第5章 二人の世界(2)
真守は絶望した。自分が人殺しであることをミヨクとエレンに知られてしまった。
洞窟へ空麻達を助けに行く時、真守は三人殺した。神奈の手下だ。手下の一人から刀を奪い、二人をあっさりと切り殺した。残り一人の腕を切り落とした後、その男から情報を引き出した。その後、命乞いをするそいつも殺した。
自分の本質をミヨクやエレンに知られなければずっと友達でいられるだろうと思っていたのが甘かった。戦闘霊媒としての自分もいつかは知られると考えるべきだった。
神奈の手下を殺した真守に対して、ミヨクは何も責めなかった。ただ悲しそうな顔をして真守に「おつかれ」とだけ声を掛けた。真守が人殺しであることを、ミヨクは既に察していたようだ。だから受け入れてはいないだろうが、拒絶もされなかった。
しかしエレンは違った。真守が神奈の手下を殺した後、エレンがひどく怯えた様子だった。だから真守はできる限り穏やかな表情で、脅威が去ったことをエレンに伝えたかった。納刀して、手についていた血を拭き取り、それからエレンに手を差し伸べた。
真守の手を見たエレンが真守の手を握ることはなかった。
「いや……触らないでっ!」
エレンは真守の手を弾いた。結局、エレンが恐れていたのは神奈やその手下ではなく真守だったということだ。
「エレンちゃん……」
真守は声を出したが、それから手を引っ込めることしかできなかった。それからエレンはミヨクの背中に隠れてしまい、ミヨクは申し訳なさそうにエレンを見つつも、「悪いけど、しばらくはそっとしておいてくれ」と言われた。しかし真守には、永遠にエレンと仲直りできないとしか思えない。
それから神奈への復讐心を空麻に否定された。空麻の言ったことは戦闘霊媒の世界を知らない者の戯言だと思っている。それでも自分の態度が悪かったことも自覚している。
特に、空麻に対して復讐を肯定する発言をするのはいけなかった。空麻は夜刀神に両親を殺されたのだ。そして意識ごと完全に憑依されていたとはいえ、その時の夜刀神の霊媒はミヨクだった。空麻の両親の仇はミヨクだと捉えられかねないし、実際にミヨク自身はそう思っている。
その空麻に復讐を肯定しろということはつまり、ミヨクに復讐しろということだ。
記憶がないから復讐心がない。記憶があれば復讐心があるはずだ。ミヨクのことが憎いはずだ。殺したいはずだ。そう言っているのと変わらない。ミヨクに咎められて初めてそのことに気づいた。
結局、ミヨクにも失望されてしまった。ミヨクは真守の殺人についてあからさまに拒絶する態度は見せなかったが、快く思っていないに違いない。そこへ真守の失言だ。ミヨクも真守のことを嫌いになってしまっただろう。
真守は洞窟の出入り口のすぐそばで三角座りをしていた。見張りをしていたエリザベスが心配そうに見に来てくれたが邪険に扱ってしまった。彼女が見張りに戻った時にようやく自分の態度の悪さに気づいたがもう遅かった。
次にクレメンスがやって来た。
「真守さん。探しましたよ」
クレメンスなら分ってくれるだろうか。クレメンスはまだ、戦闘霊媒が極悪な戦闘霊媒を殺害することに理解があったはずだ。
「クレメンスさん……。私、どうすればいいのでしょうか……?」
「復讐は止めた方がいいと言ったら、あなたは止めるのですか?」
真守は自分の甘さを恥じた。復讐なんてしない方がいいに決まっている。両親はそんなことをさせるために自分の命を守ったのではない。そんなことは分かっているのに、神奈への怒りを抑えることはできない。自分が手を下さないと気が済まない。
「止めませんよ……。ごめんなさい。馬鹿なことを訊いてしまって……」
「そうですね。なら、ミヨク君達のことを諦めるのですか?」
本当にこの人は見透かしたようなことを言う。敵に回したくない人だと真守は思った。
「諦めたくない……」
強欲なことは分かっている。復讐を果たしたいという願いと、友達がほしいという願いは決して両立しない。そのはずなのに、両方捨てられない自分がいる。
「本当に……どうすればいいの……?」
ついに真守は泣いてしまった。もう涙が止められなくなってきた。もうどうしたらいいのか分からない。もう消えてしまいたい。真守はさらに強く両脚を抱き、うずくまってしまった。
「真守」
そこでミヨクの声がした。真守は顔を上げようとしたが上げられない。自分には上げる資格があるとは思えなかった。
「真守。顔を上げてくれ……」
ミヨクはそう言うが、それでも真守は上げられなかった。そうして黙っていると横に気配を感じた。きっとミヨクが座ったのだろう。
「まあ、そのままでもいいから聞いてくれ」
ミヨクの声は優しく、温かかった。すぐにでも甘えたかったが、そんな自分が許せなかった。ただ、ミヨクが優しくしてくれているのに無視するのは失礼なので、真守は小さく頷くことだけはした。
するとミヨクは話し始める。
「まずはっきりと言っておくけど、お前は俺達に絶交されたみたいに思ってるかもしれねぇけど、俺達は全然その気はねぇから」
真守はその言葉を信じたいと思っている。確かにミヨクなら今まで通り接してくれるかもしれない。形の上では真守に命を握られているような状況だし、たとえ嫌でも真守と付き合うことができる人だろう。
しかしもう一人はそういうわけにはいかない。
「エレンちゃんは……どうなんですか……」
エレンには完全に拒絶された。人殺しの真守を恐れて、今までのように仲良く話しかけてくれない。もう取り返しがつかないところに来てしまったと真守は思う。
「エレンも今はショックを受けてるかもしれねぇけど、またすぐに喋ってくれるようになるって。といっても、やっぱり偉そうなところは変わらないだろうけどな」
ミヨクがそう言うと、「うん」という女の子の小さな声が聞こえてきた。
ここで、ミヨクの声が優しいものから真剣味を帯びたものに変わる。
「真守。今から俺が言うことにふざけんなって思ったら、躊躇わずに俺を殴ってくれていいから。それでもお前に言っておきたいことがある」
真守には予想がついた。先程まで散々言われたことだ。ミヨクも本心では空麻と同じことを思っているに決まっている。当然のごとく真守の予感は的中した。
「俺だって……真守には復讐とか、人殺しはしてほしくないって思ってる」
真守はさらに身をきつく抱きしめた。ミヨクを殴るなんてとんでもない。ミヨクの願いは至極真っ当だ。だからこそ、真守と住む世界が違うことを痛感させられる。ミヨクやエレンは魔術師とはいえ、魔術師としての戦闘を行うとはいえ、真守のような人殺しではない。超常現象を扱う人間だが、そこは真守と大きく違うところだ。
「そうですよね……。私みたいな復讐心と血に塗れて汚い人間の相手なんて……したくないですからね……」
「そうじゃねぇよ」
ミヨクは言った。自虐する真守に対して苛立った様子を全く感じさせずに、ゆっくりと、滑らかな声で、それが当たり前のことだと言うように――。
「だって……真守はそんなことしたいとは、思ってないだろ」
その瞬間、真守は顔を上げた。顔面が涙で濡れて、とても人に見せられないような酷い有様であることも忘れて横を向いた。その先には、いつも通りのミヨクの笑顔をあった。
「例えば、真守が復讐心に溺れた殺人鬼になってたら、俺は空麻と同じようなことを同じように言っていたと思う。戦闘霊媒の世界がどんなに残酷で、真守が過去にどんなに凄惨な目に遭ってたとしても、他人に迷惑掛けるのは良くないからな」
そこまで言うと、ミヨクは頭を掻きながら、恥ずかしそうに真守から視線を逸らす。
「というか、エドガーとの一件で俺、怒りに任せて周りに迷惑かけまくったからな……。エレンにも本当に申し訳なかったし……。なぁ、エレン」
ミヨクが声を掛けると、エレンは小さく頷いた。
真守にもそういう時期がなかったわけではない。両親が神奈に殺された直後、真守が戦闘霊媒になったばかりの頃は、復讐心に支配されていた。その時期は、鈴花に辛く当たったことがあったし、祖父や健人からたびたび叱責されたものだ。
「けど、真守は俺のエーテル欠乏症を治すのを優先してくれているし、昼間の戦闘でも、本当に憎い仇を前にしてもちゃんと空麻を逃がすことを考えてくれていたんだろ。クレメンス先生が言ってたぜ」
そしてミヨクは再び優しい微笑みを向けてきた。
「だからさ……ちゃんと俺達のことも考えてくれる真守は偉いと思う。そりゃ……相手が極悪人とはいえ殺人とか復讐とか正当化するつもりはないけど、そこに関してはまだ俺は口出しできる立場じゃないし、俺が言いたのはそんなことじゃなくて……」
ミヨクは一拍置いてから、少し悲しそうな、それでいてうれしそうな笑顔を浮かべてこう言った。
「俺が知らない間に、真守はすごく頑張ってたんだなって……」
その瞬間、真守の目の前にある世界が変わった。正確に言うと元に戻った。目の前にいるのは、魔術師になったミヨクではなく、戦闘を経験したミヨクでもなかった。十年前の少し気弱で、けれどとても優しい幼馴染のミヨクだった。
「真守はとても優しい女の子だって。俺は分かってるから」
やめてほしいと思った。自分にはそんなことを言ってもらう資格はない。どこまでいっても、心の奥底では復讐心が燃えていて、神奈のような悪人に対する殺意があふれている。今歩もうとしている道を真守は変えることができない。
「それでも、私は止めませんよ。神奈は必ず殺します……。それに与する者も……。それでも、みよ君はそんなことを言うんですか?」
真守は血と殺しの世界から抜け出せない。もう戦闘霊媒の世界でしか生きることができないのだ。そうに違いないのに、ミヨクは首を縦に振る。
「何度でも言うよ。真守は頑張り屋さんで優しい子だ」
真守はそれ以上何も言えなくなった。ミヨクは本気だ。幼馴染としての真守と本気で接しようとしている。ミヨクは先程まで言っていた通り、真守が復讐するのを止めたいと思っているのだろうが、きっと真守を止めることはない。
しかしミヨクの眼が告げている。いつか真守の世界にたどり着いて、真守の復讐を止めてやる。真守にはそう感じた。
「エレンも、もういいだろ」
ミヨクがそう言うと、エレンはおそるおそるではあるが、真守の方に近づいてきた。そして目の前でしゃがんで真守を見る。
「真守……。昼間はごめんなさい。気が動転して、真守の立場も気持ちも全然考えられなかったわ。確かに怖い真守は嫌だけど、できるだけ理解できるようにする。私に出来ることがあれば遠慮なく言って」
エレンも優しい言葉を投げてくれる。真守はとても不思議に思った。住む世界が違うはずなのに、真守のことを理解できるわけがないのに、真守に対して優しくしてくれる。
真守はエレンに抱き着いた。とにかく甘えたくなったのだ。戦闘霊媒の世界以外で友達と言えるような存在はいなかった。学校での付き合いはあるが、そういうことではなく、自分の心の底を打ち明けられるような者がいなかった。
しかし今は違う。ミヨクもいる。エレンもいる。戦闘霊媒ではない真守を見てくれる人がいる。それならば真守も努力しようと思う。十年前の、ミヨクの幼馴染としての真守に戻る努力を――。
真守はエレンの胸の中で泣きながら誓った。




