第5章 火炎と違う黒炎(4)
ソニアは過剰摂取型に手を向ける。まずは足止めだ。あの過剰摂取型の機動力では、黒い炎とエーテルの連携攻撃はなかなか命中しないだろう。だからと言ってソニアも、メリッサやミヨクも広範囲に攻撃したとしても、一発の威力が低いので効果は薄いだろう。
それに過剰摂取型の動きを止めないと、過剰摂取型の攻撃を受ける危険が高い。あれ程巨大な怪物の攻撃を受けてしまえば、一撃で命が断ち切られる恐れもある。その場面で民間人であるミヨクやメリッサを前に出すわけにはいかない。
過剰摂取型の動きを止めるまでは、ヘンシェル教会の教会員だけで対処する。外での戦闘で実行したのと同じ要領で攻撃すれば成功するはずだ。それに今は書庫にいる。広い書庫だが、外よりも行動できる範囲が狭いし、天井がある。過剰摂取型にどれ程の知能があるか分からないが、たとえ手の内が読まれていたとしても、今の状況で魔術の弾幕を張ってしまえば回避されないだろう。
ソニア達と過剰摂取型の距離は三十メートル程ある。書庫には十分な灯りがあるので過剰摂取型の姿はよく見える。外での戦闘よりも状況は有利だ。
「オスニイド」
クレメンスだけは大波の魔術に備えて長い詠唱を唱えているが、その他のヘンシェル教会の教会員はそれぞれの詠唱で魔法陣を展開し、魔術を放った。
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ」
黒い炎と普通の炎と風圧の弾幕が過剰摂取型を襲う。それらが過剰摂取型に直撃し、その動きを止める。
「今よ。クレメンス」
「Nein, Zwei, Zwei」
ソニアの合図とともに、クレメンスが水の魔術を放った。大量の水が波となって過剰摂取型に覆い被さる。その隙にソニアは魔術を一旦止める。
「メリッサ。エーテル魔術の準備を」
ソニアの指示に対して、代わりにミヨクが答える。
「メリッサさんなら、もうやってます」
「オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」
もう少し守られている自覚は持ってほしかったところだが、メリッサの判断力の良さにソニアは感謝する。そしてソニアも詠唱を始める。
「オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」
ソニアもメリッサも詠唱を終え、魔法陣を展開する。黒い炎とエーテルの砲撃がそれぞれ一直線に、過剰摂取型に放たれる。クレメンスが起こした大波によって動きを止められた過剰摂取型では、その砲撃を躱すことができなかった。
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ」
黒い炎とエーテルを同時に浴びた過剰摂取型は、瞬く間に黒い炎に飲まれていく。その頃には水が引いていて、目の前には黒い炎で燃えている過剰摂取型のもがき苦しむ姿が残っている。
「もうひと押しするわよ。メリッサ」
「ええ。ソニア」
ソニアとメリッサはもう一度詠唱する。そして放たれた黒い炎とエーテルが、過剰摂取型をさらに炎上させる。もがいていた過剰摂取型もやがて倒れて動かなくなった。
やがて黒い炎が消えていき、戦闘の際に散らばった本や棚と、過剰摂取型の燃え滓が広がっている。元は五メートル程あったはずの体長が、今では普通の人間くらいの大きさしか残っていない。
「やったわね。過剰摂取型を倒したわ」
メリッサはそう喜ぶが、ソニアは無表情のまま進み続ける。過剰摂取型がこの一体だったとは限らないから油断できないということもあるが、奇妙なものが目に映ってしまったからだ。
「あれは何……」
ソニアの声を聞いて、他の皆もそこに注目する。過剰摂取型の燃え滓から赤い液体が漏れ出していたのだ。クレメンスが口を開く。
「これが、吸血鬼の本体ではないでしょうか」
便宜上、異世界の血液によって変異した人間のことを吸血鬼と呼ぶことがあるが、魔術師の世界では、吸血鬼とは変異した人間ではなく異世界の血液そのものだというのが常識だ。今ソニア達が見ている血液が吸血鬼と呼ぶべきものなのだろう。
クレメンスがこんなことを訊く。
「どうしますか。採取する絶好の機会ですが」
研究のサンプルとして保管するのは、魔術師としては当然の選択だろう。異世界生物そのものなのだ。魔術連盟、特にLOCあたりは間違いなくこの吸血鬼の血液を採取する。しかしソニアは違う。ヘンシェル教会の人間だ。
「馬鹿言わないで。こんなもの今すぐ燃やすわ」
吸血鬼の血液はこの世界には本来あるべき存在ではない。そしてこの世界の平和を脅かしかねないものだ。これにはクレメンスも異論がないようで、首を縦に振った。
「メリッサ。これを燃やすから手伝って」
「ええ。分かったわ」
そして、ソニアとメリッサが並んで立ち、吸血鬼の血液に狙いを定める。
「「オスニイド」」
ソニアが黒い炎を、メリッサがエーテルを喚起して、その血液に浴びせた。吸血鬼ならばこれで焼却されるとソニアは思っていた。
「えっ……嘘……」
しかし吸血鬼の血液が炎上することはなかった。そのことが意味する事実にソニアは驚愕を禁じ得なかった。
「ソニアさん……これってつまり……」
ミヨクも同じような反応をしていて、じっとソニアの方を見つめていた。ミヨクもこの事実の恐ろしさに気づいているようだ。いつ喚起された血液なのかは分からないが、これを喚起した魔術師は常軌を逸している。
「ソニア、これはどういうこと?」
メリッサは驚いているものの、何が問題なのかをまだ理解していないようだ。ソニアは血液に視線を残したまま話し始める。
「私は今まで、吸血鬼の血液は、他の魔術で喚起されたものと同じで、魂が宿っていないものだと思っていたわ。けど、この吸血鬼の血液はこの世界でも、しっかりと魂と繋がって生きている」
そこでメリッサがはっと息を呑む音がソニアにも聞こえた。彼女も事の深刻さに気付いたようだ。
「そう……。本当に異常よ。異世界生物をまるごと喚起しているんだから……」
この吸血鬼の血液は生物を構成するものの寄せ集めではない。異世界生物の召喚の成功例であるのだ。液状の生物だから、魂と分離することなく異世界から呼び起こすことができたのだろう。
「クレメンス。前言撤回よ。採取しましょう。燃やせないんじゃ仕方ないわ」
ソニアがそう言ったその時だ。ミヨクが叫んだ。
「みんな、敵が来ます!」
ソニアを含む全員がミヨクに注目する。そのミヨクは天井を見つめている。
「この上です。上に部屋があって、突き破ろうとしているってエリザベスが」
ソニアも天井を確認する。ちょうどその時に轟音が響き、天井がひび割れた。今ソニア達が立っている場所の真上だ。
「みんな、ここから離れて! こっちよ!」
ソニアの掛け声と合図に、全員が走り始めた。向かう場所は、書庫の奥だ。つまり入り口とは反対側の方向だ。
ソニア達が十分な距離を取ることができた後に、天井が割れた。そこから敵が落下してきた。先程戦っていた過剰摂取型と同じような吸血鬼だ。ソニア達は振り返って、新しい過剰摂取型に立ち向かう。
「落ち着いて。さっきのように立ち回れば大丈夫よ」
ソニアは先程と同じように魔術の弾幕を張るように指示しようとした。しかし目の前の異様な光景を目の当たりにして、数秒間言葉を失う。
「えっ……」
新たな過剰摂取型が、先程ソニア達が倒した過剰摂取型の燃え滓にその顔をうずめたのだ。最初は何をしていのかは分からなかったが、その行動の意味に気づいた。
新しく現れた過剰摂取型は、先程ソニア達が倒した過剰摂取型の血液を啜ることで進化しようとしているようだ。一体目ですらとてつもない脅威なのに、これ以上進化されたら目も当てられない。
「メリッサ。ミヨク。あなた達は先に逃げ……」
「オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」「Acht, Acht, Acht, Sieben, Füuf, Sieben, Füuf, Zweiundzwanzig」
「ああもう……。オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」
ソニアは逃げるよう指示しようとしたが、ミヨクもメリッサも既に詠唱を始めていた。それならソニアも同じように詠唱をする。過剰摂取型がその場から動いていないのなら、攻撃する絶好の機会だ。
ソニア、ミヨク、メリッサが一斉に過剰摂取型を攻撃した。黒い炎とエーテルが新たな過剰摂取型を覆う。
しかし黒い炎は過剰摂取型になかなか引火しない。まったく燃えないわけではないが、先程の過剰摂取型のように炎上はしない。
「うそ……でしょ……」
ソニアが声を漏らす。別の吸血鬼の血液を啜ったことで、過剰摂取型が見る見るうちに巨大化していく。肉体が膨張して瘤を作ったかと思うと、すぐに形が整えられて滑らかな肉体の形に変わっていく。ソニア達の攻撃を受けながらも、過剰摂取型の身体は元の二倍の大きさまで成長していた。
先程の過剰摂取型ならば燃え尽きないまでも、悶えさせる程には強い火力だったはずだが、新たな過剰摂取型には効果が薄かったようだ。それ程、生命体としてこの世界に定着してしまったのだろう。
「みんな。逃げてぇぇぇぇえええ!」
ソニアが叫ぶ。今のままでは勝ち目はない。とにかく生き残ることを優先する。幸い、二十メートル程先に扉がある。大きな扉だが、あの過剰摂取型の巨体では潜り抜けることはできないだろう。壁は簡単に破られるかもしれないが、障害物があるだけ助かる。
過剰摂取型が動かない間に、ソニア達は全員、扉を抜けることができた。扉の先はまだ書庫が広がっている。さらに奥には人二人分の幅の出口があり、そこには上に向かう階段がある。その階段の左右は空洞になっていないはずだ。その階段を通ってしまえば、過剰摂取型から逃れることができるだろう。
「がぁぁぁぁぁあああああああああ」
そこで過剰摂取型が雄叫びを上げた。同時にこちらに向かう足音が響く。
「早く離れて」
ソニア達は止まらず走る。階段までは三十メートル程だ。過剰摂取型に壁を突破されたとしても、全速力で逃げれば間に合うはずだ。
ソニア達が扉から離れた直後、案の定、過剰摂取型はいとも簡単に壁を破壊した。そしてソニア達の姿を見つけると、一目散に向かって来る。
そこでチャックがこんなことを言い出した。
「私が奴の足を止めます」
「駄目よ。走りなさい」
ソニアが後ろを見ながら命令した時には既に、チャックは足を止めて振り返り、一番後ろに立っていた。そして彼の詠唱によって魔法陣が展開されて、強風が過剰摂取型に吹きつける。しかし過剰摂取型は風をものともせず進み続ける。
「ならば……」
チャックが次の詠唱を行おうとした時、過剰摂取型は顎を大きく開けた。
「えっ……」
ソニアが言葉を失う。もう終わっていた。過剰摂取型がチャックの頭部から肩にかけて喰らい、チャックの胴体は力なく倒れた。
「くそぉぉおおお! オークティール」
次にアイザックが走りながらも詠唱する。炎の弾が三発放たれて、全てが過剰摂取型に直撃した。しかしそれは何の意味もなかった。過剰摂取型は少しも動きを休めることなく、アイザックを標的に定める。
「うわぁぁあああ」
アイザックが襲われようとしている。ソニアは踵を返して彼を助けに行こうとしたが、彼女の腕を引っ張る力によってそれは阻まれた。
「駄目です。もう間に合わない」
クレメンスがソニアの腕を引きながら走る。引っ張られながらもソニアは、アイザックが過剰摂取型に脚を掴まれ、地面に叩きつけられるのを見た。過剰摂取型はそのままアイザックを口の中に放り投げ、丸ごと捕食した。
ソニアは階段まであと十メートルのところまで来ている。ミヨクとメリッサは既に階段に辿り着いていて、ソニア達を必死に呼んでいる。
「いいから行きなさいっ!」
クレメンスが怒鳴るとミヨクとメリッサは階段の先へ駆けていく。それからソニアとクレメンスが階段に辿り着く。ソニアは後方を確認した。ラルフがすぐそこまで来ているが、過剰摂取型も迫っている。
「ラルフ! 早く!」
「ソニア様、私に構わ……」
ラルフは最後まで言うことができなかった。左胸から左腰にかけて、巨大な爪が四本生えていたのだ。後方から過剰摂取型に貫かれていた。
「ソニア様……」
吐血のしながらも、最後の力を振り絞るようにラルフが言う。
「ハンナとナンシーに……愛していると……」
「やめろぉぉぉぉおおおおおおお!」
ソニアはクレメンスに腕を引かれて階段を上りながらも、ラルフの左半身がもぎ取られる瞬間から目を離すことができなかった。




