第1章 童話と違う日常(3)
真守はヘンシェル教会を訪れた。メイスラにあるヘンシェル教会に来るのは初めてなので、知らない人しかいなかったらどうしようかと思ったが、むしろ中にはクレメンスしかいなかった。
「クレメンスさん。おはようございます」
「おや。真守さんではありませんか」
クレメンスは祭壇の傍に立っている。真守は安心して彼の方へ近寄っていった。
「突然ですみません。懺悔をしに来ました」
「そうですか。ソニア様なら奥の部屋にいらっしゃいます。お呼びしましょうか?」
ソニアとも話してみたい気はしたが、真守は本来の目的を果たすことにした。首を横に振って答える。
「いいえ。クレメンスさんに聞いてほしいです」
「分かりました。私でよければ」
快く承諾してくれるのはありがたいが、真守はまずクレメンスに確認しなければならない。下手をすれば、クレメンスの尊厳を傷つけかねない内容を話すことになる。
「ご存じの通り、私は復讐者です。そのことでクレメンスさんにご相談したいことがあります。ですが、それで嫌な思いをされるのなら断ってください」
「いいえ。聞きましょう。どうぞお座りください」
クレメンスは即答した。彼の反応から察するに、真守と同じような悩みを抱えた人の話を何回も聞いてきたのだろう。なんとなく慣れているような印象を真守は受けた。
真守は最前席に座った。クレメンスがこんなことを言う。
「そのことで私のところに来たということは、ミヨク君あたりから何か聞きましたか?」
「ええ。詳しいことは、みよ君も話しませんでしたが」
真守がそう答えると、クレメンスは仕方ないと言う風に微笑む。
「そうですか。まずは真守さんの話からお聞きしましょう」
クレメンスがそう言うので、真守は話を始めた。
「私、みよ君とエレンちゃんに説得されて、出来るだけ復讐のことを考えないようにしているんです。神奈を相手にした時も、復讐は二の次にして、みんなを守ることを優先する。私なりにそれはできたと思っています」
火輪山の一件では、結果的には神奈と戦闘を行った。それは復讐を第一に考えたからではなく、その選択が最善であったからだ。
「けど、復讐を忘れたわけではありません。神奈はこの手で殺す。その意志に変わりはない。たまに、その意志が夢に強く出ることがあります。その時は決まって、両親が出てくるのです。神奈に殺された両親が、早く復讐を果たせと。お前がするべきことはそれだけだと。そんなこと……私の両親が言うはずがないのに……」
真守には分かっている。自分の復讐心を抑えられないのだ。復讐を果たすことなく自分が幸せになることを、自分自身が許さない。
「私が今するべきことは、みよ君の傍にいて、彼の病気を治す手段を見つけること。復讐なんてその後にすればいい。頭では分かっていても、私の心がそれを許してくれない。そんな醜い心が嫌で嫌でたまらないのです」
真守は自分が抱える最大の問題を口にしようかどうか迷った。相手がミヨクやエレンならば間違いなく言わないだろう。しかし彼らにも打ち明けられないような悩み事を明かすため、クレメンスに会いに来たのだ。
ここで話さないでどうする。真守はそう自分に言い聞かせ、ゆっくりと話し始める。
「私は……、私自身の事が大嫌いです」
真守は自分のことが嫌いだ。復讐に心を縛られた自分が嫌いだ。相手が悪人ならば殺すことを厭わなくなった自分が嫌いだ。普通の女の子でなくなった自分が嫌いだ。自分の何もかもが嫌いだ。こんな醜悪で卑劣な、人間の形をした化け物はミヨクやエレンの傍にいるべきではない、それどころか今すぐ死ぬべきだとすら思っている。
しかしこんなことを本当に言ってしまえば、ミヨクやエレンと一緒にいる資格を失ってしまう。仮にミヨクやエレンが許しても、真守が自分で許せなくなってしまう。
「私みたいに悪の血で汚れた人間が、みよ君やエレンちゃんと同じ場所にいていいのか、正直言うと迷っています。いくら魔術師といえ、お二人は殺生に関わることはないでしょう。私のような人殺しが彼らの世界に踏み入れるのは、やはり気が引けます」
話していくうちに、真守は罪悪感に苛まれていく。普段は意識しない自分の醜悪さに次々と気づかされていく。
「私は、本当にみよ君とエレンちゃんの傍にいてもいいのでしょうか?」
真守はミヨクの傍にいなければならない。そうしなければ、ミヨクを救うことはできない。代役はいない。それを理解した上で迷う。
真守が話を終えると、クレメンスは話し始めた。とても暗い話を聞いた後とは思えないような、朗らかな笑顔を浮かべている。
「あなたの問いに答える前に、つまらない話ですが、私の経験談でよければお話ししましょう。ミヨク君が私のことをクレメンス先生と呼びますよね。四年前までは、私は中等部の教師をしていました。名門というわけではありませんが、それでも素直で良い子が多くて楽しかったです。ミヨク君は少し素直過ぎましたが……」
しかし現在は、教師を辞めて、ヘンシェル教会に所属している。真守には、理由は大体察しがつく。簡単なことだ。戦闘霊媒の中でも似たような話は珍しくなかった。
「私には妻と、当時五歳になる娘がいました。ですが四年前、私の勤務中に、二人は殺されました。真守さんも調べればすぐに分かります。過激派の魔術師が連盟に対してクーデターを起こしたのです。クーデターは失敗に終わりましたが、民間人も巻き込み、八十五人もの犠牲者を出しました。妻と娘もその犠牲になりました」
これがミヨクの言っていた、真守と似たような経験のようだ。愛する人を失った痛みと苦しみ、そして憎悪、クレメンスは真守と同じものを持っているに違いない。
「当然、私は過激派の魔術師を憎みました。テロリスト共を根絶やしにして、妻と娘の無念を晴らさなければならない。その復讐心に駆られて、私は教師を辞め、ヘンシェル教会に入ることにしました」
魔術師の世界の教会は防犯組織としての役割を持つことが多い。実際に真守も、エドガーのような犯罪を行う魔術師をヘンシェル教会が追っていたことを間近で見ている。
「入った当初は、復讐心を隠さずに、敵に憎しみをぶつけていましたから、ソニア様に怒られたものですよ。ヘンシェル教会は復讐の道具ではないと。最初は、世間知らずのお嬢様が偉そうな口を利くなと思ったものですよ」
真守から見ても、ソニアは真っすぐ過ぎるところがある。理想や正義を無理強いさせられたら真守でも反発しそうだ。
「しかし彼女の下で働いている内に、彼女の理念に心を惹かれたのです。ヘンシェル教会のではありません。ソニア様自身のです。彼女が大切な人を失ったという話を聞いたことがありません。だから彼女は何の憎しみを持っていないと思っていました。しかしそうではありません。その逆です。彼女は全てを憎んでいるのです。魔術や異世界の存在によって人が傷つくこと全てを、です」
ソニアは以前真守に話していた。魔術や異世界のことで苦しむ全ての人を救いたい、と。それは彼女の先祖、セシル・ヘンシェルが言い残した言葉「私は世界の調和を乱すものこそを憎む」に感化させられているのだろう。それでも彼女の瞳に宿った信念は本物だったと真守は評価している。その信念を憎悪と表現するならば、それは間違いではないとも思う。
「ソニア様は憎んでいます。人を傷つける全てを。本気で全てを排除しようとしています。ならば、テロリストを憎む私も、ソニア様と同じことをするだけですよ」
クレメンスは簡単に言っているが、実際には様々な葛藤があったのだろうと真守は察する。妻と娘を殺した過激派の魔術師への復讐心が消えたわけでもないだろう。
そこでクレメンスがにっこりと笑みを浮かべた。
「もしかしたら、私もソニア様のことが好きになったのかもしれませんね」
この言葉に対して、真守は悪いとも思わなかった。配偶者や恋人と死別して、しばらくしてから別のパートナーを選ぶことは、戦闘霊媒の中でも珍しい話ではない。それでもクレメンスはバツが悪そうに、苦笑いしながら言う。
「こんなこと妻に聞かれたら何を言われることやら……。しかも相手は一回りも若い女の子ですからね。でも、まあ……最近のソニア様はミヨク君のことが気になるようですし、それを見守ることにしています」
「そうですよね。ソニアさん、絶対、みよ君のこと好きですよね?」
真守はつい興奮してしまった。真守と同じ意見の人に出会えて安心した。やはり自分は間違っていなかった。根拠はまったくないが、クレメンスも主張しているのならば、正しいと確信することができるような気がする。
「真守さんも彼のことが好きですよね」
不意を突かれたとは、真守は思わなかった。むしろクレメンスには気づかれているだろうと思っていた。少し恥ずかしいが、はっきりと答える。
「そうですね。私もみよ君のことが好きです。だからこそ、今、私がみよ君の傍にいてもいいのか迷うことがあります」
真守は考える。おそらくクレメンスも分かっている。今話したところで、この問題が解決することはない。復讐心を消すことはできない。そもそも復讐心を捨てるべきではない。クレメンスが抱える問題も、真守の抱える問題も、そんなところにはありはしない。
「気にするなというのは難しいでしょう。私も思います。妻と娘が殺され、のうのうと生き残っている自分が許せなくなる時があります。そういえばこんなこともありましたね。復讐心を抑えきれなかった頃の私は、過激派の魔術師を捕縛する任務の時、取り押さえはしましたが、かなり無茶をしたみたいで、ソニア様にきつく叱られました」
クレメンスは恥ずかしそうに微笑んでから話を続ける。
「私はその時、愚かにも反抗しましたね。極悪人を捕らえられればそれでいいでしょう。そう言うと、ソニア様はこう言いました。苦しんでいる人達を救うためにあなたを雇ったの。決して自殺の場所を提供するためではないわ、と」
真守にもほとんど同じ経験がある。戦闘霊媒になったばかりの頃、仲間の忠告も聞かずに単独で特攻して、健人に怒られたものだ。お前の両親は今の真守に会いたくないだろうな、と。その時は何が言いたいのか分からなかったが、しばらくして復讐心を抑えることができるようになってから分かった。
「そう言われてはじめて気づきました。私は二人のところに早く行きたかったのだと。テロリストに苦しむ人を助ける、妻と娘のような犠牲者を出さない、そのためにヘンシェル教会に入ったのに、自分が楽になることしか考えてなかった。それに気づくと二人に申し訳ない気持ちになって、人目も気にせず泣いてしまいました。以来、私は復讐よりもヘンシェル教会の一員として、理不尽な悲劇を生まないことだけを考えています」
そうだ。真守も同じだ。あの時の真守も死に急いでいた。神奈への復讐心も当然持っていたが、自分を苦しめる復讐心から解放されたいという弱い心も持っていた。そして今も苦しんでいる。
そこでクレメンスはこう訊いてきた。
「真守さん。あなたは今、何をするべきと考えていますか?」
そんなものは決まっている。言われなくても分かっている。真守は堂々と、クレメンスを見据えながら答えた。
「みよ君を助けるため、みよ君の傍にいることです」
真守がいなければミヨクの命が危ない。復讐心を身に宿していたとしても、今ミヨクを助けようとしていることに間違いはない。
いや違う。真守は思い直す。間違ってはいないが、重要なのはそこではない。真守は一呼吸置いて、自分の想いを正直に言うことにした。
「私はみよ君のことが好きです。私は好きな人のために戦います」
それが真守の答えだ。ちゃんと考えればとても簡単なことだった。そこに間違いなんてあるわけがない。たとえ復讐を果たすことが遅くなったとしても、真守が今するべきことは何も変わらない。
「それが分かっているようなら大丈夫でしょう。あなたは間違っていません」
クレメンスはにっこりと笑ってそう言った。
真守の顔からも自然と笑みが零れた。気持ちが楽になったような気がする。真守には自分の悩みを話せる人がほしかった。あの悪夢のことを吐き出さなければ心が耐えられなかっただろう。
「ありがとうございました」
真守はクレメンスにお礼を言い、教会を後にした。




