第2章 二人の標山(3)
日曜日の昼、空麻は鈴花と一緒にヘンシェル教会に来た。もちろん、日曜礼拝が目的ではなく、ミヨク・ゼーラーという人物に会うためだ。土曜日の夕方に、突然健人から行ってくるように言われたのだ。鈴花は大反対していたが、話だけ聞いてそれからは空麻を巻き込まないようにすればいいと健人が言うと、渋々ながらも納得した。
礼拝堂で真守と少年が待っていた。その少年がミヨクだろう。彼は椅子に座り、その横で真守が立っている。空麻と鈴花は真守達から十歩ほど離れた位置に立つ。
まずはミヨクが口を開いた。
「よお、久しぶりだな空麻。って言っても覚えていないらしいけど……。そっちの人が龍水鈴花さんか?」
「そうですよ。あなたは……」
空麻が訊くと、ミヨクは片手を横に振りながら微笑む。
「一応俺は十七歳で、お前よりかは年上だけど、敬語なんていいって。お前のことは弟みたいに思ってるから」
ミヨクはそう言ってから、しっかりと空麻に向かい合う。
「俺はミヨク・ゼーラー。標山家にいた時は、標山明空だったけど、その名は捨てたつもりだから、ミヨク・ゼーラーで覚えてくれた方が助かる」
「そっか……。じゃあミヨク君でいいかな?」
「おう。いいぜ」
ミヨクが元気よく返したが、次の瞬間から真剣味を帯びた表情に変わった。
「もっと楽しい話をしたいところだけど、早速本題に行くぞ。調子が悪いから、座りながらで失礼する。十年前に標山家で起こった事件だ」
その話になるということも空麻は健人から聞いていた。標山家が土地を捨て、空麻が記憶を失う原因になった事件だ。興味がないと言えば嘘になるが、どうしても知りたいというわけでもない。しかしミヨクが話すことを強く希望しているとのことなので、それならば空麻もしっかりと受け止めようと思っている。
ミヨクは話を始める前に、鈴花の方を向いた。
「一応聞いとくけど、あの事件について龍水家は何も知らないんだよな?」
「ええ、詳細は把握していません。当時、現場にいた人のほとんどは死亡し、生き残った人でも空麻君のように記憶を失ったり、心に深い傷を負って事件のことを話せないようでしたから」
「分かった」
ミヨクはそれだけを確認すると、空麻の方に向き直った。
「空麻、夜刀神というのは知っているか?」
「やとのかみ……? 漫画か何かで訊いたことがあるような……」
そう言ってから、空麻は自分が漫画のような現実味のない状況に立たされていることに気付いた。ついこの間に、鎧武者に襲われるという出来事に遭遇したばかりだ。
「ああ、その夜刀神っていうのは、常陸国風土記に登場する蛇神だ。といっても、もうなんとなく察しがついてるだろうけど、その蛇神は実在する。真守が鎧武者と戦ったんだろ。その時に出していた黒い蛇がそうだ」
空麻は逃げることに専念していたので、その黒い蛇を少ししか見ていない。それでも少し見ただけで黒い蛇の禍々《まがまが》しさは分かった。鎧武者よりも黒い蛇の方が怖くなったと言っても過言ではない。
「あれは十年前まで、標山家が祀っていた蛇神だ。祀るって言っても、管理していると言った方が近いな。だが、その十年前に管理を止めた。もちろん、今から話す事件が起こったからだ」
そこでミヨクは一拍を置いて、こんなことを訊く。
「ここまで呼び出しておいてこんなことを言うのもなんだが、聞くか? 多分、聞いたら引き返せなくなるぞ。絶対に知りたいというわけでもないんだろ」
「いや、聞くよ」
空麻は即答した。確かに、話を聞いたから今後化物と戦えと言われたら、それは拒否してしまうかもしれない。しかし自分の過去を知ることくらいは覚悟してきた。だからミヨクの呼びかけに応じたのだ。
その答えを聞いて、ミヨクは少しだけ頬を緩ませた。
「いい返事だ。じゃあ、話すぜ」
そして真面目な顔つきに戻り、ミヨクは話を進める。
「空麻。お前は標山家でも優秀な霊媒だった。というより、当時の標山家当主の息子で、十年前の事件は、夜刀神をお前に継承させるための儀式で起こったんだ」
自分が霊媒だった。それはもう空麻も認めている。しかし自分が真守のように蛇神を操って鎧武者と戦っていたのかもしれないと考えると、それはあまり信じたくはなかった。
「結論から言うと、その儀式は失敗した。俺が夜刀神に意識を乗っ取られて、原理は真守のとは違うけど、俺の能力を元に実体化された夜刀神が標山家の人間を殺していった」
ミヨクがあまりにもあっさりと言ってしまうものだから、空麻はミヨクの言葉を上手く呑み込めなかった。ミヨクもそれを察したのか、こう言い直す。
「お前の両親や家族を殺したのは俺だ。そう言ったんだ」
「ちょっと待ってくださいっ!」
ミヨクがそう言うと、真守が突然叫び出した。空麻の眼からもかなり焦っているように見える。
「みよ君は操られただけであって、彼の意志で標山家を殺したのではありません。空麻さんも誤解しないでください」
真守は反論するが、ミヨクは彼女の方を向かずに淡々と告げる。
「何も誤解はねぇよ。何をどう繕っても空麻の家族の仇は俺だ」
そして、ミヨクは椅子から降りて、正座をしてから話を続ける。
「ただ、言い訳みたいになってしまうが、俺の親父、ヘルベルト・ゼーラーが俺に夜刀神を憑依させるように仕向けたんだ。ヘルベルトもその事件で死んだ。だからと言って、俺に責任がないわけではないのは分かっている。だから、この通りだ」
それからミヨクは両手を地面につけて、深々と頭を下げた。
「許してくれとは言わない。だけど、この通り、謝らせてくれ。すまなかった」
空麻には、ミヨクが悪いようには見えなかった。きっと真守の言う通りミヨクには非がないのだろう。にもかかわらず、責任を感じて、空麻に謝っている。本当に心の優しい人なのだと。そう思い、「頭を上げて」と言おうとしたが、その前に鈴花が口を開いた。
「それって……なんだがずるくないですか?」
その言葉を聞いてもミヨクは顔を上げなかった。鈴花が言葉を続ける。
「空麻君に記憶がないの分かっていますよね。そんなの、許さないって言わないに決まってるじゃないですか。それなのに、記憶がないのをいいことに、今の内に謝罪でもしておこうなんて……。都合が良いにも程がありますよ」
「鈴花ちゃん。そんな言い方……」
「空麻君は黙ってて」
空麻は鈴花を宥めようとしたが、彼女は止まらない。段々と声が大きく、高くなっていく。
「まだ、父親の思惑であの事件が起こった。自分は悪くないって言われた方がマシよ。それに、自分で殺したって思ってるのに、謝るだけなの? 空麻君に何かしてあげようとは思ってないの?」
鈴花の剣幕がさらに激しくなっていく。それを見かねて空麻が叫ぶ。
「もういいよ! 鈴花ちゃん。僕はミヨク君を恨んでないし、復讐しようとも思ってないよ。だから、ミヨク君を責めないであげてくれ」
鈴花の言うことにも一理あるかもしれない。しかしこれはミヨクと空麻の問題だ。ならば、ミヨクを許すか許さないかは鈴花ではなく自分が決めることだと空麻は思う。
鈴花は怒りを鎮めて、少し後ろに下がった。代わりに空麻が前へ出る。
「ミヨク君。もう顔を上げてくれ。君の気持ちは分かったよ」
空麻がそう言うと、ようやくミヨクは顔を上げた。
「ありがとう」
そこで真守がミヨクの傍に駆け寄り、腰を下ろすと、ミヨクの肩に手を置いた。
「さあ、今日はもう休みましょう。後は私に任せてください」
真守がそう言うと、ミヨクは真守と一緒に立ち上がり、空麻に向かって礼をした。
「今日は来てくれてありがとう。俺からの話はそれだけだ。すまないが俺はもう失礼する。後は真守から話があるそうだから聞いてくれ」
それからミヨクは神父に連れられて奥の部屋へと去って行った。空麻の眼から見ても、ミヨクはかなり憔悴しきった様子だった。十年前の事件について話すことで精神的に疲労したのだろう。今思えば、初め元気に振る舞っていたのも、相当無理があったのかもしれない。
礼拝堂には空麻と鈴花、そして真守が残された。真守が鈴花の方に視線を向ける。
「さて、手短に話しましょう。まず確認しますが、龍水家は夜刀神の継承者に仕立て上げる目的で空麻さんをこの地に呼んだわけではありませんよね?」
「当然です。一応私達は仲間ですから、あなたを裏切るような真似はしません」
「私が似たようなことを言った時、信用できないって言ったのはどこの誰ですか?」
微笑みながら言う真守に対して、鈴花はものすごい眼光で真守を睨みつけていた。そして真守は口を尖らせる。
「冗談ですよ。空麻さんだって夜刀神なんかに興味はないですよね?」
「あ、ありませんよ……」
空麻としては、夜刀神の何に興味を持てばいいのか分からないくらいだ。聞かれるとは思っていなかったので、空麻はむしろ焦ってしまった。
「そうですか。なら私としてもこれ以上空麻さんに干渉する理由はありません。だから鈴花さん、安心してください。と言いたいところですが、まだ問題が残っていますね」
そうだ。空麻達には大きな問題が残っている。それが解決しなければ、空麻も日常生活に戻ることはできない。
「鎧武者。あれを何とかしないといけませんね」
空麻達に襲い掛かってきた鎧武者。あれが再び空麻達の前に現れないとも限らない。自分には力になれることはないかもしれないが、せめて鈴花や真守の足を引っ張らないように対策はしなければならないと空麻は思っている。
真守が何でもない風に、それが日常の出来事のように淡々と言う。
「私が探ってみますから、鈴花さん達は空麻君を……」
「いえ……」
そこで鈴花が真守の言葉を遮り、冷静そうに告げる。
「鎧武者のことは龍水家で解決します」
鈴花の言葉に、真守は眉を顰めた。
「こういう場合、協力すべきだと思うのですが」
「それは分かっていますが、家の決定です。あなたの手を煩わせません」
真守はもう少しの間だけ怪訝そうな視線を鈴花に向けていたが、やがて俯いて、深い溜息をついた。
「私はそういうこと、あまり気にしていませんけどね……」
「私達が気にしないわけにいかないでしょう。もう少し自分の立場を考えてください」
「分かりました。では、お任せします」
張りつめていた空気から一転、真守は急に笑顔を作った。
「ところで、大事な話は終わったことですし、少しお茶していきませんか。美味しいお菓子も用意していますので、みよ君は来れないかもしれませんが、私だけでもおもてなしをしますよ」
真守は友好的な態度を示している。空麻は付き合おうと思ったが、やはり鈴花は不機嫌そうに言い捨てる。
「もう空麻君に干渉しないのではなかったのですか?」
「それは霊媒関係の話ですよ。今はただの友人としてお二人を誘っているだけです」
真守は依然優しく声を掛けるが、鈴花は踵を返した。
「結構です。話が済んだなら帰ります。空麻君、行こう」
そう言って鈴花は、空麻の答えを聞かずに歩き出した。これには真守も苦笑いを浮かべる。
「そういうことでしたら、また別の機会に。空麻さんもさようなら」
「はい。さようなら」
空麻は礼をした後に、急いで鈴花を追っていった。




