが正しい選択なのかは分からない。しかし、これしか道はないとソニアは感じた。
そして、その道に進むためにソニアは必要なことをする。ヘンシェル教会を率いる人間として、未熟な少女としてするべきことだ。
「お願いします。私に力を貸してください」
ソニアは丁寧に頭を下げながら言う。
「助けてください」
この言葉がどうして今まで出せなかったのだろうとソニアは思う。こんな簡単で、大切なことだ。人を助けることだけを考えてきた。ヘンシェル教会として教会員の助けは得ていたが、それはあくまで仕事上必要だからであり、ソニア自身の素直な気持ちで助けを求めたことはなかったように思える。
そしてソニアは考える。小さい頃はよくメリッサに助けを求めていたのに、いつから誰にも助けを求めなくなったのだろうか。
「やっと言えたじゃねぇか」
ソニアが顔を上げると、目の前にミヨクが立っていた。先程まで激怒していたとは思えない程朗らかな笑みを浮かべている。ソニアもつられて微笑んだ。
「そうね……。今まで何をしていたんだか……」
人を助ける人間が、人に助けられてはいけない。そんなことになれば本末転倒だ。だから自分一人の力でなんとかしなければならないと。ミヨクに頭突きをされるまで、ソニアはそう勘違いをしていた。
人を助ける人間だからこそ、人に助けを求めなければならなかったのだ。ただの人助けなら独りでできるかもしれないが、ソニアは数多くの悪から大勢の人間を助けようとしているのだ。それを自分一人で抱え込むなど、傲慢にも程がある。
さらにミヨクがこんなことを言う。
「でもみんな、ソニアさんからその言葉が出るのを待っていましたよ」
聞いた瞬間は、その言葉の意味が分からなかったが、数秒間だけ考えるとソニアは妙に納得することができた。ただ、ソニアがするべきことが皆には分かっていただけの話だ。それを考えるとソニアは無性に悲しくなってきた。
「私が助けてって言っていれば、ラルフもアイザックもチャックも死なずに済んだのかな……」
最初から皆に助けを求めたら、ソニアの判断も変わり、過剰摂取型への対処も違ったものになっただろう。そうしたら、亡くなった三人の教会員も、今頃元気な姿を見せていたのかもしれない。このような結果論には何の意味もないことは分かっているが、それでもソニアは後悔せずにはいられなかった。
「ソニアそんなこと……」
「ソニアさん」
メリッサが何かを言おうとしていたが、それを遮りながらミヨクが言う。
「それは思い上がりですよ。あんたの悪い癖が出ている」
ミヨクがそう言った瞬間、ソニアは言葉を失った。この後どう反応すればいいか迷う。怒ればいいのか、悲しめばいいのかが分からない。ただ茫然とミヨクの顔を見つめている。
沈黙から十秒程経った後、メリッサがその沈黙を破った。彼女は明らかに怒っているようだ。
「ミヨク君。そんな言い方ないでしょ!」
「メリッサ。いいの」
そこでソニアも我に返った。落ち着いてメリッサを宥める。
「ミヨクの言うことは正しいわ。そうよ。自分の行動だけで全てが決まるだなんて、思い上がりも甚だしいわね」
ソニアはそう言いながら笑ってしまった。自分の力で何でも解決することができる、解決するべきだと思い込む癖が抜けていない。何年もその癖を引きずって生きている。他人に指摘されないとなかなか気づかないものだ。自分の愚かさが滑稽に思えてきた。
「自分だけの力でなんとかできないから、みんながいるのよね。もう忘れないわ」
それからソニアは清々しい笑みを浮かべることができた。三人の部下を失い、自分達も命の危機に晒されている状況でどうしてそんなことができるのか不思議に思い、もう一度笑ってしまった。
「私達四人でグレンと吸血鬼を撃破する。みんなも助ける。そうしなければ、彼らも浮かばれないわ」
死んだラルフ達のためというわけではないが、彼らの犠牲を無駄にするわけにもいかない。ソニアは真剣味を帯びた表情でミヨクを見遣る。
「ミヨク。あなたも、私に頭突きをしてまで大口を叩いたのだから、今更怖いのでやっぱりやめますって言うのはナシよ。……いえ、やっぱりメリッサがいるから別に後ろで隠れていてもいいわよ」
エーテル属性の魔術師ならばミヨクの他にメリッサがいる。過剰摂取型を倒すのならば、彼女がいれば問題はない。理屈ではそうだが、もちろんソニアは本気でそう思っているわけではない。ただ、ミヨクを焚き付けたいだけだ。彼がこんな忠告で引き下がるなどとは思えない。
ミヨクは笑顔を浮かべた。ただ嬉しいから笑っているわけではないことはソニアにも分かる。眉間に皺を寄せて、頬を引きつらせている。挑発の効果は予想以上に大きかったようだ。
「隠れるわけないじゃないですか……。なんか調子戻ったようでなによりです」
頭突きをされたことへのお返しをしたところで、ソニアは考える。三人の優秀な魔術師が助けてくれるとはいえ、かなり悪い状況には変わりないのだ。
「さて、実際どうしましょうか。あの過剰摂取型を倒すには、かなりの高密度の黒い炎とエーテルを同時に、あいつにぶつけないといけないと思うわ。そして、そんな隙をあいつが見せるはずがない。現状のメンバーでは時間稼ぎは難しいわね」
そもそもあんな化け物を引き留めておくには大勢の魔術師が必要だ。一体目の過剰摂取型との戦闘も奇跡的に上手くいったと言っていいだろう。今のまま何も策を弄さなければ、例え四人の力を合わせても、あの過剰摂取型を止めることはできない。
そこでソニアは考える。
「グレンは、私をここに来させて何をさせようとしているのかしら? 『悪魔の門』がどうとか言っていたから、やはり何かの召喚よね」
リチャードはメインイベントを奥で準備していると言っていた。『悪魔の門』であるソニアをここに誘っているということは、そのメインイベントが異世界生物の召喚であることは容易に推理することができる。
「それは吸血鬼ではないの?」
メリッサはそう訊くが、ソニアはその可能性を簡単に否定する。それは違うと最初から思っていた。
「違うわ。吸血鬼は既に召喚されている。おそらくあの吸血鬼達は六百年前に召喚されて、当時の人間に寄生されたものよ。新たに吸血鬼を召喚できるなら、わざわざ私をここに呼ぼうと思わないわ」
リチャードが吸血鬼を召喚したわけではない。その技術もない。そして召喚する必要もない。現在ソニア達が相手をしている吸血鬼達は、六百年間隠されていたものだろう。手段はともかく、彼が吸血鬼を操ることができるのならば、それだけで地上の世界を襲撃することは可能なのかもしれない。
だからリチャードが召喚しようとしているのは吸血鬼ではない。
「吸血鬼がいるにもかかわらずそんなものを召喚しようとしているのだから、吸血鬼よりも強い存在なんでしょうね」
確信はないが、リチャードが召喚しようとしているものは吸血鬼に対抗することができるような生物ではないか、とソニアは予想している。リチャードに利用させるつもりはないが、少なくとも正体を突き止めておかなければならない。
「とにかく召喚のための魔法式がどこかにあるはずよ。それを見つけたらあの大きな吸血鬼に対抗できるかもしれないわ」
魔術で物質が喚起されるときに現れる魔法陣。その反応をあらかじめ描写しておくことで、魔術による喚起を促進するのが魔法式である。これにより適正ではない属性の魔術を行使することができるという効果も持つ。だから戦闘ではなく、儀式によって物質を喚起する場合によく用いられる。異世界生物の召喚でなくとも、魔術師の国におけるインフラの整備のために使われることも多い。
ソニアの話を聞いて、クレメンスが頷く。
「そうですね。その式を読み取れば何か策が分かるかも……」
「そうだけど、それだけじゃないわ」
クレメンスの言うことは正しいとソニアは理解している。第一の目的は、魔法式を読み取ることでその属性を把握して、異世界生物の特性を知る。現在の魔術師が召喚できるような異世界生物は、この世界にいるような生物とは違い、固体として形を持っているのではなく、液体や気体が生命を持ったものしかないはずだ。それならばその異世界生物と似たような現象を発生させれば、それが吸血鬼の対策となる。
しかしその異世界生物と似た現象を都合良く再現することはとても困難だろう。少なくとも吸血鬼を魔術で再現しろと言われても、ソニアにはできそうにない。
それでも魔法式があれば、吸血鬼の対策になるものを喚起する手っ取り早い方法がある。それが第二の目的だ。クレメンスもそれに気づいたようで、目を見開いている。
「ソニア様……。まさか……」
「ええそうよ。『悪魔の門』? 上等じゃない」
ソニアの顔から自然と笑みが零れていた。もしかしたら自分はとてつもなく狂った発想をしているのかもしれない。ヘンシェル家の魔術師が考えていいようなことではない。しかし今の状況を考えるとその選択が一番正しいと思えてならない。
「顔こわっ……。悪魔だ……」「やめなさい」
ミヨクが呟いて、メリッサが咎める。その様子を見て「別にいいわよ」とソニアは言っておく。そしてまた自分でも怖いと思えるような笑みを浮かべながら宣言する。
「目には目を、歯には歯を。異世界生物には異世界生物をぶつけるわよ」




