第4章 人間と違う生物(4)
複数の吸血鬼が出現した後、ソニア達はとにかく逃げた。生け捕りにすることなど考えられなくなり、四人とも殺すつもりで吸血鬼を攻撃した。吸血鬼とはいえど、アイラ・メイスフィールドと違って、本来の吸血鬼の能力を十全に受け継いでいないようだ。魔術師の中で知られている『なり損ない』なのだろう。さすがに頭を吹き飛ばせば行動不能になるようだ。しかしそれで死んだのかは確認する暇がない。
ただ、ソニアの黒い炎は『なり損ない』に対して有効であるらしい。ソニアが魔術で黒い炎を浴びせると、太陽光を浴びた時と同様に、『なり損ない』は炎上していった。
しばらく逃走して、吸血鬼から距離を取ることができた。しかしその代わりに、宿泊していたホテルから離れてしまい、エヴォーダー遺跡の真ん中に来てしまった。日はほとんど落ちてしまったが、まだ辺りを見渡すことができる程度には明るさを残している。
敵がいないことを確認してから、ソニアは再びケビンを問い詰める。
「さて、さっきの続きを聞こうかしら」
吸血鬼に気づかれることを注意して、ソニアはできる限り怒りを抑えながら話す。対するケビンは、吸血鬼を警戒しているのか、それとも怯えているだけなのか分からないが、とてもか細い声で話し始めた。
「グレンが言ったんだ……。君が、ソニアに良いところを見せられるように、実験で使っていた失敗作を用意するから、日が落ちる少し前にホテルの外へ連れ出すといいといわれたんだ……」
ソニアは怒りを通り越して呆れてしまった。グレンの口車にまんまと乗せられていたようだ。ケビンが現実を受け入れられないのか、こんなことを呟く。
「僕は悪くない……。悪いのはグレンだ」
「ええ、そうね。あなたは利用されていただけだもの」
ソニアがそう言うと、ケビンの表情が変わった。今まで何も疑問を持っていなかったようで、驚きのあまり口を大きく広げている様子だ。
「僕が……利用されていただと……」
この一件で疑いが確信に変わった。リチャード・グレンは異世界生物を使って悪事を働いている。そしてソニアを、つまり『悪魔の門』を利用してさらに邪悪なことを企んでいるはずだ。 もう隠すつもりはないらしい。
「ええ、まあ私もあなたを利用したようなものだったから、そのことについてはあなたに謝らないといけないわね。ごめんなさい」
ソニアは丁寧に頭を下げた。ソニア達ヘンシェル教会もケビンの縁談に乗りかかって、リチャードの悪行を暴こうとしていた。嫌な奴とはいえ、ケビンも守るべき民間人だ。そうまでしなければリチャードの尻尾を掴むことができなかったとはいえ、本来は使うべきではなかった手段である。
「利用していただと……いつからだ? 縁談があるのにどういう……」
「その縁談が仕込みよ。騙しておいてこう言うのもなんだけど、本気で私と結婚できると思っていたの?」
ケビンに協力を要請することも考えたが、彼の性格からして素直に協力してくれるとは考えられなかったし、ケビンにぼろを出されても困るのでやめておいた。
「酷い女……」
「やめなさい」
ミヨクが毒を吐いて、メリッサが咎める。いつもはミヨクに嫌味を言われたら口喧嘩をするところだが、今回ばかりはミヨクの言葉を真摯に受け止めざるを得ないとソニアは思う。ヘンシェル教会としての作戦だったとはいえ、ソニアがケビンを騙して、その気にさせていたことには変わりない。
「グレンのことを調べるためとはいえ、あなたを巻き込んだことは後できちんと謝るわ。とにかく今は生き残ることだけを考えましょう」
「そうだな……」
ソニアの予想に反して、ケビンは素直に賛成した。ミヨクもメリッサも頷く。
「まずは博物館に避難しましょう。みんなが心配だわ。ホテルの方は吸血鬼の襲撃に遭っているかもしれない。信号は送ったからクレメンス達も事態にすぐ気づいて、ホテルにいる人達を避難させているはずよ」
「わかった」「わかったわ」「はい」
三人が同意したので、ソニアは進もうとする。ここから博物館は二キロメートル程離れているので歩いても三十分はかかる。一刻も早くミヨク達民間人の安全を確保して、ホテル周辺の状況を把握したい。
「ちょっと待ってください」
そこでミヨクが皆を制止する。彼は目の前を注視しているが、ソニアがその方向を見渡しても、おかしなものは何も見えない。
「どうしたの? 吸血鬼でも見えたの?」
確かにミヨクが見ている方角にはホテルがあるはずだ。だから吸血鬼がこちらに来たのかとソニアは思ったが、実際は違ったようだ。
「いや、エリザベスです」
ゼーラー家の守護霊だ。真守について来ていると聞いている。ソニアには見えないが、彼女がミヨクの傍まで来たようだ。ミヨクは目の前に視線を泳がせながら、ところどころで相槌を打っている。エリザベスが何かを伝えているところなのだろう。
やがて二人の言葉のない会話が終わったようで、ミヨクがソニアの方を向いて話し始めた。
「ホテルの人達や俺のところの学園の人達は、博物館に避難させたようです。それからヘンシェル教会の人達が博物館でバリケードを張って、なんとか吸血鬼の侵入を防いでいて、犠牲者は今のところ出ていないそうです」
「それを聞いて安心したわ。私達も博物館へ向かいましょう」
ソニアがそう言うと、ミヨクはもう一度、おそらくエリザベスの方を向いて、何度が頷いてからこちらに向き直った。
「それはやめておいた方がいいって、エリザベスが言っています。吸血鬼に囲まれて危険だとか。ヘンシェル教会の教会員が何人かこちらに向かっているそうなので、合流を待ちましょう」
「けど……」
ソニアはすかさず反対しようとした。ヘンシェル教会として、危機に立たされている人達を救わずに、自分だけ安全に仲間と合流しろと言われたのだ。ソニアとしてはそんなことが許されるわけがない。
しかし、今はソニアが一人でここにいるわけではない。守るべき人間が三人もいるのだ。彼らを危険な目に遭わせるわけにはいかない。博物館へ向かうにしても仲間と合流してからの方がいいだろう。
「分かったわ。合流を待ちましょう」
ソニアがそう言うと、皆が頷く。それからヘンシェル教会の教会員が到着するのを待っていたが、先に予想外の人物が現れた。いや、ソニアは心のどこかで待っていたのかもしれない。
異変に一早く気づいたのはミヨクだった。厳密に言うと霊体のエリザベスが察知して、それがミヨクに伝わった。
エヴォーダーの奥、洞窟がある方角から一人の男が姿を見せた。
「やあ、ソニア・ヘンシェル君。僕の作品はどうだい?」
「リチャード・グレン」
リチャードは遺跡にある廃墟の屋上に堂々と立っている。二十メートルしか離れていないので、魔術で十分に狙うことができる。ソニアとミヨクとメリッサは構えを取った。ケビンだけが構えもせずに彼へ話しかける。
「グレン。よくも騙したな。縁談もソニアをここへ誘うためだっただろう」
ケビンが怒りに身を任せて怒鳴り散らす。それを聞いて、リチャードがおかしそうに高笑いをする。
「はははは! 今頃気づいたか。これでようやく心置きなく笑える。騙されてその気になっている君を見るのは辛かったよ。笑いを堪えるのが難しかったからね。ソニア君。君もそうだろう」
質問を受けたソニアは、冷静にこう返した。
「私はずっとあなたの顔を殴りたかったけど、もう我慢しなくていいと分かったら嬉しいわ」
そんな言葉を口にしている間、ソニアは全く笑わなかった。
「大人しく投降しなさい。それなら殴るのだけは勘弁してあげるわ」
「怖いねぇ。けど、僕なんかに構っている暇はあるのかな?」
あくまで余裕の態度を崩さないリチャードに対して、ソニアも落ち着きを保っている。
「ええ、私こう見えて大忙しなのよ。あなたの所為で危ない目に遭っている人達を助けにいかないといけないわ」
「それだけじゃないよ」
リチャードの言葉に、ソニアは眉をひそめた。
「どういう意味よ?」
それからリチャードは再び愉快そうに笑う。ソニアとしてはこれ以上の厄介事を増やしてほしくはなかったが、やはりまだ企みがありそうだ。
「これから君は僕を追わなくてはならない。じゃないと僕の最高傑作が目を覚ましてしまう。そうなればあんな脆いバリケードなんて一瞬で壊れて、中の人間など皆殺しにされてしまう。魔術師が何人いても無駄だ。誰もあれを止められない」
リチャードの口振りから察するに、『あれ』というのはろくでもないものなのだろう。素直に言うとは思わなかったが、ソニアは一応訊いてみた。
「あれって何よ?」
「それは見てのお楽しみだ」
「あっそ……。悪いけど、やっぱり興味はないわ。あなたはここで逮捕する」
ソニアが構え直すと、リチャードは指を鳴らした。すると、リチャードの両隣にそれぞれ一つずつ人影が現れた。最初は人間かと思われたが、よく見ると人間の形をしただけの吸血鬼であることが分かった。
先程から戦っていた吸血鬼のように皮膚は赤黒い。しかし肉体に瘤はなく、形は人間とほぼ同じだった。それでいて身長は二メートル以上あり、体幅もそれに比例して大きい。元の人間の身体が膨張して、今の大きさになったのだろう。
「それがあなたの最高傑作? 悪趣味ね」
ソニアが嫌味を吐くと、リチャードは鼻で笑いながら首を横に振った。
「そんなわけないだろ。これはまだ前座だ。メインイベントは奥で準備中だ。君が来てくれれば完璧なのだが……」
「『悪魔の門』の私がね」
リチャードが『悪魔の門』であるソニアを利用しようとしていたことなど初めから分かり切っていたことだ。ソニアが皮肉を言うと、リチャードは不気味な微笑みを浮かべる。
「そうだ。一緒に新たな世界を作ろう」
「ティールオス」
ソニアはリチャードの誘いに対して答えることなく、魔術を放った。過激派の魔術師はどいつもこいつもろくでもない。地上の世界を侵略することしか考えていない。そんなご高説は、ソニアとしては聞き飽きた。
黒い炎がリチャードを襲う。しかし、吸血鬼の内の一体がリチャードを抱えて、後ろへ飛んだ。もう一体もそれについて行く。去り際にリチャードが言った。
「良い返事を待っている」
すぐにリチャード達の姿が見えなくなった。
ソニアは状況を再確認する。リチャードは吸血鬼を従えていた。最初に襲撃してきた吸血鬼達もリチャードの仕業だろう。暗躍していたことは分かっていたが、こんなにも早く本性を明かすとは思っていなかった。行動を起こすとしたら明日の調査の時だと思っていた。油断していたわけではないが、不意を突かれたのは確かだ。
「まったく……嫌になるわね」
『悪魔の門』であるソニアを誘う理由は一つ、異世界生物の召喚だ。彼はさらなる脅威を匂わせる発言をしていたが、それにはおそらく自分が必要なのだろうとソニアは考える。いつかはこうなることを覚悟していたが、いざ自分が『悪魔の門』として利用されてみると、不愉快極まりなかった。
メリッサが心配そうにソニアを見つめながら訊く。
「まさか、グレンを追うなんて言わないわよね」
「安心して。今すぐは追わないわ。あなた達を安全なところに送ってから行く」
とにかくメリッサ達まで危険な目に遭わせるわけにはいかない。リチャードを追うのは、ヘンシェル教会の仲間と合流してからだ。しかしメリッサが心配していたのは別のことだった。
「そういうことじゃないわよ。グレンはあなたを利用するに決まっているわ。グレンを追うのはクレメンスさんや他の人に任せて、ソニアは安全なところに……」
「メリッサ」
ソニアはメリッサの言葉を遮り、少し苛立った声で言う。
「私はソニア・ヘンシェルよ。何度も言わせないで」
罠だと分かっていながらも、ソニアは行かなければならない。ヘンシェル家の人間として、リチャードを止め、異世界生物の召喚を阻止しなければならない。世界の秩序を守らなければならない。それなのに自分だけおめおめと逃げるわけにはいかない。
「分かったわ……」
親友のメリッサが自分のことを心配してくれていることをソニアは重々承知している。しかし、ソニアはヘンシェル家の魔術師だ。どれだけ危険であっても、いや、危険であればなおのこと、そこには果たすべき使命がある。
ソニアは闘志を高めながらも、仲間の合流を待った。




