第4章 二人の役割(4)
真守は日本刀を構えて神奈と向かい合う。長年追っていた、両親の仇が今目の前にいる。殺したい程憎い、殺さなければならない女を前にしている。
そこで後ろにいるクレメンスが釘を刺すように言う。
「真守さん。言っておきますけど、我を忘れているようでしたら……」
「大丈夫ですよ。さっきのはただの軽い挨拶です。それに、急がなければ空麻さん達が危ない状況だったでしょう」
鎧武者と神奈の土蜘蛛は既に実体化している。もたもたしているわけにはいかない。
それにむしろ真守の頭は最高に冴えわたっていた。神奈と対峙するのは今日が初めてというわけではない。冷静さを保つ術なら身に着けているつもりだ。
「クレメンスさんは援護をお願いします。くれぐれも出し惜しみはしないでください。下手したら死にますよ」
「ええ、そのようですね」
神奈は真守を睨みつけてこんなことを訊く。
「おいおい、その神父さんはなんなんだよ?」
対する真守は殺気を込め直した。
「今から死ぬ貴様には関係ないでしょ」
「調子に乗ってんじゃねぇぞクソガキがっ!」
もちろん真守は神奈をこの場で殺すつもりでいる。しかし私怨よりも優先するべきことがある。空麻達をこの場から逃がすことだ。ただ健人が鎧武者の相手をしていて、鈴花が空麻の護衛をしている。真守が神奈と対峙しなければならないようだ。
「たぁぁぁああああ」
真守は神奈に刀を振るう。神奈が後退しながらも真守の斬撃を薙刀で受け止める。真守は攻め急がず、急所を狙うことよりも、隙の少ない連撃で神奈に防御をさせて、洞窟の出入り口から離れさせることを考えている。
神奈も真守の思惑を察したのか、苛立たしさを隠さずに叫ぶ。
「おいおい。あたしのこと憎んでるんだろ? 良い子ぶってじゃねぇぞ」
神奈は挑発するが、真守はそれほど憤りを感じなかった。こんな安い挑発の何百倍も怒りを覚えることを十年前にされたのだ。今更小さいことにいちいち構うのも馬鹿らしい。真守は淡々と今自分がするべきことをする。
「心配しなくても、貴様は後でゆっくり殺す」
「ああぁ! よほど面白い死に方をしたいようね。土蜘蛛」
神奈が呼ぶと、土蜘蛛が横から真守に襲いかかる。あの霊体の脚は刺突剣のように鋭い。真守の身体など簡単に貫いてしまうだろう。
しかし真守は目の前の敵に集中した。土蜘蛛の動きはしっかりと見えていて、夜刀神で対処することも考えたが、自分が手を下す必要がないと判断したからだ。
「Nein, Zwei, Zwei」
その声が発せられた直後、土蜘蛛は水流に押し流された。
「何だと……何なんだよ、その力は?」
神奈は驚愕する。おそらく鈴花や健人も見ていたら驚いているだろう。戦闘霊媒は知らない能力だ。真守は知っているが、実際に彼のこの能力を見るのは初めてだ。
「クレメンスさん。そのまま空麻さん達の脱出路を開けてください」
クレメンスの魔術だ。彼の魔術属性は水である。ミヨクやソニアから聞いたことがあるが、クレメンスはかなり優秀な魔術師であるらしく、実力はソニアに勝るとも劣らないとのことだ。だからソニアという天才魔術師の側近に置かれているのだろう。
水流では土蜘蛛に直接的なダメージを与えることはできないだろうが、その位置を動かすことができた。
逃走経路が確保されたことを鈴花も即座に察知したようで、空麻の手を引いて走り始める。この様子だと二人が洞窟を抜けるのも時間の問題だろう。
「小癪な……」
神奈の苛立ちを無視して真守は呟く。土蜘蛛が水に流されたことで、神奈と土蜘蛛が離れた。この絶好の機会を逃す手はない。
「健人さん!」
真守が叫ぶと同時に、健人が鎧武者から距離を取り、神奈の方を向く。
「往け。朱狼」
その直後、真守と神奈の間を大きな霊体が駆けて行った。正確に言えば、その霊体は神奈に直撃しようとしていたが、神奈が寸前のところで回避したのだ。
その霊体は神奈の土蜘蛛と同じくらいの大きさの狼だ。赤いオーラを全身に纏っている。名前は朱狼という。健人が使役している霊体で、龍水家が誇る強力な霊体である。
朱狼は神奈への攻撃には失敗したが、そのまま勢いで走り抜け、出入り口付近で止まった。その頃には鈴花と空麻が出入り口に辿り着こうとしていた。朱狼に二人を乗せて、この洞窟から脱出させる算段だ。
「ちっ……逃がすかよ……。麻多智!」
神奈が叫ぶと鎧武者は出入り口の方を向いた。そしてすぐに空麻へ襲いかかるものだと思われたが違った。鎧武者はそのまま動きを止めたのだ。
「おい……。何してるさっさと行け」
神奈が苛立たしそうに言うが、鎧武者は動かない。健人は鎧武者から一定の距離を取り、鎧武者の次の行動に備えているようだ。真守も神奈の姿を目で捉えつつも、鎧武者の動きにも意識を傾ける。
鎧武者はただ停止したのではない。この停止はさらなる脅威の予兆だ。真守にはそう思えてならなかった。
そしてその予感は的中する。
「がああああああぁぁぁぁぁあああああああああ」
鎧武者が急に叫びだした。とても人間のものとは思えないおぞましい声だ。霊媒ではなく霊体の声だろう。鎧武者はひとしきり叫ぶと、急に出入り口に向かって走り出した。今は空麻や鈴花がいる方向だ。真守は即座に空麻達を守りに行こうと考えたが、鎧武者の異変に気づいて止めた。
「健人さん待って」
健人も空麻の方へ駆けていたが、真守はそれを制する。すると健人も気付いたようで、出入り口には向かってはいるものの、真守の傍で一旦止まった。
「しる……しぃぃいいいいいいい」
鎧武者はそう叫びながら走り続ける。空麻と鈴花は朱狼と一緒に脇に避けるが、彼らの方に見向きもしない。空麻達も鎧武者を注視しつつも、ゆっくりと出入り口から離れていった。
「はぁ?」
神奈が驚く。それはそうだろう。結局、鎧武者は出入り口を通って、洞窟から去ってしまった。つまり神奈は一人取り残されたということだ。
真守は神奈の方を向く。邪魔者はいなくなった。鎧武者は後回しだ。さすがの神奈でも戦闘霊媒三人に加えて、神奈にとっては得体のしれない魔術師を相手にするのは厳しいだろう。
「さて、覚悟はできてるわね」
真守はここで神奈を殺すつもりだ。捕縛するべきだと健人は言うかもしれないが、神奈程の戦闘霊媒を捕縛しても、霊能力を発動されて逃亡される危険性はかなり高い。それに、一分一秒でも神奈が生きていることが許せない。
「クソが……。いい気になってんじゃねぇよ!」
「うるさい。貴様はここで死ね」
真守はそう言って、夜刀神で神奈を攻撃しようとした。しかし出入り口から現れた新たな人影が真守の進撃を止めた。
「どうして……あなたがここに?」
出入り口から現れたのは生きた人間ではなかった。エレンの守護霊であるエリザベスだ。エリザベスはまっすぐに真守の方に来て、真守の腕を引っ張るような仕草を見せた。私と一緒に来てほしいということだろう。
エリザベスがここにいる意味を真守はすぐに察した。ミヨクとエレンがすぐ近くに来ているということだ。何らかのトラブルがあり、下山を諦めて、真守達と合流することにしたようだ。その判断は決して間違っているわけではないが、真守としては起きてほしくなかった事態だ。
そして鎧武者の行き先を思い出して、真守はぞっとする。このままでは鎧武者がミヨク達のところに行ってしまう。
いや、鎧武者はミヨクの気配を察知して、飛び出していったのではないか――。
ミヨクも標山家の人間だ。理由は分からないが、鎧武者がミヨクを狙うのは不自然ではない。このままではミヨクとエレンが危ない。
「くっ……。とにかくここは退くしかないようね。土蜘蛛」
神奈が呼ぶと土蜘蛛は神奈の元へ駆けて行く。
「Nein, Zwei, Zwei」
クレメンスが魔術で水流を放ち、土蜘蛛の足止めをしようとする。しかし土蜘蛛は上空に糸を放つ。先程まで攻撃に使っていた塊とは違い、そこそこの太さはあるものの長い糸だ。それを天井の空洞部分の端に引っ掛けた。そして、糸を縮めて身体を浮かせる。神奈も土蜘蛛に駆け寄り、その脚を掴んで一緒に上がっていった。
一番低いところを狙ったようで、高さは十メートルもない。神奈は易々《やすやす》と洞窟から去って行った。
それを見て、真守はすぐに洞窟から出ようとする。
「おい。真守!」
「真守さん。待ってください」
健人とクレメンスが声を掛けるが、真守は聞く耳を持たない。そればかりか足を止めずに健人にこう言い残す。
「健人さんは空麻さん達とここに待機してください。まだ外が安全だと限りませんから」
そして真守は洞窟の出入り口を抜けて行った。外まではそれ程距離はない。一分も走れば抜けられる。ミヨクとエレンがまだ鎧武者や神奈と遭遇していないことを真守は祈る。
やがて真守は洞窟を抜け、出入り口からそう離れていないところにミヨクとエレンを見つけた。そしてその前に鎧武者と神奈がいる。しかし様子がおかしい。鎧武者は膝をついていて、神奈は土蜘蛛に鎧武者を背負わせようしているところだった。鎧武者の霊体が消えかけていて、中身の子供がちらりと見えることがある。
「ちっ……。こんなところでガス欠かよ。命拾いしたようね坊や。というか、どうしてこいつはこんなところに……。その杖……まさか?」
「いきなり出て来て訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ」
ミヨクはアーミラリステッキを構えて神奈達を威嚇している。鎧武者はミヨクを見ようとしつつも、やがて力尽き、霊体は消失していった。中身の子供を土蜘蛛に乗せ、神奈は逃げようとする。真守はすぐさま彼女達の元へ駆け寄る。
「逃がすかぁ!」
「ちっ……。今日はもうあんたの相手は飽きたわ」
真守が神奈を追おうとする。そこで森の陰から一人の男が現れた。神奈の手下で、刀を装備している。たまたまこの場に居合わせたようで、神奈と真守の姿を認めるとひどく動揺したようで、二人を何度も見まわしていた。
神奈はその手下を見つけた途端、彼に駆け寄った。そしてその手下が困惑している内に彼の腕を掴むと、勢いよく引っ張り、真守の方に放り出す。手下を犠牲にして逃走するようだ。真守としては一匹たりとも逃がすつもりはない。
「おい。お前はあのガキと遊んでやれ」
「えっ……。ま、まさか……鬼蛇?」
手下の男は神奈に言いたそうにしていたが、真守がすぐそこまで迫っていることに気づくと刀を構えた。
「そこをどけぇぇええええ!」
真守は迷わずに進んだが、同時に絶望していた。ここにはミヨクとエレンがいる。二人には下山してほしかったのに――。
そもそも自分が十年前と同じようにミヨクと一緒にいられると思っていたのが間違いだった。自分でミヨクに言ったではないか。ミヨクの知る昔の自分ではないと。
「くそぉぉぉおおおお」
やぶれかぶれになったのか、手下の男が刀の振り上げたまま突進してきた。神奈は既にかなり後ろまで逃げていた。ただでさえ追いかけるのが難しいのに、雑魚の戦闘霊媒とはいえ邪魔が入ったら逃げられてしまう。
手下の男が刀を振り下ろしてきたのを、真守は簡単に避けた。そして男の腹を斬りつける。致命傷を与えた。男の腹は大きく裂かれ、大量の血が噴き出る。
「真守……?」
エレンの声が聞こえる。しかし真守は自分を止めない。
男が倒れる。何もしなくても出血多量で死ぬが、最後に何をしでかすか分からない。あくまで下っ端の雑魚なのでたいした霊能力を持っていないだろうが、それでも戦闘霊媒を殺さないままでいるのは危険だ。たとえ四肢が千切れて、瀕死の状態であっても、物理霊媒能力は発現することができる。それにそもそもこの男は拳銃を持っている可能性が高い。油断はできないし、生かしておく理由もない。
真守は倒れた男の体に刃を下ろそうとする。
「ダメ! 真守!」
エレンが叫ぶ。真守にはそれが聞こえていた。
「お兄様! 真守が人殺しになっちゃう」
真守にはその声も聞こえていた。そして、エレンの悲痛な訴えに対するミヨクの答えも真守はしっかりと耳にした。
「いや……あいつは、そういう人間だ……」
ミヨクの悲しそうな声を聞きながら、真守は男の心臓に刀を突き立てた。




