第2章 思惑と違う恋路(4)
メリッサとの食事も終えて、ミヨクは自宅に帰って来た。頼みを断られたメリッサは悲しそうにしていたが、それでも別れる時には「話を聞いてくれてありがとう」とミヨクに言った。ミヨクも少しうしろめたさを感じていたが、それでもメリッサが持ちかけたのはソニア自身の問題であるともう一度自分の心に言い聞かせた。
さて、ミヨクがリビングに入ってみると、真守とエレンの姿を認めた。どうやらミヨクよりも先に帰って来ていたようだ。
「お帰りなさい。お兄様」
エレンは元気にミヨクを出迎えてくれたが、真守はミヨクに背を向けて椅子に座ったままである。顔の半分だけをミヨクに見せて、真守は小声で言った。
「お帰りなさい……」
そしてすぐに前を向く。とても不機嫌であることはミヨクにもすぐに分かった。すかさずエレンにささやき声で訊いてみる。
「なあ、エレン。真守のやつ、どうしたんだ? すげぇ怒ってるみたいだけど……」
エレンは、どうしてそんなことも分からないのかと言いたそうな呆れ顔でミヨクを見つめながら言う。
「知らないわよ」
エレンは真守の不機嫌の原因を知っているが、それを追及してしまえば、火に油を注ぐ形になってしまう。何かは分からないが、自分が真守の機嫌を損ねることをしてしまったようだということだけはミヨクも察した。やはり買い物を任せてしまったのがよくなかったのだろう。
そしてミヨクは考える。真守には話しておきたいことがあったが、今の彼女に話しかけるとそれどころではなくなる予感がある。とりあえず今はそっとしておいて、真守の機嫌が直るのを見計らって話を持ち出そうと決め、ミヨクは踵を返した。
しかしそこで、エレンがミヨクを止める。
「お兄様。あの話をしなくていいの?」
「何言ってんだよ。どう見ても、今は話せる雰囲気じゃねぇだろ」
ミヨクは小声で反論するが、エレンは蔑むような視線を送る。
「お兄様こそ何言っているのよ。今言った方がいいわよ」
エレンがそう言うので、ミヨクは覚悟を決めようと思うが、それでも真守の逆鱗に触れる未来が頭から拭えない。とにかく、少しでダメージが小さくなるように、ミヨクは慎重に近づき、そして穏やかに言葉を発した。
「あの……真守……さん……」
ミヨクが話しかけるが、真守はミヨクの方に振り向こうとしない。それどころか、座ったまま微動だにしない。
「何ですか……?」
話は聞いてくれるようで、ミヨクは少しだけ安心した。しかしまだ油断できない状況だ。声も明らかに冷たい。言葉を慎重に選んでから、ミヨクは口を開く。
「あのですね……。今度の日曜日ですね……。お暇でしょうか?」
そこで真守の身体が一度びくっと動いた。やはり怒らせてしまったかと想い、ミヨクは少し後退してしまう。真守はまだ振り返らない。
「特に用事はありませんが、どうしたのでしょうか?」
真守の声が少しだけ柔らかくなった。今だ、とばかりにミヨクは答える。
「実は、ある場所に、真守さんを案内しようと思いまして……」
「それは私だけですか?」
真守が間髪入れずに訊いてきたので、ミヨクは少し怯んでしまった。ここは正直に答えるべきかどうかミヨクが迷っていると、真守は同じ口調でこう訊き直す。
「昼間の女性が一緒というわけではないですよね?」
どうやら真守は、メリッサが同行するかもしれないと思っているようだ。ミヨクとしては、今の今までそんなことを思いつきもしなかった。ミヨクが昼間にメリッサと話していたので、真守は勘違いしたのだろう。
「それは違う。……違います。メリッサさんにはあることを頼まれたんだけど、俺には荷が重いって断って来たん……です」
ミヨクはあっさりと答えた。その後で、もしかして余計なことまで言ってしまったかと身構えたが、真守の様子にたいした変化はない。
「そうですか。他に誰か来たりしないのですか? ソニアさんとか……」
「どうしてあの人の名前が出るんだよ……ですか?」
ミヨクはいつもの調子で大声を上げてしまったが、途中で冷静さを取り戻した。依然、真守の様子は変わらない。
そこで、エレンがこんなことを言う。
「ちなみに私も行かないわ。その日は用事があるのよ」
「ということは、みよ君と二人きりということですか?」
その通りだ。つまりミヨクは真守と二人きりで出かけようと言うのだ。機嫌を損ねている元凶と思われるミヨクと二人きりになり、なおかつ異性と二人きりになることになるので、真守は拒否してしまうと思い、ミヨクとしては言い出しにくかったのだ。ミヨクとしてはそのつもりはないものの、形としてはただのデートだ。恋人でもない男とそんなことをするのは真守も気が引けるだろう。そう思いながらもミヨクは腹をくくった。
「そういうことです……。それで……」
ミヨクが言い終える前に、真守が急に振り向いた。ついに怒られるとミヨクは両腕で防御の姿勢を取る。しかしミヨクの予想に反して、真守は満面の笑みを浮かべていた。
「是非、ご一緒させてください」
ミヨクの気のせいだろうか。真守の眼がキラキラしているように見える。先程まで話しかけてくるなと言わんばかりのオーラを纏っていたはずだが、そのような面影は微塵も感じられない。
「あの……。真守さん……。ご機嫌は直ったのですか?」
ミヨクが訊くと、真守は首を傾げた。ミヨクが何を言っているのは全く分からないという風な仕草だ。
「最初から機嫌なんて悪くしていませんよ。というか、どうして私に敬語なんて使うのですか。みよ君、ちょっと変ですよ」
「そ……そうだな……」
そこでミヨクは考える。真守はストレスを抱えていた。それも仕方ない。生活様式がガラリと変わってしまったのだ。霊媒だといっても、実際の生活は現代社会のものに近かったはずだ。彼女が携帯電話というものを持っていたのもミヨクは知っている。もちろんこの国には持ち込めないものだ。それだけではなく、キッチンやトイレも外の世界とは全く違う。ミヨクやエレンのような魔術師は慣れているのであまり気にならないが、真守にとっては不便でならないだろう。
だから先程まで、あれだけ不満そうな態度を取っていた。今回、外へ遊びに行こうと誘ったのは良かったのかもしれない。真守にとってストレス発散の良い機会になるだろう。ミヨクはそう納得することにした。
「ところで、どこへ行くのですか?」
「ああ……。アイラ・メイスフィールド記念館というところだ」
その言葉を聞くと、真守の顔色が変わった。決して不快に思っているわけではないだろうが、意外ではあったようで、大きく目を見開いた。しかしそれは一瞬で、すぐに微笑む。先程までの外に溢れた無邪気な喜びとは違い、穏やかで心の中に包み込まれたような喜びが表れている。
「はい。是非行きたいです」
真守は『白い魔女』の童話が大好きだ。魔術師の間では、『吸血鬼の魔女』として広まっているが大筋は変わらない。アイラ・メイスフィールドに纏わる事件を詳細に語った場所だ。アイラのことをより深く知りたいと真守は思っているだろうと考え、ミヨクは誘ったのだが、どうやら上手くいったようだ。
ただ、真守には言っておかなければならないことがある。
「真守。前にも話したと思うけど、もう一度話しておく。『白い魔女』……『吸血鬼の魔女』の逸話は、基本的には、過激派の魔術師に人生を狂わされた少女としての見方が強いけど、アイラに対して否定的な人も少なからずいる。そもそも分かってると思うけど、真守が聞いた童話と違って、『吸血鬼の魔女』は悲しい話だ。真守の今までのイメージを根本からぶち壊すようなこと、真守が知りたくなかったようなことも、嫌でも知ることになるかもしれない。それでも……」
「それでも、構いません」
それでも、真守は微笑みを崩さなかった。そこでミヨクは、自分が本当に無駄な心配をしていたということに気づく。真守は本気で知りたいのだ。アイラが辿った人生を。自分の中の童話だけではなく、ありのままのアイラの姿を。
「すまねぇ。大丈夫かって訊こうとした俺が馬鹿だった。分かった。今度の日曜日、一緒に行こう」
「ええ。楽しみです」




