第1章 蛇神の森(3)
ヘンシェル教会でソニアの話を聞いた後、真守は一度家に戻り、それから標山の森の奥へ向かった。もちろんミヨクを探すためだ。
真守としては、ミヨクが真守に会いに来ず標山の森にいる理由は一つしか考えられない。十年前に標山家で起こった事故について調べに来たのだ。そして行くとしたら標山家跡地か蛇神の祠だ。まずは標山家の跡地に行くことにする。
標山家は立派な屋敷だったが、既に取り壊されて更地になっている。にもかかわらず標山の森に入ってから、真守への監視が始まった。標山家跡地に来た今でも見られている。
自分を監視しているのはミヨクの仲間だと真守は考えている。ミヨク本人ではない。しかしミヨクの妹でもないだろう。真守は監視に気づいていない振りを続けていたが、それも終わりだ。両手で輪っかを作って口に当てる。
「そろそろ出てきてくれませんかぁ。別に責めるつもりはありませんからぁ」
真守は大声で呼びかけてみたが反応はない。ずっと隠れているつもりのようだ。しかし監視している者の位置は分かっている。仕方がないので真守は見ることにした。
目と目が合う。そう表現していいかなんてくだらないことを真守が考えている間に、監視していた者はどこかへ行ってしまった。おそらく主人の所へ戻ったのだろう。その主人が逃げてしまわないだろうかと心配になったが、どうやら杞憂であったようだ。
やがて木の陰から一人の少女が姿を現した。
黒のゴシックドレスを身に纏い、金髪のツインテールをした外国の女の子だ。ソニアに教えてもらった少女の容姿と合致している。ただ真守が思っていたよりも背が高い。真守と比べればいくらか低いが、それでも日本人女性の平均以上はありそうだ。
「はじめまして。私は――」
「知っているわ。久遠真守でしょ。それに、初対面ではないわ」
可愛らしい甲高い声だ。少しぶっきらぼうな言い方だが、それでもあどけなさが残る。
「エレン・ゼーラーよ。ゼーラー家と聞けば、あなたにも覚えがあるでしょう?」
真守は首を縦に振る。忘れるわけがない。久遠家に住んでいた彼を真守から奪い取った家の名前だ。ミヨクが引き取られたあの日、フローラ―・ゼーラーと名乗る女性の隣に小さな女の子がいた。エレンがその少女だったのだろう。
エレンは訝しそうに目を細めて真守を見つめている。睨みつけていると言った方がいいだろうと真守は感じる程、エレンの表情は険しい。
「もしかしたら……とは聞いていたけど、本当にミディアムだったのね」
「ミディアム……?」
自分はステーキの焼き方ではないのだが、と真守は一瞬思ったが、もちろんそんなことではなかったようだ。真守が答えないでいると、少女は視線だけで後ろを示した。
「この子達が視えるのでしょう?」
そう。真守にはそれらが視えている。少女の周りには黒い影のようなものが浮かんでいる。それは三人のドレスを着た女の子のように見える。髪型や鼻や口、服のおおまかな模様までは見て取れるが、それらには眼がない。明らかにこの世のものではなかった。ここ数日、真守を監視していたのは彼女達だったようだ。
「ええ、視えていますよ」
それら――いや、彼女達は霊体だ。真守はそのことをよく理解している。生まれた時から霊体を視認することができる体質なのだ。霊体と会うことなど真守にとっては珍しいことではない。
「そんなことより私、ソニアさんという赤い修道服のシスターさんに会いました。その人があなた達のことを教えてくれましたよ」
真守がそう言うと、真守の予想以上に少女が狼狽した。
「うそ……。ソニアさんが来ているの? ヘンシェル教会の支部が近くにあるとは聞いていたけど、どうしてこんなところにまで来るのよ?」
「エドガー・テルフォードという犯罪者を追っていると言っていました。それで、ここに来ているかもしれないあなた達のことを保護したいと」
真守が話すと、エレンが信じられないことを聞いたかのように後退る。エドガーとミヨク達の因縁についてはソニアから詳しく聞かなかったが、エレンの反応で決して浅くはないのだと真守は察した。
「嘘でしょ……。ここにどんな――。そんなことより、お兄様と合流しないと」
「そうそう。そのお兄様ですよ。みよ君もここに来ているのですよね」
エレンは素直に頷く。尊大な態度は変えないが、真守に協力するつもりにはなったようだ。
「ええ。ミヨク・ゼーラー、あなたの言う『みよ君』もここに来ているわ」
それを聞いて真守は笑顔になったが、次のエレンの一言ですぐに表情を曇らせる。
「お兄様はあなたに会いたくなさそうだけどね」
よく考えてみれば、標山の森に来たのならば、真っ先に久遠家へ来ればいいのではないか。それをせずに真守のことを監視していたということは、エレンの言うことは本当だろう。しかし真守としては納得できない。
「どうして……どうして、私のところに来ないのですか?」
「それはあなたに迷惑を掛けたくないからでしょ。それくらい察しなさいよ」
ミヨクは真守のことを霊媒だと認識していなかったはずだ。久遠家の事情も詳しくは知らなかっただろう。久遠家に隠れながら標山の森を探索しているとなると、少なくとも霊的な存在について調べているに違いない。それならミヨクの行動も理解できると真守は考える。
「と言いたいところだけど、あなたがミディアムだというのなら話が変わるわ」
そう言いながらエレンは歩き出した。標山の森のさらに奥へと向かっている。
「いいわ。お兄様はそう遠くないところにいるはずよ。ついて来なさい」
「分かりました」
エレンは祠が建てられている洞窟に向かっているようだ。蛇神が祀られているとされる場所。確かに蛇神について調べるならばそこにいかないという選択肢はないだろうと真守も思う。
先に進むにつれて、真守は新たな霊体の気配を感じ取った。危険な雰囲気はない。エレンが連れているのと同じような霊体なのだろう。エレンもミヨクの行き先というよりはその霊体の位置を辿っているのかもしれない。
洞窟の入り口付近で、真守達は少年を見つけた。洞窟は久遠家によって閉鎖されているので、中に入れなくて立往生していたようだ。やはりドレスを着た黒い女の子の霊体も一人いるが、今の真守にはろくに見えていない。
歳は真守と同じ、身長は真守より少し高いくらい、一見外国人のように見えるが日本人らしい顔立ちをした、お気に入りなのか様になっている白いジャケットを着た、そして金髪の少年。真守の目の前にいるのは間違いなく、真守が長年再会を待ち望んだ彼だった。
「みよ……君……」
真守はゆっくりと一歩踏みしめた。
「みよ君……」
真守はもう一歩、ゆっくりと進んだ。
「みよくぅぅううん!」
もう我慢ができなかった。とにかく抱きしめたい。そして十年間話せなかった分、いろいろなことを話したい。外国の暮らしは楽しいかどうかとか、背は伸びて格好良くなったとか、白いジャケットがすごく似合っているとか、けど元々格好良いのだから金髪にする必要はないのではないかとか、『白い魔女』のことは今でも覚えているとか。とにかく訊きたいこと、話したいことが数え切れない程ある。空いてしまった十年間をすぐに埋めたい。そんな想いを込めて、真守はミヨクの元に駆けようとした。
「止まれ!」
ミヨクから厳しい一言が放たれた。真守は足を止めはしたが、すぐに理由を訊こうとする。しかしミヨクは真守に目もくれず、エレンに鋭い視線を送っていた。
「エレン。どうして連れて来たんだよ」
「この子、やっぱりミディアムよ。役に立つかもしれないわ」
「そうだとしてもだろ……」
ようやくミヨクは真守の方を向く。顔には苛立ちと焦りが滲み出ている。
「真守。久し振りに会ったのに、こんなことになってすまない。森に勝手に入ったことも悪いと思ってる。けど、俺達は十年前の事故について調べに来ただけなんだ。どうか見逃してくれ」
「見逃すも何も私は、みよ君に協力しますよ」
真守がそう言うと、ミヨクは少しだけ考えるように下を向いたが、すぐに首を大きく横に振る。
「駄目だ。危険なんだよ。やっぱりお前を巻き込むわけにはいかねぇ」
「それでも、私があなたに協力しない理由にはなりません」
真守は一歩も退かなかった。折角再会できたのだ。出来る限りミヨクと一緒にいたい。ミヨクが何かに困っているのなら、助けになりたい。自分勝手な望みかもしれないが、それでも自分がミヨクを助ける存在でありたい。
その思いも虚しく、ミヨクはさらに大きな声で叫ぶ。
「もう俺は昔とは違う。お前が知ってるような俺じゃねぇんだよ」
「私も同じですよ。あなたの知る、昔の私ではありません」
真守はすぐに断言した。ミヨクがどんな存在になったのかは、真守には分からない。彼の十年間を知らないからだ。しかしそれはミヨクにも言える。彼も真守の十年間を全く知らないのだ。真守の言いたいことが伝わったのか、ミヨクは静かになった。困惑した表情で真守を見つめている。
「お前……それはどういう……」
真守は覚悟を決めた。自分の秘密を話すことにする。そうでないとミヨクは真守の協力を拒み続けるだろう。そう思い、ミヨクへ歩み寄ろうとしたができなかった。自分から溢れ出るものに気づいたからだ。
「あなた……それ、何よ……?」
エレンも気づいたようだ。ミヨクも視えているようで、そこに注目している。二人とも霊視能力者のようだが、既に霊能力のない人間にも視認できるくらい実体化されていると思って間違いないだろう。
真守の周りには黒い影がうねうねと漂っている。それが何本もの鞭を形作り、至る方向へ波打っている。しかしそれが一方向を指し、一斉に伸びていく。
その先にいるのは、ミヨクだ。
舌打ちをする暇も、ミヨク達に逃げろと叫ぶ余裕もない。真守は黒い影を止めることに全神経を注ぐ。
その刹那、ミヨクの立ち振る舞いを見て、真守は先程ミヨクが言っていたことの意味を思い知る。確かに真守の知らない世界が広がっていた。