第5章 火炎と違う黒炎(2)
「全員、戦闘準備。メリッサ達は後ろに下がっていて」
ソニアは大声を上げた。クレメンスやラルフ達、ヘンシェル教会の教会員はミヨク達三人の民間人を守るように前へ出て、過剰摂取型に立ち向かう。
そこでケビンがこんなことを言う。
「おい。僕達隠れた方が……」
「それはやめておいた方がいいわね。意味がないと思うわ。むしろその方が危険よ」
ソニアの予想はすぐに正しいと認められた。過剰摂取型のすぐ横には四角い塔があったが、過剰摂取型が上腕で殴ると、あっけなく崩れてしまった。古い石造りの建物だとはいえ、それを膂力で破壊してしまう。ここにある建物のどこに隠れようが、壁を打ち壊されれば意味がない。むしろ瓦礫で埋もれてしまう危険性が高い。
次にケビンはこう言う。
「それじゃあ一緒に逃げよう」
ケビンの言う「一緒に」の範囲がどこまでなのかは置いておくにしても、その判断も正解ではないとソニアは思う。
「それもやめておいた方がいいわ。というか、まだ無理ね。逃げられないわ」
「それはなぜ……」
ケビンが言い終える前に、ソニアの忠告が現実のものとなった。過剰摂取型が動き出した。建物の屋上を渡って、一気に距離を詰めに来る。一度の跳躍で十メートル以上進み、五秒もかからずにソニア達が隠れようとしていた建物の屋上に到着した。そのまま建物を通り過ぎ、十メートル先の建物に移ってから、地面へと着地した。
どう見ても走って逃げられるような速さではなかった。ミヨクの魔術ならばなんとか逃げられるかもしれないが、それでもここにいる全員を運んで逃げるのは彼にも不可能だろう。
「まずいわね……」
ソニアは呟く。過剰摂取型は地面に着地してからはじっとしている。ソニア達と過剰摂取型の距離は三十メートル程ある。過剰摂取型がとてつもない速さで動いたとしても、魔術で対応することのできない距離ではない。
しかし、位置関係が最悪だった。洞窟の方角から現れた過剰摂取型が、ソニア達を通り過ぎた結果、ソニア達は博物館への退路を阻まれた形となってしまった。これは偶然ではなく、過剰摂取型が意図して位置取りをしたと見て間違いないだろうとソニアは考える。
「でも、博物館の方へ行く気はなさそうですね」
クレメンスの言う通りだ。過剰摂取型はソニア達の方を向いたまま動かない。博物館の方を襲撃しに行くつもりならば、とっくに行っているだろう。去っていく過剰摂取型を引き留める手段は、今のソニア達にはない。
過剰摂取型が止まっている間に、ソニアは作戦を告げる。
「みんな……。こうなっては仕方ないわ。全員で、洞窟の方へ逃げるわよ。私が合図したら、私、ラルフ、チャック、アイザックが弾幕を張ってあいつを足止めする。その間にクレメンスが大波を出してあいつを流す。その隙に逃げるわ」
今は逃げるべきだとソニアは判断した。吸血鬼の過剰摂取型に関する情報が圧倒的に足りない。ただでさえ再生能力の吸血鬼だ。その過剰摂取型となると、破壊どころか無力化も困難だろう。過剰摂取型を破壊するためには、リチャードを捕まえて、過剰摂取型の弱点を吐かせることが必要だろう。
「「「了解」」」
教会員が返事をしたと同時に、戦闘態勢を取る。ソニアと三人の教会員が前に出て、クレメンスがその後ろで詠唱を始める。
「ミヨク。もしもの時は二人を連れて逃げて。私達のことは構わないで」
「分かりました」
ミヨクが答えると、ソニア達も詠唱を始めた。
「オスニイド」
ソニア達がそれぞれの詠唱で魔術を放つ。ソニアは黒い炎、ラルフとアイザックは普通の炎、チャックは風、それぞれの適正属性による攻撃を放つ。過剰摂取型へ一点集中するのではなく、過剰摂取型の逃げ場を奪うように広範囲に及ぶ攻撃だ。
「おおおおおおおおおおおおおおお」
魔術の弾幕とそれによる土埃のなか、過剰摂取型は咆哮を上げている。しかし、攻撃によって苦しんでいるのではなく、興奮して叫んでいるだけのようだ。
「攻撃の手を緩めないで」
ソニア達はさらに攻撃を加える。黒い炎も普通の炎も風も過剰摂取型に襲い掛かる。土埃がさらに舞い上がった。
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ」
突然、過剰摂取型が土埃の中から姿を現した。一直線にこちらへ向かってくる。
「オークティール」
ソニア達四人が魔術の攻撃を過剰摂取型に集中させた。黒と赤の炎が風によって煽られ、過剰摂取型を包み込んでいく。
「がああああああああぁぁぁぁ」
魔術の攻撃によって過剰摂取型の進撃は止まっているが、不可解なことがある。ソニアは魔術を放ちながらも焦り声で呟く。
「黒い炎が……燃えていない……」
日光を浴びた吸血鬼の『なり損ない』を燃やし、ソニアの魔術によるものでも簡単にそれらを火だるまにした黒い炎が、過剰摂取型には効いていなかった。まだ普通の炎の方が過剰摂取型の皮膚を焼いているように見える。黒い炎は吸血鬼の弱点だとソニアは思っていたのだが、その仮説が打ち砕かれようとしている。
そこでクレメンスが合図を出した。
「ソニア様。準備できました」
「みんな下がって」
過剰摂取型に攻撃していたソニア達四人はクレメンスの後ろまで下がった。なぜかクレメンスの横にメリッサもいたが、ソニアがそれを指摘する間もなく、クレメンスとメリッサが魔法陣を展開して魔術を放つ。
「Nein, Zwei, Zwei」「ベオークエオユルオスニイドダエグ」
クレメンスの水の魔術とメリッサの土の魔術が同時に放たれた。大量の水と砂が混じり合い、泥水の大波を作り上げた。瞬く間に泥水が過剰摂取型を呑み込んだ。段々と過剰摂取型が後方へ流されていく。先程まで約二十メートルまで接近していたが、今は二百メートル以上離れている。
「今よ。急いで」
ソニア達が洞窟へ向かって走り出す。過剰摂取型は泥水の波に流された上に、泥に脚を取られている。今なら逃げ切れるはずだ。
走っている間に、ソニアはあることに気づいた。人が一人足りないのだ。
「ケビンはどこ行ったの?」
ケビンの姿がどこにも見えない。ソニア達が戦闘している間は後ろで待機しているとばかり思っていたが、他の吸血鬼が横から襲撃してきたわけではないので、この場を離れなければならない緊急の理由もなかったはずだ。
そこでミヨクが気まずそうな表情を浮かべながら言う。
「ケビンさん……。いや、奴は逃げました。洞窟の方へ。本当に、いつの間にか逃げ出してたんで、呼び止めようとした頃にはだいぶ離れていて……」
ケビンに対する怒りが爆発しそうになったところをソニアは必死で抑えた。恐怖のあまり身が竦んでしまうということであれば、それは仕方のない。守ってほしいと素直に言ってくれるのであれば、ソニアとしてはその方が助かる。しかし勝手に逃げ出すとはどういうことか。仮にもソニアというヘンシェル家の魔術師を妻にしようとしていたのだったら、もう少し根性を出してほしいところだ。少なくとも身勝手な行動は慎んでほしかった。
ミヨクがソニアの顔を見て、申し訳なさそうに言う。
「すみません……。もっと早く気づいていれば」
ソニアは怒りを収め、表情を戻してからミヨクにこう返す。
「あなたは何も悪くないわ。悪いのはあの馬鹿よ。次会ったら本当に一発殴らないといけないわね」
リチャードや過剰摂取型だけでも厄介なのに、その上ケビンを探さなければならなくなった。どうしようもない奴だが、あれでも守るべき民間人だ。放置するわけにはいかない。
「ソニア様」
クレメンスが叫ぶ。ソニアは走りながらも後方を確認した。泥水の中であがきながらも、過剰摂取型が前を進もうとしている。洞窟の入り口まではあと百メートルといったところだが、このままでは過剰摂取型に追いつかれてしまう。
ソニアは振り返り、片手を過剰摂取型の方へ突き出した。
「私に任せて。オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」
ソニアは長めの詠唱をする。大きな魔法陣が現れ、三秒かけて黒い炎を喚起した。過剰摂取型の巨体を覆う程の大きな炎だ。黒い炎は過剰摂取型に直撃し、その動きを止めることができた。しかし吸血鬼の『なり損ない』とは違い、その身体が焼かれることはない。
「Acht, Acht, Acht, Sieben, Füuf, Sieben, Füuf, Zweiundzwanzig」
さらにミヨクが横から砲撃を放った。ソニアが魔術を放つ少し前から詠唱していたようで、大きな魔法陣から直径二メートル程の砲撃を放つ。これも過剰摂取型に直撃した。これで過剰摂取型にダメージを与えられなくても、あれをある程度足止めすることができるだろうと思われた。
「えっ?」「えっ?」
そこでソニアにとっても、エーテルの砲撃を放ったミヨク本人にとっても、予想外の出来事が起こった。
「どういうこと? どうして今?」
ソニアが呟く。黒い炎が過剰摂取型の身体に燃え移ったのだ。今まで過剰摂取型の足止めにはなっても、引火させることはできないと思われていたが、それも間違いだったようだ。ただ、吸血鬼の『なり損ない』のように、簡単に引火するわけではなく、何らかの条件があるようだ。
黒い炎は過剰摂取型を包んでいく。過剰摂取型は燃え盛る炎に悶えるようになった。ソニアとミヨクは立ち止まりその様子をじっと観察する。
「ソニアさん。もう一回」
「そうね。やりましょう」
ソニアとミヨクはもう一度、過剰摂取型に向かって魔術を放とうとする。黒い炎が過剰摂取型に引火したのは、ミヨクのエーテル砲撃を受けてからだ。つまり、引火の原因となったのはエーテルである可能性が高い。もう一度同じことをすれば、過剰摂取型を無力化することができるかもしれない。
そう思われていたが、過剰摂取型を包んでいた黒い炎がしばらくすると消えてしまった。それから過剰摂取型は一度ソニア達を見据えると、右を向いて跳躍した。建物をよじ登りその屋上に達すると、そのまま去ってしまった。
「とりあえずは、危機が去ったということでいいのかしらね?」
ソニアは特に誰に対してというわけではないが訊いてみた。やがてケビン以外の皆が集まる。答えたのはクレメンスだった。
「だといいのですが……。まさか博物館の方へ行ったのでは」
クレメンスの懸念に対して、ソニアは首を横に振る。
「これは希望的観測なのだけど、それはないと思うわ。行くのだったら私達を通り過ぎればよかったし、そもそも私達に会う必要もなかった。奴が姿を現したのは、洞窟へ誘い込みたかったからよ」
あの過剰摂取型はリチャードの命令で動いている節がある。どうして吸血鬼が人間の言うことを聞いているのかは分からないがそう考えた方がいいだろう。とにかくソニアは次の行動を決める。
「まずはケビンを探さないといけないわね。それからあんなものを見せられた以上、二手に別れるわけにはいかない。メリッサとミヨクには悪いけど、一緒に洞窟まで来てもらうわ」
もし少ない人数で、先程の過剰摂取型に襲われでもしたら、今度こそ犠牲者が出てしまう。危険な場所に行くとはいえ、民間人の二人も連れて行かなければならない。今の状況を鑑みると、それが一番安全だとソニアは判断した。
「分かったわ」「はい」
メリッサもミヨクも意外な程あっさりと了承した。二人共、命の危機や過酷な戦闘を経験したことがある魔術師だ。さすがに肝が据わっているとソニアは感心した。
それからソニアはヘンシェル教会の教会員達に訊く。
「それでいいわね。みんな」
「はい。それがいいでしょう」
クレメンスが答えた。他の教会員も首を縦に振る。満場一致でこれからの方針が決まった。
「じゃあ、行きましょう」
ソニアは決意を新たにして、洞窟へと足を踏み入れた。




