プロローグ
ソニアには自分の身体に流れるヘンシェルの血が呪わしく思えることがある。
ヘンシェルの血によって優秀な魔術の才能を与えられたことには感謝している。血統に甘んじて努力を怠ってはいけないが、ヘンシェルの血が多くの人を助けるのに役立っているのは確かである。
しかし魔術師の血というものは優れていればいる程、他者に悪用される危険性が高い。特に、ヘンシェルの血は現在の世界を大きく変容しかねない性質を含んでいる。ソニアにはそれが疎ましくてならない。
特にそのことを意識させられた出来事があった。思い返すだけでも腹立たしくなってくる。捕縛したエドガーを尋問した時の話だ。
標山の森でエドガー・テルフォードを捕縛し、先にエドガーを魔術師の国へ送還させた。送還先は魔術師の国メイスラの外にある、ヘンシェル教会と協力関係にある病院だ。ヘンシェル教会が捕まえた魔術師で、治療が必要な者がいればそこに運ぶことになっている。エドガーも腹部に重傷を負っていたのでそこに運ばれた。
メイスラに帰って来て、エドガーもある程度回復してきたところで、ソニアは彼を尋問することにした。
エドガー・テルフォードはソニアとしては絶対に許してはならない人間だ。禁書保管庫の司書を二十二名殺害した大罪人なので、ヘンシェル教会の人間としては厳罰を与えるべきだというのは当然なのだが、ソニアにとってはもう一つ許せないことがある。
ソニアの親友であるメリッサ・スプリングフィールドを傷つけたことだ。彼は自分の家の力を利用して、メリッサを婚約者にした。テルフォード家は細胞の属性を司る名門で、スプリングフィールド家よりも立場が上であるらしい。エドガーには元々悪評はあったが、それでも家が決めたことにメリッサは逆らうことができなかった。
そもそもメリッサには異性として好きな人がいた。メリッサは、はっきりとは話さなかったが、ミヨク・ゼーラーのことが好きなことくらい、恋愛に疎いソニアでも分かった。好きな人ができたかもしれないとメリッサが嬉しそうに話していたことをソニアは昨日のことのように覚えている。しかし家が勝手に決めた婚約でその想いは引き裂かれてしまった。
それからのメリッサには、ソニアが知る限りでも多くの悲劇が襲った。エドガーから暴力を受けていたことは明白だった。ミヨクも気づいていてエドガーと魔術を使った喧嘩をしかけたことがあったが返り討ちにされたことがあったし、その時にソニアも暴れかけたが教師に止められてしまった。
その後、ソニアがメリッサと話した時、こんな話も聞いた。エドガーに性行為を強いられていたということだ。メリッサは最初こそ拒んでいたが、するとエドガーに殴られた。その内抵抗もしなくなっていったとのことだ。そのことをメリッサは泣きながらソニアに話していた。ソニアはそれを聞いて、泣きながら謝ることしかできなかった。
結局、エドガーが禁書保管庫に侵入するためにメリッサを利用したこと、メリッサを殺そうとしていたことが分かった。ソニアはミヨクと協力して、メリッサを一時的にメイスラから逃がそうとしたが、ミヨクとメリッサがエドガーの襲撃に遭い、メリッサが瀕死の重傷を負ってしまった。ソニア達ヘンシェル教会が駆け付けたのがあと数分遅ければ、メリッサは死亡していただろう。
その後の病室で、回復したメリッサはこう言った。
「私……、あの時に死ねばよかったのに……」
その言葉を聞いた瞬間、ソニアはメリッサを殴ってしまった。それからソニアは二言か三言怒鳴ったが、最終的に大声で泣きながら殴ったことを謝った。
メリッサを守り切れなかったことをミヨクは悔いていたが、彼は素人ながらよく頑張ったとソニアは評価している。そして悪いのは自分だと責め続けた。自分が死ねばよかったと言う程に、メリッサを追い詰めてしまった自分の無力さを恥じた。
メリッサも魔術師の血に人生を狂わされた者の一人だと言えるだろう。彼女に比べたら自分の苦悩は小さなものだとソニアは思う。しかし今後、彼女と同じような境遇に立たされる可能性がないわけでもない。
本題に戻る。エドガーを尋問した時の話だ。
メイスラに戻り、彼が裁判を受ける時、彼は通常の刑事裁判所では裁かれない。禁書保管庫に侵入し、一般の魔術師には知らされてはならないような情報を握っている可能性があるからだ。だからエドガーは重要魔術裁判所という、一般の傍聴が一切許されない、魔術連盟の中での限られた魔術師のみで構成された場所で裁判を受けることになる。もちろんその場所にはソニアといえども入ることができない。
エドガーの身柄を魔術連盟に引き渡す前に、ソニアとしてもエドガーから多くの情報を引き出したいということだ。
ソニアとエドガーは取調室で向い合う。エドガーは手錠によって両腕が机に固定された状態で椅子に座っている。ソニアの後ろにはクレメンスがついていた。
「エドガー。反省しろとは言わないわ。あなたは必ず極刑だから、大人しく死ぬことね」
「それがシスターの言うことかい。慈悲の欠片もないじゃないか」
そんな蔑み合いで尋問は始まった。
「エドガー。まず言っておくことがあるわ。『白い魔女』のことを裁判で話しても構わない。けど、ミヨクが『白い魔女』であることは絶対に話さないで」
「おいおい。裁判所で真実を話すなっていうのかい?」
「そもそも、あなたの罪状は禁書保管庫での殺人だから、あなたが何も話さなければミヨクの話題にはならないし、言う必要もないでしょう。言っておくけど、あなたがそのことを魔術連盟に話したって分かったら……」
ソニアは一呼吸置いてから、決意を固めるかのように言う。
「あなたを殺すわよ」
脅迫されているにもかかわらず、エドガーは愉快そうに笑っている。
「おいおい。無理するなよ。人を殺したこともないくせに」
「舐めないで。私はヘンシェル家の魔術師よ」
ソニアは本気だった。ヘンシェル教会の人間である以上、人を救うために必要ならば人を殺すことも辞さない。その覚悟は持っているつもりだ。
ソニアが睨みつけていると、エドガーは苦笑してから答えた。
「分かった。そもそもミヨク君のことは話すつもりはないよ。僕にとっても都合が悪いからね」
「これから先、刑務所に入って死ぬだけなのに何を言っているの?」
まるで今後も魔術師として活動するようなエドガーの言いぶりに、ソニアは引っ掛かったが、エドガーはなんでもないように鼻で笑う。
「つまらないことで一々目くじらを立てるなよ。言葉の綾だろ」
「あっそ……。言わないならそれでいいわ」
魔術師の裁判所も刑務所も、虚空間の外、つまり魔術を行使することができない場所に建てられている。エドガーがいくら優れた魔術師でも、魔術が使えなければ逃げることはできないだろう。先程のエドガーの発言は軽口を叩きたいだけだったのだろうとソニアは解釈した。
ソニアは次の話題に移ることにした。
「ところでエドガー。あなたの本当の狙いは何だったの?」
ソニアの質問に対して、エドガーは感心したような声を上げる。
「へぇ……。『白い魔女』だって知っているはずなんだけど、それは違うって言うのかい」
エドガーは惚けているが、ソニアは分かっている。エドガーの本来の目的は別にあった。『白い魔女』については、禁書保管庫で偶然知ったに過ぎないはずだ。
「最初から『白い魔女』を狙っていたと考えたら不自然よ。メリッサみたいな異端審問官の家系を狙っても、『白い魔女』に繋がる魔術に辿り着かないでしょうし、そもそも『吸血鬼の魔女』として伝わっている童話を、『白い魔女』として知っていることがおかしいのよ。違うかしら?」
魔術連盟の頂点に近い人間や、禁書保管庫の司書、それかミヨクのような特殊な環境で育った者でない限り、魔術師が『白い魔女』を知るはずがない。ヘンシェル家の人間であるソニアでさえ、エドガーが事件を起こすまでは『白い魔女』のことなど全く知らなかった。
エドガーは不気味に微笑みながら答える。
「そうだよ。『白い魔女』のことはまったく知らなかったわけではないんだけど、あまり期待していなかったね。けど、何を勘違いしたのか、馬鹿な司書が必死に守ろうとしていたところがあったから気になってね。あの本を見つけたんだよ。いやぁ……あれを目にした時は感動して涙が出そうになったね」
「あなたの感想なんてどうでもいいわ。訊かれたことだけ答えなさい」
ソニアが咎めると、エドガーはつまらなそうに溜息をついた。エドガーの態度を気にせずに、ソニアが話を続ける。
「あなたの目的、無術者の殲滅のためには、『白い魔女』は回りくどいわ。知っていたとしても普通は第一に考えないでしょうね。もっと手っ取り早い話が、『吸血鬼の魔女』の中にもあるもの」
『白い魔女』のことはあまり期待していなかったというのなら、他に無術者を滅ぼす方法を頭に入れていたはずだ。そしてそれは、『白い魔女』などという普通の魔術師には知りえないものではなく、魔術師の世界では広く知られているが、まだ実現されていない手段だ。
「異世界生物の召喚。それでもあなたの目的は達成できる」
地上にいる人間が対処できないような異世界生物を召喚する。それらに地上を制圧させる。大昔、実際に過激派の魔術師が行おうとしていたことだ。
ソニアが言った途端エドガーは、今までソニアが見た中で、最も不気味で最も不快な笑みを浮かべた。
「そう。ただ僕は、門を開けたかったんだよ」
そしてエドガーは口角を歪ませながらこう言った。
「君もそうだろ? ソニア・ヘンシェル」
「私はあなたとは違うわ」
「いいや同じだよ。なんならメリッサと同じように調教してあげようか。君も正しい魔……」
そこでエドガーの台詞が途切れた。ソニアが平手でエドガーの頬を叩いたのだ。
「とっとと死ねっ! 下衆野郎!」
そう叫び、ソニアは取調室を後にした。今まで我慢してエドガーと話していたが、今の言葉で限界を超えてしまった。
ソニアは外に出ると、近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばした。非常に腹が立つ。メリッサを侮辱するようなことを言われたこともそうだが、自分がエドガーと同じだと言われたことに耐えられなかった。
まったく違うとは言えない。もちろんソニアは異世界の脅威から人々を守ることを信条としているので、エドガーの価値観には全く賛同できない。ソニアがエドガーと同じだと感じたのは魔術の性質だ。エドガーと同じどころか、ソニアの方がそれに近い魔術属性を持っている。
「『悪魔の門』……」
異世界の脅威から人々を守る立場にありながら、異世界からの脅威を呼び寄せる可能性が高い能力を持ってしまっている。その矛盾を内包した自分の血を、ソニアは呪わずにはいられなかった。




