第4章 人間と違う生物(3)
午後八時、もうそろそろ日が落ちるこの時刻に、ミヨクはメリッサと一緒に草原へ出ていた。本当は博物館の近くにあるホテルで休んでいるはずだったのだが、メリッサに突然連れ出されてしまったのだ。
ちなみに、博物館の近くにはそのホテルしか宿泊施設がないので、ヘンシェル教会の調査チームも、校外学習に来ている学園の一同も同じホテルに宿泊している。
「メリッサさん。やっぱり気にしすぎですよ……」
「そんなことないわ。あいつのことだから、無理やりにでもソニアを自分の物にしようとするはずよ」
メリッサが言うには、ケビンがソニアを外へ連れ出したらしい。メリッサが外へ歩く二人を目撃して、たまたま近くを歩いていたミヨクを捕まえた。ミヨクとしては、メリッサに連れていかれるところをクラスメイトに目撃されたので、そのことの方が心配だ。
「そうだとしても、ここは虚空間だから返り討ちにされるだけですよ」
「だからって、ソニアが襲われてもいいって言うの?」
メリッサは口調を荒げはしなかったものの、かなり不機嫌そうに言う。これ以上放置する意図の発言は控えた方がよさそうだとミヨクは判断した。
「分かりました。一応様子は見ておきましょう。でも何もない限りは見るだけですよ。何もなかったら黙って帰ります。いいですね」
ミヨクが言うと、メリッサは心を落ち着かせたようで、深呼吸をしてから答えた。
「ええ、分かったわ。ごめんね。私また、冷静じゃなかったみたい……」
「親友のことですから仕方ないですよ」
話しながら進んでいる間に、ミヨクとメリッサはソニア達に追いついた。ケビンとソニアが向かい合って立っているところだ。ミヨク達は近くの草むらに隠れて、ソニア達の様子を観察する。
ちょうどケビンが話しているところだ。
「さて、本題に入ろう。本当は素敵な夜空の下で話すことだけど、今の状況なら仕方ない。それに、夕焼けも風情があっていいだろう」
「そうね。雰囲気は大事だわ。だから少し待ってちょうだい」
ソニアは特に感慨もなく答えると、急に踵を返して歩き出す。それを見てケビンが声を上げた。
「おい。どこへ行く?」
「逃げないわよ。ただ、世話焼きがいるみたいだから安心させに行くだけよ」
ソニアはミヨク達のいる方へ真っすぐ進んでいる。二人が隠れていることは呆気なくばれているようだ。ミヨクは逃げ出そうと思い、メリッサに声をかけようとするが、メリッサはソニアの方を見つめたまま動かない。
「いるのは分かっているわ。そこから出てきなさい」
ソニアが叫ぶ。ミヨクはメリッサを見たが、メリッサは見返さずに黙ったまま立ち上がった。それに合わせてミヨクも立ち上がる。二人の姿を認めると、ソニアはすぐに苛立たしそうな表情を浮かべる。
ミヨクは怒られると身構えたが、ソニアは最初からメリッサしか見ていなかった。傍まで来ると、ケビンに聞こえないような小声で叱る。
「いい加減にして。ミヨクまで連れてきて……。私のことは心配ないって何度も言っているでしょ。縁談のことは変に思えるかもしれないけど、これには理由があるの」
ソニアは怒りを露わにしているが、メリッサは毅然とした態度でソニアに立ち向かう。そう言えばソニアとメリッサが口喧嘩をするところを見るのは初めてだ、とミヨクは思った。
「その理由って何よ?」
「教えられるわけがないって分かるでしょ」
まだ声は小さいままだが、二人共今まで積もり積もった不満が爆発しそうな表情をしている。親友同士だからこそ、お互いを思いやっているからこそ、感じるストレスもあるのだろう。
とにかくこの危機的状況を打破しようと、ミヨクは言葉を出してみた。
「あの……二人共……」
「ミヨク・ゼーラーは黙っていなさい!」「ミヨク君は黙っていて!」
ここで二人が大声を上げた。ソニアとメリッサの喧嘩はソニアとミヨクとのそれとは雰囲気が違う。上手く表現できないがミヨクはそう感じた。メリッサにしてもそうだ。ここまで鬼気迫る彼女を見るのは久しぶりだ。
「いつまでもあなたにおんぶにだっこされている私じゃないわよ」
「別に、私はあなたを子供扱いしたことなんて一度もないけど」
再び二人の声は落ち着いたが、憤りまでは静まっていないようだ。依然ソニアとメリッサの間には見えない火花が散っている。
そこへケビンの大声が割り込んできた。
「おい。君達!」
「だからあなたも……」
当然、ソニアが大声を上げたが、その声は中断された。ソニアは視線の先にあるものを見て口を大きく開けている。ミヨクも同じだった。目の前には信じられないような光景が広がっていた。
「なんだあれ……?」
草原の奥は森林になっていて、その木々の間から何かが出て来た。それは人型で、大きさは成人男性と同じくらいだ。しかしその人型が纏っているものが異常だった。
黒い炎だ。ソニアが魔術で照応するものと似たような漆黒の炎を纏っていた。それでいてゆっくりだが確実にこちらに向かっている。
ソニアが手を空に掲げて詠唱する。
「オスニイド」
すると上空へ炎の球が放たれた。異世界の黒い炎ではなく、この世界に存在する普通の赤い炎だ。ヘンシェル教会の仲間に異変を知らせるためのものだろう。
それからメリッサが前へ出る。
「私に任せて。オスニイド」
メリッサが詠唱をして、魔法陣を展開する。そこから放たれたのは水の魔術だ。大量の水が黒い炎へ降りかかる。黒い炎を纏った人型はその水流を避けることなく直撃を受けた。人型は流されて、やがて水は引いていく。
依然、黒い炎は燃え盛ったままだった。
「やはりソニアの炎と同じ、水では消火されないようね……」
メリッサの言葉に、ミヨクは耳を疑う。ソニアが異世界の炎を喚起することすら未だに信じられない気持ちが強いのに、ソニアの魔術以外の方法で異世界の炎が出現してしまった。間髪入れずに、ミヨクにとってさらに驚愕の発言がソニアから飛び出した。
「あれが焼死体の正体ね。本当に吸血鬼かもしれないわ」
エヴォーダーの調査で一体何を見てきたのだとミヨクは叫びたい気持ちに駆られた。よく考えてみれば、ミヨク以外の三人は吸血鬼のことを知っていると見ていいだろう。なんとか気持ちを抑え込んで、必要最低限の確認だけにとどめた。
「吸血鬼って、あの吸血鬼ですよね。なら、太陽の下だと燃え尽きるんじゃ……」
『吸血鬼の魔女』で語られている吸血鬼ならば、日光に弱く、浴びただけで灰になってしまう。日光が弱点であることはアイラ・メイスフィールドも例外ではなかった。彼女も日光を浴びただけでは死亡しないだけで、身体が燃えてしまうことは他の吸血鬼と変わらなかったはずだ。
しかしミヨク言ってから気が付いた。日没するにはまだ三十分は猶予があるだろうが、すでに日光はかなり弱まっている。人型が今立っているところも日陰だ。
ソニアが右手を人型の方に向けながら言う。
「日没が近いから燃え尽きないようね。って言っている間に炎の方が消えそうよ」
やがて黒い炎は消えていき、中から肉体が姿を現した。最初は焼け爛れていて、焦げた筋肉を露わにしていたが、すぐに皮膚が再生されていった。
しかしその姿は人間のそれとは言い難かった。皮膚は赤黒く、肉体のあちこちに瘤ができている。おそらく再生力を制御できず、肉体が膨張しているのだろう。吸血鬼の『なり損ない』であることは、魔術師であるミヨク達にはすぐに察しがついた。
「止まりなさい。大人しくしていれば危害を加えないわ」
ソニアは吸血鬼に対して警告するが、吸血鬼はこちらを見つめたまま少しずつ歩み寄ってくる。両手はだらしなくぶら下げて、口を開けたまま涎を垂らしている。その姿からはとてもではないが知性を感じ取ることはできない。
「とにかく拘束した方がいいじゃないですか?」
ミヨクがそう言うと、ソニアが「そうね」と答えて、前に出ようとする。しかしケビンがさらに前へ出た。
「慌てることなはい。このケビン・ウィーバリーがいるんだぞ。あんな化け物一体くらい捻り潰してやろう。見ていたまえソニア、君は必ず僕の虜になる」
「馬鹿言っている状況じゃないわよ。下がりなさい」
「D, E, T」
ソニアの制止を聞かずに、ケビンは詠唱をした。魔法陣を発生させると、そこから無色の結晶が三つ現れた。ミヨクにはケビンの魔術属性がすぐに分かった。彼の弟の魔術ならば何度も見たことがある。それと同じものだ。
三つの結晶はどれも杭のような形をして、吸血鬼へと射出された。結晶はそれぞれ人型の右胸、左脇腹、右膝へと突き刺さった。
様子を眺めていたメリッサが呟く。
「あれが炭素属性魔術ね……」
ケビン・ウィーバリーの魔術属性は炭素だ。彼の弟であるアレン・ウィーバリーも同じであり、ウィーバリー家に伝わる魔術属性らしい。炭素の原子をこの世界に喚起すると術者の望む同素体に形成する。単に物質を喚起する基本的な魔術と違い、喚起した元素で物質を構成するのは高等な技術を要する魔術だ。ウィーバリー家が名門と言われる所以が分かる。
そしてケビンが炭素を喚起して構成したのは、炭素の同素体で最も固い物質であるダイヤモンドだ。
「ぐるぅぅぅぅうううう」
ケビンの結晶は吸血鬼に突き刺さっているが、それでも吸血鬼の動きが止まることはない。むしろ攻撃を受けたことで戦闘意識が高まったように見える。
「なに……? 効いていない……?」
吸血鬼は自分に突き刺さった結晶を全て引き抜いた。すると傷口がすぐに再生していく。まるで傷など初めから受けていなかったかのように元の状態に戻った。
「くそっ……。D, E, O」
ケビンが再びダイヤモンドの結晶を吸血鬼に放つ。今度は頭部を狙っている。命中するかと思われたが、吸血鬼が横から片手で掴んだ。確かに反応できない速度ではないだろうが、あれだけの硬度と質量を持った物質を受け止めたのを見るに、人間よりも遥かに高い身体能力が認められる。
しかし感心している場合ではない。吸血鬼がこちらに向かって駆けてきた。狙いはもちろんケビンだ。吸血鬼を殺そうとしていたので当然だ。
「ひぃ……」
ケビンが怯えたのか尻餅をついた。その時ケビンの一番近くにいたミヨクが前へ出て、魔術を唱える。
「Drei」
魔法陣からエーテル砲撃が放たれた。吸血鬼との距離が十メートルくらいしかなかったので、大きな砲撃は作ることができなかったが、それでも吸血鬼を吹き飛ばすには十分だった。
吸血鬼が倒れると、すかさずメリッサが詠唱する。
「オスニイド」
魔法陣から放たれたのは土だ。厳密に言えば砂だろう。土属性の魔術の一種で、砕屑物、つまり岩石からできた粒子を喚起する。大量の砂が吸血鬼に放たれ、吸血鬼の身体が見えなくなるだけでなく、その上に人一人くらいの高さの砂山が形成された。
「さすがに出てこれないでしょ」
「ありがとう、メリッサ。あなたがいて助かったわ」
「どういたしまして」
いつの間にかソニアとメリッサは普段の仲良しに戻ったようだ。ミヨクはそんな二人の様子を見てから、へたり込んでいるケビンに声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
ミヨクは手を差し伸べると、ケビンはようやく我に返ったようだ。ミヨクの手を無視して立ち上がる。
「貧民の施しは受けないよ。貸しを作ったなどと思うなよ」
「はいそうですか」
腹を立てても無駄だと分かり切っているので、ミヨクは特に怒ろうともしなかった。助けてもらった礼くらいは言ってほしいと思うのも馬鹿らしい。
ケビンは立ち上がって早々、憤りを露わにしてこんなことを叫び出した。
「クソッ! グレンの奴、話が違うじゃないか」
その台詞を聞いた途端、ソニアが血相を変えてケビンに歩み寄った。彼の目の前まで来るとそのまま彼の胸倉を掴み、怒鳴りつける。
「話ってどういうことよ。説明しなさい」
「いや、その……」
鬼の形相を浮かべるソニアと泣き顔になるケビンに、ミヨクが声を掛ける。
「なんか事情はあるみたいですけど、それどころじゃないみたいですよ」
ミヨクは二人の姿を見ていなかった。先程吸血鬼が来た方向から眼を離せなかった。メリッサも同じだ。ソニアとケビンも異変に気付いたようで、ソニアはケビンから手を離し、ケビンは再び尻餅をつきながらも、ミヨク達と同じ方向を見つめていた。
先程埋めたものと同じような吸血鬼が十体程現れたのだ。




